近・現代文学研究会  これまでの報告・2004年 ■


  <第78回> 2004年7月 金達寿「朴達の裁判」  
 

 第78回「近・現代文学研究会」は、7月15日、日本民主主義文学会の会議室で行われました。今回は金達寿の「朴達の裁判」で、報告者は土屋俊郎氏。参加者は報告者を含めて10名でした。
 土屋氏は、この研究会への報告のために、レジュメと、在日朝鮮人文学に関係する年譜と、朝鮮半島の地図を用意され、次のような順序で報告されました。(1)金史良と金達寿、(2)戦後民主主義文学運動と金達寿、(3)金達寿の主要作品、(4)「朴達の裁判」について。
 土屋氏は「朴達の裁判」について、「ユーモラスな文体でつつまれているが、政治性の強い小説である」と評価され、また金達寿はこの作品を「『転向』をモチーフに『朴達の裁判』を書いた」と述べている、ということも報告されました。
 この作品の主人公、朴達の「転向」と、「転向」問題について、参加者から各種感想、意見が出されました。
 日本の近代文学において、「転向」問題は、インテリゲンチャの問題としてとらえられ、描かれたが、「朴達の裁判」のモチーフとなっている「転向」は、違う。何重にも抑圧された民族の、どう生きるかの問題として「転向」問題を考え、書いている。従って、朴達は何度でも「転向」して出獄してきて、また活動をはじめる、ということになる。在日朝鮮人作家である金達寿としては、日本人作家の「転向」問題に対する考え方に、疑問を感じていたのではないか、等の意見も出されました。
 とにかくエネルギッシュな作家であった、と金達寿と付き合いのあった参加者から、往年の作家についてのエピソードが紹介されました。 
 
   (井上通泰)  
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  <第79回> 2004年9月 吉行淳之介「原色の街」  
 

 第七十九回「近・現代文学研究会」は、九月十六日、午後六時半から九時過ぎまで、文学会の会議室で行われた。今回取り上げられたのは、吉行淳之介の「原色の街」。参加は、報告者の鶴岡征雄氏を含め八名だった。女性の参加が会の世話役である澤田章子さん一人だったことは遺憾だと、参加者一同から不満が出た。
 「原色の街」は、吉行が芥川賞を受けた「驟雨」に先行する、吉行の代表作の一つであり、娼婦を描いた初めての作品である。今から五十三年も昔の作品であり、鶴岡氏は、当時の事情を理解してもらうために吉原、鳩の街、向島などの赤線地帯の所在を示す地図まで用意された。しかし、鶴岡氏が力を込めたのは、吉行が風俗を書こうとしたのではないということ、一人の女性の?に与えられた圧力や歪みが、その心にどういう影響を及ぼすかを追及するために小説化したのだということである。しかも「原色の街」は、吉行が娼婦について殆ど体験を持たないままに書いたものだという。実験小説とも言えるでしょうかと、鶴岡氏は解説する。吉行はイデオロギーには動かされぬ心で対象をみつめ、透明な文体を堅持する。しかし、自分の感覚でとらえたものを小説に結晶して行くのは至難な作業で、「原色の街」に登場する人物にも類型的な欠陥が見られもするし、難解な作風でもある。主人公のあけみの心理の複雑さ、彼女にかかわる男たちの通俗的な打算についてなど活発に論議が出たが、あけみが、この街から脱け出そうと決意しても、結局は不可能な運命を辿るしかないその姿を作者は冷たく凝視している。吉行の感性は参加者の一人が断言したようにまさに詩人のものだが、一九九四年に亡くなった吉行淳之介の文学世界を近・現代文学史上どう位置づけるかは単純なことではないと思われた。 
 
  (高橋旦)   
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  <第80回> 2004年11月 開高健「パニック」  
 

 第八十回「近・現代文学研究会」は、十一月十八日、日本民主主義文学会の会議室で行われました。今回は開高健の処女作「パニック」(一九五七年八月『新日本文学』)で、報告者は新船海三郎氏。今回の参加者は、雨、風の影響で少なく、報告者を含めて五名でした。
 新船氏は、この研究会への報告のために、資料と年譜を用意され、概ね次のように報告されました。
 (1)開高健は、報告者と同じ大阪市立大学の卒業生である。(2)開高は、新日本文学大阪支部(支部誌「えんぴつ」)の同人であった。(3)大学卒業後、サントリーに入社し、『洋酒天国』の編集長となり、コピーを書いていた。(4)一九五七年二月十八日の「朝日新聞」夕刊の記事〈木曾谷ネズミ騒動記〉を読んで、「パニック」を書いた。(5)この作品が、「毎日新聞」の文芸時評で平野謙に激賞された。
 「パニック」をどう読むか、という問題については、次のように述べられました。
 (1)「個人を超える集団的自我のダイナミックス」を描くことをモチーフとしている。(2)「集団行動の徒労、『巨大な無力感』への過酷な認識」があるが、(3)しかしそれでもなお、「人間は人間であり続けなければならない」ということを書いているのではないのか。
  参加者から次のような感想が出されました。(1)開高健は異色の作家という感じがする。(2)「素材の取り上げ」が面白かった。(3)一夜にして〈パニック〉が解決してしまうのは呆気なすぎる。(4)ネズミのエネルギー、恐怖感のイメージがはっきりしているのに、最後の「やっぱり人間の群れにもどるよりしかたないじゃないか」という一行には違和感がある。
 
   (井上通泰)  
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