「近・現代文学研究会」 第96回(2007年7月)


   大庭みな子 「三匹の蟹」  
 

 第九十六回「近・現代文学研究会」が七月十九日、文学会会議室で行なわれた。大庭みな子「三匹の蟹」が取り上げられ、宮本阿伎氏が報告にあたった。参加者は報告者を含め九名だった。
 宮本氏は、資料として作家の「年譜」と「プロフィール」と「三匹の蟹」群像新人賞・芥川賞受賞時の「批評集」を配布し、大庭みな子を作家として出発させた「三匹の蟹」にとどまらず、原爆体験を反映した「浦島草」を中心に、晩年の『浦安うた日記』にいたる作品群にも目配りしながら話をすすめた。報告の「はじめに」の一章では「三匹の蟹」発表当時の、一九六八年『民主文学』八月号に載った「文芸時評」をはじめ、今年五月、大庭みな子死去に際して発表されたいくつかの追悼文や、『新潮』八月特集号の評論競作等々、最近の状況にも言及した。報告は、作家大庭みな子の全体像に迫ろうとする意欲的なものだった。以下は報告の「まとめ」の要点である。@「三匹の蟹」は特に群像新人賞受賞時大きな世評を巻き起こし、それが芥川賞の受賞にもつながった。「三匹の蟹」は男女の欲望がからみ、ぶつかり、そこにいとなまれてゆく家庭というものは平穏であるはずはなく…自分にごまかしがきかなくなった主婦の、得体のしれない寂寥感をアラスカの自然を背景に描いた作品である。それは、たんにフェミニズムを主張した作品とは言えないはずで、女だから、男だからということに無関係に、「ほんとうのもの」「ほんとうのこと」を求めずにいられず、海辺の街を彷徨する女性のありかたが「現代」を先取りした文学と受けとめられたのではないか。A大庭は、以後男と女の関係の諸相を包み隠さずあまたの物語に紡ぎ続けたが、それが生の根源をなすものだという認識があったからである。生の根源をつきとめようとする大庭は、人間の原初にまでさかのぼり、自然や動植物を多くの作品に描いてゆく。故郷回帰、アラスカからアラスカへ、郷里新潟の蒲原の海のなかへと物語を紡いで旅し続けた大庭は、原爆の悲惨を記憶としてもつ。「浦島草」のなかには「原爆は人間の欲望」だという言葉がある。「その結果、人間自身も亡び」かねないのだと言っているのだ。『浦安うた日記』のなかの「八月の記憶」でもつぎのように言う。《八月が巡ってくるたびに私は十四歳の夏ヒロシマで見た被爆者たちのさまを、血と蛆虫と青蠅を甦らせる…浦安はディズニーの街だ。十四の娘たちはミッキーのキャラクターを求めて集い、夜の花火の爆発音に酔いしれる。六十年まえの「鬼畜」は、今は最大の「友人」というより「主人」である。浦安の花火は明日はイラクの業火かもしれない。この半世紀はいったい何だったのだろう》。B「三匹の蟹」に描かれたのは女性の悲しみであり、絶望であったのかもしれないが、希望のありどころを求めてやまない記念すべき旅の始まりを刻印する作品であったとも言えるはずである。
 討論では、芥川賞受賞時に読んだという人も多く、六〇年代のアメリカの現実と結びついて、作品世界には十分リアリティーがある、作品に「ヴェトナムの話がでたらパーティはお開き」という描写もあり、ここから一種の袋小路の雰囲気も伝わってくるが、当時アメリカでは在ベトナム兵員が五十万人近くにまで膨れ上がり、ベトナム戦争が泥沼化する中で反戦運動なども高揚していたことを想起させる等々議論は沸騰した。   
 
  (土屋俊郎)     
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