「近・現代文学研究会」 第87回(2006年1月) 


   遠藤周作 「満潮(みちしお)の時刻」  
 

 一月十九日、第八十七回近・現代文学研究会が民主主義文学会事務所で開かれ、九名が参加した。遠藤周作「満潮(みちしお)の時刻」について、福山瑛子さんが(1)遠藤周作の生い立ち(2)小説家への道(3)入院、死と向き合う(4)多方面での活躍(5)「満潮の時刻」について(6)遠藤周作の人間像(7)影響を受けた作家、モーリャック(8)遠藤が与えた影響、というレジュメにそって報告した。
 冒頭、報告者は「民主文学」(98年7月号)へ寄せた「遠藤周作展をみて」を示しながら、この遠藤展をみることによって遠藤周作の全体像をつかんだ気がした。また学生時代、自身クリスチャンになりかけた。そういうことから遠藤という作家に関心をもつようになったと話した。
 報告は「満潮の時刻」の章を追いながら、(1)主人公の三度目の危険な手術前後の心象(自分を凝視する九官鳥の眼、キリストの眼、手術に伴う苦痛を自分が戦争に行かなかった償いと思うことにするなど) (2)「踏みなさい、足をかけなさい」というキリストの声を主人公は聞く (3)こうして主人公は身近なキリストを実感するに至ったと指摘し、特に次の点を強調した。この作品は雑誌連載後、単行本化されず死後六年たって出版されたが、それは作者が「徹底的に手を入れよう」と思っていたからで、結核の手術が終った日の夜、夢で踏み絵を見、さらに退院後、長崎に旅して実際に踏み絵を見、キリストの言葉を聞くなど、入院中に大作「沈黙」の構想も芽生えている。その点で「沈黙」とは表裏一体の関係にある作品として無視できない、と。
 討論に入って、遠藤周作が井上ひさし、加賀乙彦などを受洗させたという報告にふれて驚いたという声とともに、病床体験によっているだけあって作品に深みを感じたという評価があった反面、主人公の戦争コンプレックスが強調されるが、どういう戦争だったのかという点の批評が見られない。戦争についての罪ほろぼし的な提起が作中で立ち消えになったり、主人公が信仰者として設定されていないのにキリストの踏み絵のことが後半になって出てくるのも唐突である。「沈黙」には力強さを感じるが、これと比べると「満潮の時刻」はむしろ中間小説的であり、落差を感じるなどの意見があいついだ。
 
  (土屋俊郎)     
「近・現代文学研究会」に戻る



民主主義文学会とは行事案内月刊「民主文学」あゆみ新人賞手塚英孝賞新刊案内民主文学館支部誌・同人誌声明
問い合わせ文学教室創作専科土曜講座山の文学学校文学散歩若い世代の文学カフェ創作通信作者と読者の会リンク