■■ 「批評を考える会」 <2006年6月> ■■

 

 六月二十九日午後七時から文学会事務所で、十人が参加して開かれた。テーマは、『小説の心、批評の目』掲載の稲沢潤子「ルポルタージュと現代」。
 報告者の新船海三郎氏は、まず冒頭の「すぐれた小説が人の心を育み、内省や慰めや勇気を与える例は多いが、すぐれたルポルタージュが同様の影響を人にあたえる場合も多い。私たち民主文学会の内部には、ルポルタージュより小説の方が価値が高いという誤解もしくは偏見が、いまでもかなり広い範囲であるように思う」という箇所を引用しつつ、稲沢氏の論稿が、「何を提起しているか」をていねいに分析、報告した。
 激動の二十世紀を迎えて成立したルポルタージュが、日本で本格的に取り組まれるようになったのは、一九三〇年代。折から日中全面戦争に突入したことにより、「およそルポとはいえない“勝った勝った”の従軍記」が多くなった受難の歴史、戦後になるとノンフィクションという言い方がされるようになって、「現代社会についての歴史的な考察がうすい」傾向が生まれ、「それを助長しているのが大宅壮一ノンフィクション賞」、「受賞者のなかには“南京大虐殺はなかった“の作者がおり、逆に受賞しない作家の作品に『東京大空襲』(早乙女勝元)がある」など問題点の指摘とあわせ、ルポが当初の「出来事の推移をありのまま」から「筆者の価値観で再編成」「人間個人に焦点」を当てるものへと変遷してきたことも紹介。「要は事実を通して真実にどう至っているか、それがどのように表現されているかが大切、そこには小説とルポの価値の差はない」との稲沢氏の結論を再確認する。
 続いて新船氏は、稲沢氏の代表的なルポルタージュ『夕張のこころ』の成立過程を分析した。八一年十月十六日北海道夕張新鉱で大災害が起きたとき、テレビを見、会社に抗議する労働者をみて、「ここに日本の縮図がある」と直感したことが重要、そして現地に飛び、「歴史の証言としてどうしても書かねばならない。それもルポで」と、「モチーフの持ち方の大切さ」を指摘。だが、「社会的な出来事」を個人がルポするには、「他の新聞では読めない、自分にしか出来ないこと。自身の内部を通して物を見、書く」という「テーマと手法」を現地で発見したその意義を語った。最後に筆者の稲沢氏が、「深い考察をしてもらい、改めて考えることが多かった。小説かルポかではなく、対象が、時代が求めるものがあるはず。ただルポはやはりリアルタイムなもの。人間と社会は対立するものではなく、丸ごと捉えるのがこれからのルポになるのでは」と述べられ、収穫の多い集いとなった。                                  
(早瀬展子)

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