草の根からのたたかいを
「九条の会」アピールに賛同して
宮寺 清一 |
(2004年)六月十一日、『しんぶん赤旗』一面トップに「憲法いまこそ出番『九条の会』発足 著名九氏アピール」の見出しがおどった。それを目にした時私は一瞬、あ、これだな!と思った。
実は五月に文化団体連絡会議(文団連)が憲法会議事務局長・川村俊夫氏を招いて憲法についての学習会を開いた。その大要は文団連機関誌『まい』(6/15発行)に掲載されているが、その締め括りのところで川村氏は次のように述べている。
《これだけの人が憲法九条を変えることに反対しているのですから、それがばらばらにいたんではどうしようもない、大きく手を繋ごうと、いうことで五月三日も八団体が事務局になって共産党、社民党の党首が出席する集会を開きました。これは二〇〇一年からやってきて今年で四年目ですけれども、ただ私たちはあの程度の共同では今の改憲攻撃を打ち破れないと思っています。文字通り国民過半数を結集するような共同、これをつくっていく必要があると考えています。文字通り国民世論の過半数を結集するような運動というのがこれからの課題になっていくだろうと思っています》。
そしてその「国民過半数を結集するような共同、これを今準備しています」と川村氏は語ったのだった。期待とともにその言葉がずっと胸のうちにあったから、この日の『しんぶん赤旗』の見出しは私の胸にずしんとひびいた。待っていたのだ。記事に目を走らせると、
《「自分の支えとなってきた柱が倒されようとしているときに何かしようと考えた」「黙って見ているわけにはいかない」「今こそ旬の憲法九条の価値を大いに使おう」。憲法改悪の危機がかつてなく高まるなか、世界に誇る日本国憲法を守り、発展させようと、日本の知性と良心を代表する文化人九人が呼びかけ人になって十日、「九条の会」が発足しました》とある。
呼びかけ人は井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の各氏。まさにこの国の「知性と良心」を代表する方々である。そして記者会見にはこの種のものとしては異例ともいえる約八十人の報道関係者が集まったという。だが、その後マスコミはこぞってこれを黙殺した。取り上げてもせいぜい一段組のベタ記事でお茶をにごした。
それから数日後、私のところにも「九条の会」アピールと九氏連名のアピール賛同のお願いが届いた。それには次のように記されていた。
《……第九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。日本と世界の平和の未来のために、このくわだてを阻むことは、現代に生きる私たちの責任になっていると考えます。/そのため、まず第一歩を踏み出すことが大事と、誠に僭越ではございますが、私たち九人はこのたび、別紙「アピール」のもとに「九条の会」を発足させました。さまざまな憲法九条を守る運動を推進し、立場を超えて手をつなぎあうための一助になればと考えた次第です。/もとより、この事業は各界、各分野でご活躍の皆様のご協力なくしてできるものではありません。つきましては、誠に恐縮ですが、この趣旨をご理解くださり、左記の点に関してお力をお貸しいただければと存じます……》。
私はすぐ「アピール」支持の葉書とわずかばかりのカンパを送った。その葉書に私は「(会の発足は)この国の未来を憂える人々に大きな励ましと勇気をあたえるものである」といった意味のメッセージを書き記した。
それから一カ月余が経った七月二十四日、『「九条の会」発足記念講演会−憲法九条、いまこそ旬―』がホテルオークラで開かれた。例年にない連日の猛暑、不案内の会場だったからいつもそうするように私は余裕をみて早めに家を出た。私鉄と地下鉄を乗り継ぎ南北線六本木一丁目駅を下車、坂の多い道を迷いながらも会場に着いたのは午後一時少し過ぎであった。チラシには開場一時三十分とあって、早すぎたかと思いながら地下二階の会場に下りていくと、入り口付近はたいへんな人混みであった。受付を済ませて会場に入るとシャンデリア輝く広大な広間いっぱいにパイプ椅子が並べられ、すでにその席の半分がとこ埋めつくされていた。会場整理員が席をつめて座るよう指示している。私はなかほどの右側通路ちかくに席を確保した。ほっとして振り返って見れば席は次々と埋めつくされていき、開会二時には後方の壁際までぎっしり人が詰まっていた。一千人が入れる会場だという。「会」の結成とこの日を、やはり多くの人が期待をこめて待っていたのだ。
「九条の会」事務局長小森陽一氏の司会で開会した講演会は井上ひさし、三木睦子さんの挨拶のあと、同じく呼びかけ人である大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔の各氏が講演。持ち時間は二十分程度、そのなかで各氏は自らの人生に触れながら個性豊かにこの時代を語り、激動する世界にいっそう輝きを増している日本国憲法、この憲法の背骨ともいうべき第九条をなんとしても守らなければならない、それはこの国の未来への今を生きる私たちの責務なのだ、と熱く語りかけた。私は今までこれらの方々の話を直接聞く機会をもたなかった。遠く壇上から語りかける仕種も声も、なにより自らのことばを駆使して語られるその話はそれぞれに新鮮で、魅力あふれるものであった。会場を埋めつくした参加者の真剣な眼差しが壇上に注がれ、メモをとり、講演をただ聞くというだけではなく話されることの中身を自らにも問いかけ、その思考の渦が会場を充たしている。私もメモをとりながらそんな感慨にとらわれていた。そして講演会は事務局から年内に札幌、仙台、京都、大阪、福岡、沖縄での講演会開催が報告され、これからの取り組みについて次の三点が提案された。
(1)各地域・分野で九氏が呼びかけた「アピール」に賛同する会をつくる。
(2)ビデオやポスターなど活用し、全国津々浦々に「九条の会」のメッセージを広げる。
(3)大小さまざまな集会、学習会を開催する。
参加者はこの提案を大きな拍手で確認した。
憲法はいま重大な危機にさらされている。公布から六十年ちかい歴史のなかで憲法の五つの基本原則(国民主権、恒久平和、基本的人権、議会制民主主義、地方自治)はそのすべてにわたって後退、形骸化の攻撃にさらされ、今やシロアリに蝕まれたようにぼろぼろになって、ついには重装備した自衛隊がイラクに派兵されるまでにいたった。実際、十年まえ私たちは武器を抱えた自衛隊が軍艦マーチに送られて海外に派兵される姿を想像していただろうか。だが最近では「第三次支援群が出発」として《イラク復興支援にあたる陸自第九師団の第一陣約百四十人が八日夜、クウェートに向かった、第三次隊は約五百人で……》といった記事が一段べたで報じられるようになった(8/9『読売』)。二次、三次とつづき、ついにはそういうことすら報道されることもなく派兵だけが既成事実として繰り返され、こうして海外派兵は「常態化」していくのではあるまいか。国民の目が届かないところで事実のみ進行する。「戦争をしている国」として事態はそのように進んでいるのではないか、という危機感を私はもつ。戦争はある日突然ミサイルが飛んできて始まるのではない。戦争への準備は政治、経済、文化、国民生活のあらゆる面にそろりそろりと食い込んでいき、気がついたときには息もできなくなっている、ということはすでに歴史の教訓として多く語りつがれていることである。
イラク派兵にむけて「旗を見せろ!」「お茶会ではない!」と日本政府を恫喝したアーミテージ米国務副長官は、世界支配のもっとも確かな同盟国である日本をさらに強固な協力者とするために「憲法九条は日米同盟の障害になっている」と憲法を変えろとあからさまに語った。さらに改憲策動の顕著なあらわれとして、自衛隊の海外派兵を促し武器輸出禁止三原則の撤廃を公然と主張しはじめた日本の財界の動きがある。独自に憲法調査会をつくって改憲構想を明らかにする一方で、莫大な政治献金をテコに政党間の改憲論議を競い合わせるなど動きをつよめている。自民党はもちろん、参議院選挙後早速アメリカに飛んだ民主党党首・岡田克也代表はアーミテージと握手を交わし、米国の政界関係者を前にして「憲法を改正して国連決議があれば海外への自衛隊派兵を認める」と九条「改正」を明言したと報じられている。公明党は九条第一項戦争放棄、第二項戦力の不保持に第三項を追加して自衛隊をもつことと国際貢献を明確にする、つまりはそのことによって一項、二項を事実上無効とする「加憲」の方向を打ち出している。こうして今や国会は改憲勢力によって九〇パーセントの議席が占められ、そしてそのターゲットが第九条にあることを公言するまでにいたった。
九条は日本国憲法の背骨をなす。これを変えることは憲法の全体を変えることであり、たとえば、九条のもとである程度抑制されてきた軍事費は際限なく膨れ上がり、その軍事費調達のためにまず狙われるのは教育や福祉など社会保障の切り捨てである、など……。つまり九条を変えることは国民生活の面でも、議会制民主主義や地方自治、平和と人権などあらゆる面で根本から日本の社会体制を変えることにつながる。同時にそれは二十一世紀を核のない平和な世界にとねがう国際世論、とりわけアジアでの孤立化をいっそう深めるだろう。
国会では改憲勢力が九〇パーセントを占めるけれども、しかし各種世論調査では国民の半数以上が「九条を変えないほうがいい」と答えている。ここに憲法を変えない、九条を守る大きな力があり、展望を開くカギがあるのだと思う。
あらためて「アピール」に目を通すと《日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます》という言葉で結ばれている。まさに《いますぐ始めること》が切実に求められているのである。そして全国的にその取り組みは開始されている。
わが文学会は六月二十七日の第三回幹事会で声明「『九条の会』アピールにこたえ、憲法・九条改悪反対の声と行動を」を採択、《全国各地の会員、『民主文学』読者のみなさん、ならびに文学会支部が、憲法・九条改悪反対の声をあげ、心ある多くの人びととともに多様多彩な行動に起ちあがるよう、真心こめて呼びかけ》た。さらに私の知るところでは、詩のパンフ『憲法改悪に反対する』第二集を発行するなどしてきた詩人会議は「『九条の会』のアピールに賛同する詩人の輪」(仮称)準備会事務局を設けて、すでに「九条の会」に賛同されている詩人を中心に呼びかけ人を依頼、その呼びかけ人をもって広く「輪」の賛同者を広げる活動に取り組んでいる。新日本歌人協会は、二〇〇二年六月広範な歌人に呼びかけて行なった「有事法制に反対する歌人のアピール」運動の経験を活かして「憲法九条を守る歌人の会」結成の準備をすすめる、などの活動に取り組んでいる。
ある調査によると、日本国憲法を「読んだ・ある程度読んだ」二九パーセント、「ほとんど読んでない・まったく読んでない」七〇パーセント、という結果が出ているという。読んだこともないけれども変える必要があるという人たちの存在、実はそこに憲法改悪許すな!の声を広げていくうえでのさらなる可能性が示されているのではなかろうか。こうした状況を踏まえながらも、そのために講演会で提起された三つの取り組みを《いますぐ始めること》が私たちに切実に求められているように思う。憲法を守るという一点でより多くの人と手を繋ぎ、創意ある行動を展開しながら、そうした大小無数の活動は大河の一滴としてやがて一つの輝かしい歴史を紡ぎだしていくだろう。私たちは文学・芸術が窒息させられたあの苦渋の歴史を繰り返してはならない。 |