作者と読者の会 これまでの報告・2004年 

 2004年7月

 『民主文学』七月号の作者と読者の会は、六月二十五日(金)夜、文学会事務所で開かれ、七人が参加。作品は安藝寛治「漂流」と横田昌則「星たちの時間」の二作品。

 「漂流」の主人公は、太平洋戦争で片目を失い、戦死した兄の遺した嫂を妻とし、兄の子と実子を育てた漁師。そこへ突然たずねてきた「茶髪」「紫色のジャージー」という一見暴走族風の青年から、「この夏成人式を迎えるにあたり、戦争を体験した先輩たちから、〈あのとき自分は〉というテーマで手記を集めることになった」と、原稿を依頼され、主人公はにべもなく断る。しかし、その後、自ら歩んだ道を回想することによって、「いつまでも戦争の傷を嘗めて生きてきた」自己を発見、「今度青年がきたら、酒を飲みながら、話し、聞こう」という心境になる。
 報告者の能島龍三氏は「現代とも重ね、かつての戦争を後世に伝えることは、意義があり、よくまとまっている」としながら、「主人公がなぜここまでかたくななのか、青年がなぜ戦争体験の収集に熱心なのか、骨格のリアリズム、印象的な造形をもっと。人物が動いていない」など指摘した。参加者からは、「文章がきちんとしている」「方言がたくみ」「読後感がさわやか」など。新潟県新発田市から遠路はるばる参加した作者は、「戦争を現代の視点で描くことは一貫して取り組んできた。十三年前に体験者二人から取材、今書かねばと思った。誤魔化したところを指摘された」と述べた。
 「星たちの時間」の舞台は、無認可の障害者作業所。知的障害を持つ通所者十六人に職員が三人。そこに「素足で、ズボンの裾に泥」「いまどき珍しい黒髪」の若い女性がやってきて、職員を翻弄し、通所者とトラブルを起こす。一方、主人公の青年は組合活動も多忙で、付き合い始めて間もない林田美花とのデートもままならない。その彼女から「離婚歴あり、五歳の子どもが」と告げられ、驚く。時まさに頭上には月が。彼女は言う「月のウサギから見れば私たちは星。手を取り合って星座になりたい」。一方、大騒ぎになった職場も意外な展開を見せ、「彼らこそ大きな星座を作ろうとしている」と、主人公は自身を恥じる。
 報告者の宮寺清一氏は、「作業所を一貫して追求、約二年間に七作も。これはすごいこと」と、意欲を評価しつつ、「障害者との世界と組合活動や恋愛ともからめたプライベートな世界が交互になっていて、どっちがどっち、整理し切れず、未消化なのでは」など疑問も。読者からは、「美花が、人間として輝いていないのはどうしてなのだろう」などと意見・感想が出された。
(早瀬 展子)
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 2004年8月

 『民主文学』8月号の作者と読者の会は7月30日、林田遼子「樹々芽吹くころ」、原洋司「定年列車」を取り上げて行われた。参加者17名。
 はじめに林田作品について吉開那津子さんが「苦労して書いているだろうがそう感じさせない安定した文学世界をつくっている。一人ひとりの姿が鮮やかに描かれ、作者の人物に注ぐ目の暖かさが感じられる」と評価しながら「統合失調症の妹《清子》を取り巻く家族・家庭の世界と労働組合書記として働きながら労働者として新しい人生を生きようとする《悠子》、この二つの世界が《悠子》のなかにどのように整理されているか、文学としてどう深められていくかがこれからの課題ではないだろうか」と報告。合評のなかでは、連作としての構想をもって書かれた短編でないか、ひたすら書き続けている作者に感動を覚えるなどの発言が相次いだ。作者は「私小説にならないよう心がけた。最後のシメに調子の良さがあるかもしれないけれども、私自身何度かぺしゃんこになりながらこのようにして生きてきたように思う」と述べた。
 次いで「定年列車」について岩渕剛氏が粗筋を紹介しながら「自分の職場とおぼしき作品を書き続けてきた作者が、定年を前にして若き日を回顧しながら着実に社会の変化が進むなかでの時代を捉えようとした作品ではないか」と報告。同時代を過ごしてきたという読者からは身につまされたという感想が出され、ここには人生上のひとつの選択が描かれているが全体として甘い感じがする、共産党の専従になることは否定されるべきことか、専従になった場合の視点も必要ではないか、タイトルの意味が分からない、などさまざまな意見が出された。最後に作者は「新幹線に乗ったときいつも感じる感慨で、一時代の青年党員の姿を通して職場に根を張った活動とはどういうものかを考えてみたかった。題名には今なお愛着がある」と語り、さらに感想など話はつきなかった。          
(宮寺 清一)
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 2004年9月

 八月二十七日、文学会事務所で、作者と読者の会が行われた。縣二三男作「鉄の橋」を宮本阿伎氏が報告し、加藤秀子作「遠い春」を丹羽郁生氏が報告した。司会は澤田章子氏。出席者全八名。
 「鉄の橋」は、宮本氏が「自然描写が情熱的」「激しい降雪の中で鉄の橋を目指していく群像が良く描けている」「多喜二の防雪林を髣髴とさせる」等と報告し、出席者の多くからも同趣旨の意見が述べられた。「美しくも厳しい自然と、そこで闘う人々の形象がしっかりしている」「太一という地主が最後の場面で翻意する。躊躇いながらも反対の意思を表すところが胸を打った」「赤ちゃんが泣いた機会に母親が遠慮のない物言いをし、親たちが盛り上がるところがよい」等の評価もあった。
 しかし、短編にしては登場人物が多く、それぞれの人物が必ずしもよく分かるようには造形されておらず、視点がめまぐるしく変わることもあって読みにくい。また、「日中戦争に従軍した者がPTA会長をしていて、ゴールデンバットを吸っていて、分校には電話がないのに一般の家庭にはあり、普通の村民が自動車を運転している」のはいつの時代なのかという時代考証の問題が出される等、整合的に解釈できない部分があり、「描写のリアリティーがテーマに収斂されていない」という意見も出された。
 「遠い春」について丹羽氏は「場面構成、人物の配置が良く、人物が繊細で生き生きとしている。対峙しているところだけでなく、後姿まで良くかけている(授業料を納めて学校の玄関を出る時、靴を片足で引き寄せるように向きを変えて履く姿等)。事務職員を主人公にしたことも成功(の一因である)」という読みを示し、参加者の多くが賛同の意を表した。「事務職員の視角が、授業料の滞納から家庭崩壊を見、子供たちが置かれた現代の学校の状況を語るに相応しい」「子供の家庭がよく分かるベテランの葉子が、想像力に乏しい鹿島と対比的に描かれている。鹿島の行動をはらはらと受け止め、自己批評へと発展させている。百合が授業料を納めに来た時の葉子自身の対応の仕方(母親を引き出す事により生徒の現実と関わる辛さから逃げる)をしっかり描いているのが良い」「取材が行き届いていて、自分の学校なのかと思って読んだ」等、高い評価が示された。 
(海上 晃)
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 2004年10月

 九月二十四日におこなわれた「民主文学」十月号の作者と読者の会≠ヘ、白方蕗子「窯坂」、沼尻利晶「兄ちゃん」を取り上げた。作者は事情があって二人とも欠席、参加者九名で合評した。
 まず山形暁子氏が「窯坂」について報告、「導入部から感性豊かな自然描写で期待感がふくらんだ。早春から年末までの季節と少女の心とからだの変化が丹念に描かれており、構成も見事だ。しかし、所どころで少女に似合わぬ大人の眼に違和感を覚えた」と問題点を提起された。これをめぐり「大人が子どもを書く時に子どもの見える範囲で描くとつまらなくなる。労働する朝鮮人男性が少女の心をとらえることも充分にあり得ることだ」との反論があった。 また「窯坂≠ヘ時間をかけて工夫されている。主題が朝鮮人のことか、母親なのかが曖昧だ。結末の母親への思いは前章にも書いているのでカットした方がよい」「小説のテーマは一人の少女の自我と性の目覚めを戦後民主主義の原点として描いたもの。時間と空間を重層的にした少女の眼がよい。実に丹念な描写力である」など評価が高かった。
 「兄ちゃん」については、森与志男氏が報告。「戦争中は芝居を見ること、まして小屋に忍び込んで「只見」をすることなどは反社会的行為として咎められていた。弟の「ぼく」が主人公になっているが、兄の行為を見ていないのに知っている立場で書いている。兄の体験を自身の体験として書いたのなら実に巧みだ。視点、時間が異なる場面の文章の処理として、一〜二行間をあけるべきだ」「時代考証の点で疑問がある。食料事情の厳しい時期に高校でコッペパンが配給されたのか」「終わりの部分に哀感があってよい。人物がしっかり書かれていなければこのようにはならない」。司会の宮寺清一氏は、「この小説はうまいが、引っ掛かる何かがほしかった。作者が二人とも欠席にも関わらず、突っ込んだ充実した討論が得られた」とのべて会を閉じた。
(高橋菊江) 
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 2004年11月

 十一月号の作者と読者の会は、十月二十九日、十三名の参加者で行われた。
 「壊れたノブ」、報告者、牛久保建男氏。
 作者が十年にわたり「家族」をテーマに描いてきた短編の紹介をしてから、「これまで描いてきた作品の集成として構成も文章も、まとまっている。二律背反をこえて、家族をみる目にひろがりがでてきた。社会の不平等にも目をむけ、自制的に描かれている」と報告。参加者からは、夫の背信という屈辱的な理由で離婚した主人公が肩肘張って一生懸命働き生きてきたとき、壊れたノブをみて、本当のプライドについて考える、もう大丈夫というけど、本当に大丈夫なのかという不安も残るという感想など、いろいろあり面白かった。作者の山形暁子氏は「編集部に何回も励まされて書くことができた。何が原因で夫婦関係がこわれたのだろうかということがテーマだが、女性が一人で生きていくのに、ぶつかる退職金や年金、銀行からの借入等、社会の矛盾についても描いてみたかった」と述べられた。
 「俳人孤城」、報告者、乙部宗徳氏。
 まず、報告者は作中にでてくる俳人村上鬼城は正岡子規に師事した、「ホトトギス」の俳人で、代表的な句の紹介をしてから始まった。
 「実在した主人公、老俳人孤城の人生は何だったのか、無意味で、虚しい人生だったのだろうか、これだけでよいのかと、考えさせられた。文章や文体に風格があり、瓢箪を植えている路地から玄関の描写など生き生きしている」と報告。無名のまま死んでいく俳人の生涯に普遍性がある。孤城の妻は、夫をどうみていたのだろうか。作句が少ないのではないか。一心不乱に俳句にうちこんだ一俳人の生涯は感動的。夢にでてくる句帖をぶらさげた孤城の姿をすがすがしく感じた等々、参加者の評価をうけて、作者井上通泰氏は「義父の俳人としての姿勢をみて、自分の文学への思いを描きたかった」と語った。
(原 恒子) 
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 2004年12月

 二〇〇四年の支部誌・同人誌推薦作品募集に応えた小説三十八編から入選作となったのは七編、そのうち新潟支部の片岡弘「源さん」が優秀作となった。「源さん」と入選作の天野健「翔太の母像」の合評会は十二月四日午後三時から開かれた。天野さんの欠席を惜しみながら参加者十二名は、片岡さんてどんな人、などと言いながら待った。新潟から電車を乗り継ぎ上京した片岡氏が現れた時、皆から出た言葉は中越地震に遭った遠来の友を心配するものだった。報告者は鶴岡征雄氏。主題は「時代」だろう。きちんと押さえられているが、反面で主人公「ぼく」の形象、「ぼく」と「源さん」の関わりが薄まったのが残念と報告。方言の使用にも工夫が欲しい、と批評。討論では、銭湯での出会い場面がいい、源さんの夫人の描出の良さが雰囲気を醸したなど好評が続く一方、モチーフを知りたい、結末が着地し切れていない、主人公に転機などの山場が欲しかった、時代を示すディテールがやや不正確、地の文での「…と思う」の多用は読み手の感銘を殺ぐといった意見も出された。最後に片岡氏は「時代に苦悩する『加納』と、彼を癒す者として『源さん』を置いた。双方とも私の側面。虚構でモデルはない」と語り、出席者一同やや驚く場面で終った。
 「翔太の母像」について鶴岡氏は、定年を迎えた教師が教え子により転機を得るという主題が判り易く描かれている。だが、中年に成長した翔太の二十五年の人生が書かれていたら重量感のある作品になっただろうと報告。参加者からは、過去をはさむ前後に現在を置く構成は成功、爽やかな作品だが胸に迫ってこないのはなぜか、四十歳の翔太が少年のように思える、この作品も結末が不自然だ、再会場面での主人公鎌田と翔太との人生の対決をもっと書いて欲しかったなどの意見が出た。
 「新人をはげます集い」は、「源さん」が各地の支部で合評される話も出て、新人、旧人ともに励まし合う楽しいものとなった。  
(稲葉喜久子) 
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