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十一月号の作者と読者の会は、安藝寛治「恩給の子」と井上通泰「赭土の風景」がとりあげられ、十一月二十七日に文学会事務所で行われた。司会は風見梢太郎氏、出席者は八人。
「恩給の子」については、作者の出席がなかったが、丹羽郁生氏が報告。作品の前半は商店主の主人公の経営上の困難などがリアルに描かれてひきつけられたが、終りの三分の一で戦争犯罪と軍人恩給が浮上する構図には唐突さがあり、作者の意図の曖昧さがみえると指摘した。帰省した娘が祖父の戦争犯罪を知って衝撃を受ける部分では、若い世代の戦争についての受けとめ方を問題にしている点を買いたい。が、戦争体験のなかみは描かれず、恩給の恩恵へのこだわりに結びつけているところはリアリティーがなく、弱点になっていると批評した。
出席者の感想も報告と同感のものが多く、商店街など町の変貌や移動販売の場面の読みごたえがあるだけに、恩給のとらえ方に説得力がなく全体のまとまりを欠いていることを惜しむ声が強かった。
「赭土の風景」を報告した山形暁子氏は、まず井上氏が一九九三年六月号の初登場以来十三年間に十三の作品を発表していることを紹介。バブル経済の歪みのなかでの過労死を描いたこの作品は、着眼が面白くテーマ性があり、ニュータウン建設予定地の荒野と化した風景は、デテールに支えられた描写力がすごいと評価しながらも、違和感が残ると指摘。死んだ異母弟の人物像が客観的に描かれていないこと、会社設立がバブルの尻馬に乗っていることへの疑問がないこと、葬式の相談の場面は不要などと論拠を示した。
出席者からは、方言に生活感がにじみ出ていることや風景描写の確かさなどの評価とともに、労災認定の部分への批判が出された。
井上氏は、一九八五年のバブル期の異常のなかでの弟の死を描きたかったが、社会的な意味を加えようと労災の追求の部分を書いたのは考えが浅かったと、身を縮めるようにして語りながらも、今後の課題への意欲を示した。 |
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