2005年5月に開いた第21回大会の報告です。第20回以降の大会報告
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  歴史の岐路に立ついま、民主主義文学運動の力強い発展を
         ――日本民主主義文学会第21回大会への幹事会報告――
                                                                         報告者  新船 海三郎

 日本民主主義文学会第二十一回大会は、憲法九条を焦点として、わが国憲法の平和原則を守るのか、それとも、いつでも戦争する国へと憲法を変えるのかの重大な歴史の岐路で開かれる。プロレタリア文学運動と戦後民主主義文学運動の伝統を受け継ぎ、ことし創立四十周年を迎える日本民主主義文学会は、憲法擁護の立場をあらためてつよく主張する。
 平和とともにあることは、文学・芸術の本然の姿である。
 私たちの文学は、侵略戦争に反対し、天皇制の暗黒支配に抗い、戦後の民主主義の息吹とともに歩んできた。生活し、明日へと生きていく人びとのもっとも身近にあり、戦争をする国づくりとは対極にあった。
 日本民主主義文学会第二十一回大会は、その伝統を今日に受け継ぎ、私たちの文学に負託された歴史の課題にこたえる重要な契機にしなければならない。そのために、規約を改正し、名称を変更して歩んできた前大会後の二年間の活動をふり返り、創造と批評のいっそうゆたかな実りと、組織力量の発展方向を探究したいと考える。

 一、文学会創立四十年、戦後六十年を迎えて

 戦後文学は、十五年に及ぶアジア・太平洋戦争、日本の侵略戦争によって、二千万人のアジア諸国民、三百十万人の日本人の死者をはじめとする空前の犠牲のうえに出発した。文学者は、筆を持ち、また枉げて参加、協力した痛苦の反省から、逼塞させられていた理性を取り戻し、また、自由に書けることの喜びを至上のものとして、なによりも戦争・戦場の実相をえがき、人が人を殺傷する非道と無惨を告発した。朝鮮、台湾などへの皇民化政策が人間の尊厳を奪っていく理不尽や、対外侵略が国内の統制・弾圧をつよめ、自由と民主主義を根こそぎにし、思想・信条、言論・表現の自由を奪っていく様を映した。天皇制権力に流され、駆りたてられていった人びとの真情をとらえ、一個の人間としてつよくあることを訴えた。八月六日、九日の広島・長崎への原爆投下、その犯罪性を惨状と傷痕のリアルな描写とともに問いかけた。そして、アジア・太平洋戦争の本質に迫り、戦時下にもつらぬかれた人間の愛や友情の美しさをえがくことで生きる尊さを語りかけ、戦争とそこへの道をふたたびくり返さぬことを心に誓った。
 戦後文学を積極的にになった新日本文学会は、創造・批評活動とともに文学と政治、歴史とのかかわりを探り、文学者の戦争責任を問い、平和と民主主義の一助として、また、働き暮らす人びとの明日への糧としての文学、文学運動を追求した。
 戦後日本を支配した連合国の中心であったアメリカの対日政策の転換、天皇制権力のもとで醸成させられてきた反共的風土が戦後社会にも根強く残ったことなどは、社会発展の方向と文学のありようをめぐる議論に、複雑な影を落とした。プロレタリア文学運動もまた天皇制権力とたたかい得なかったと、その「戦争責任」を指弾したり、小林多喜二もまた「革命的」政治の犠牲者だったとして、政治からの文学の自立を説く「政治と文学」論も展開された。
 新日本文学会は、それらを内包しつつ運動を展開した。しかし、一九六〇年の日米安保条約の改定の時期が迫るにつれて、日本の現状をどう見るのか――もはや帝国主義的に自立していると見るのか、対米従属下の高度に発達した資本主義の道をすすんでいると見るのか――、また、文学運動を流派の連合的組織としてすすめるのか、さまざまな創作方法を認めつつ統一してすすめるのか、など意見の対立が際だつようになった。民主的文学運動の発展を願う人たちは「リアリズム研究会」を発足させ、各地にその支部をつくるなど全国的に連絡をとり合いながら創造・批評活動をすすめた。
 一九六四年の新日本文学会第十一回大会は、いわばそれらの集約点であった。当時の新日本文学会指導部は、日本の現状について「帝国主義的自立」論の立場をとり、ソ連が押しつけてきた部分核停条約(部分的核実験停止条約。地下核実験を認め、核兵器禁止につながらないと多くの反対があった)の支持をうたい、創作方法としても、日本共産党の「前衛性」と対抗するかたちでのアバンギャルドや、リアリズムとアバンギャルドの統一を提唱するなど、セクト的な立場を運動方針に押しつけてきた。少なくない会員がこれに反対し、対案を示したが、新日本文学会の指導部は反対者数人に「除名」を通告し、会から排除するという、文学運動としてはもちろん、民主的団体としても考えられない暴挙に出た。
 もはや民主主義も文学も語り得ない組織となった新日本文学会の現状を前に、翌六五年八月、戦後民主主義文学運動の初心と成果を受け継ぐ意思を明確にして日本民主主義文学同盟が創立された。
 九十三人の同盟員、七百五十三人の準同盟員で出発した文学同盟は、リアリズム研究会の機関誌『現実と文学』を継承するかたちで『民主文学』を発刊し、旺盛な創造・批評活動を展開した。
 私たちの文学は、なによりも戦争に反対し、平和と民主主義の一貫した守り手としてあった。
 創立大会は、アメリカのベトナム侵略戦争をきびしく批判したが、以来、最近のアフガン爆撃、イラク侵略・占領支配にいたる四十年をふり返っても、私たちの文学の主要な主題、題材は反戦・平和、民主主義にあった。日本文学とそれをとりまく思潮の渦が、アジア・太平洋戦争における日本の侵略を「聖戦」と美化し、個人としての軍人やその精神賛美を主題にしたり、戦争を「世界に開かれたよき時代」といった主張など、侵略戦争を肯定する歴史の歪曲を執拗、強力にこころみるなかで、その営みは戦後文学の基調を受け継ぎ発展させるものとして重要なものであった。
 四十年の私たちの創造活動は、つねに、人びとの労働と暮らしの現実にリアルな目を向けてきた。
 わが国経済の高度成長とその破綻、バブル景気と破綻、そして「大失業時代」といわれる不況、リストラというすすみ行きや、それにともなう産業構造や労働形態、労働者の意識などにあらわれた複雑な変化のなかで、日本文学はその作品から人びとの労働の姿や生活の現実を見失っていった。リアルにそれをとらえることが、あたかも時代遅れであるかのような論調もふりまかれた。
 民主主義文学が、労働現場にこそ現代日本の原点、階級矛盾の集中点があることを明らかにし、そこを舞台とした創作を重視してきたことは、日本文学の欠落を埋めるにとどまらない意義を持っていた。
 創作方法の自由をかかげ、多様な題材にいどんできたことも、この四十年の創造活動をつらぬくきわめて重要なことであった。
 私たちの文学は、生きがたい現実にめげず、ひたむきに生きる人びとの心のうちを多様な作品世界に映しとってきた。現実がはらむ発展性と、ありふれた日常にも離れがたく結びついている社会をとらえかえすことを通じて迫真力ある作品世界を創造し、そのことによって、読者一人ひとりの生き方を励ますものとなってきた。
 七〇年代半ばの「戦後第二の反動攻勢」時の反動的・反共的文芸思潮、八〇年代はじめのポスト・モダン、近年の歴史教科書の書き換え要求、改憲論などにたいして、私たちが批評活動を中心に批判を加えてきたことも重要なことであった。
 私たちの創造・批評活動は『民主文学』によって支えられてきた。
『民主文学』はこの四十年、なんどか発行の危機を迎えたが、一九七三年末から翌年初頭にかけての「石油危機」による用紙不足、紙代の高騰にさいしては、大幅な減ページで対応して乗りきった。九三年からは、累積する赤字解消のために新日本出版社発行から民主主義文学同盟の自力発行へと切り替え、発行を維持してきた。
「いちばん身近な文芸誌」として、『民主文学』の月刊を会員・準会員、読者の力で守ってきたことは、現代日本文学史の重要な一事といわなければならない。
 
 戦後政治を支配的におしすすめてきた対米従属・大企業中心の自民党の諸施策と国民生活との矛盾は、時代を経るごとに大きく、抜き差しならないものとなっている。しかし、その打開の道やそれをになう勢力をどのように考えるかについての議論はさまざまに展開され、文学にも小さくない影響を与えてきた。
 一九六九年の民主主義文学同盟第三回大会直後や、八三年の「『民主文学』四月号問題」をきっかけとして起きた、一部の常任幹事の文学運動からの離脱という事態もその反映といえる。彼らは、「既成の思想」との対抗などを標榜し、また、「前衛不在」論や共産党からの「自主」論を主張した。文学運動をそのような特異な思潮のものへと変質させようとするこころみは、当然にも文学運動内外から批判を受けた。
「四月号問題」は、日中文化交流協会によって中国を訪問した日本の文学者代表団を、『民主文学』編集部などがあえて肯定的に評価したことをめぐって起きた。当時の日中文化交流協会は、六〇年代半ばからの中国文化大革命を受けて、中国によるわが国文化運動への干渉をになった団体であり、それに対して無批判な態度をとることは、文学運動の対外的自主性にかかわることであった。八三年の文学同盟第十回大会は、これを重大な誤りとしてきびしく総括した。
 文学運動は、こうしたいくつかの曲折を経てきたが、現実とそれが内包する発展性を重視しつつ、創作方法の自由を守ってきたこと、また、平和と民主主義、社会進歩のために献身し、広範な人びとと協力・共同してすすむことを大切にしてきたことが、運動を統一してすすめる根本の活力であったことは銘記されなくてはならない。このことは、題材を多様にし、より高い創造成果と多くの新しい書き手を生む力であり、私たちがもっとも尊重すべき命題である。中国、アジアをはじめ外国文学者、文学団体との交流もまた、今日の時点であらためて検討、発展されなくてはならない。
 
 この間の文学運動の発展にとって、一九八一年の第九回大会で「民主主義文学とは、さまざまな対象を社会の民主的発展の方向をめざしてリアルにえがく文学である」とその結集基準を明らかにしたことは、きわめて重要な提起だった。
 提起は、統一的な創作方法の探求を運動の課題にしようとした運動初期の混迷や、とりわけ八回大会とその後に起きた、創作方法の「自由」のことさらな強調から作品評価が評者それぞれのものになったり、その反動から「たたかい」や「たたかう姿」の形象を一律に作品に求めたり、また、人間存在を社会的関係や階級関係を無視して人間一般の評価に置き換えるなど、創作方法や批評をめぐる種々の議論を総括してのものだった。議論と諸傾向の混乱を止揚したこの提起は、民主主義文学の創造・批評活動をいちだんと活発にし、積極的なものにした。職場を基礎にした新しい書き手を多く輩出し、批評を活気づかせた。一部に、提起を誤解し、作品に「社会の民主的発展の方向」の有無を表面的、浅薄に問うたり、これを作品評価の基準に機械的に敷衍する意見も出されたが、文学運動は、それらの一面的な批評姿勢を正し、整理する努力を粘りづよくつづけてきた。
 前大会の規約改正と、文学同盟から日本民主主義文学会への名称変更は、そうした議論をふまえつつ、文学同盟創立以来の積極的な成果を受け継いで、民主主義文学会が創造・批評、普及の諸活動を通じて文学・芸術の民主的発展に寄与する作家・評論家の団体であるという、組織の基本的な性格をより明瞭にするものだった。それは、平和と民主主義、日本社会の民主的発展のために貢献することを当然の前提にしつつも、それらの課題を形象、表現を通じてどのように作品世界に結晶するかは、単純化を戒め、性急な一致を求めず、なにより文学作品としての深さ、大きさをこそ追求していくという見地に立つものであった。民主主義文学がそうしてより多くの文学者と文学愛好者に門戸を開き、そのひろい土壌をゆたかにすることができるなら、私たちの文学はいっそう発展するにちがいない。規約改正、名称変更はその可能性を開くものであった。
 前大会直後に「新日本文学会」の解散が表明され、今日、民主主義文学をかかげる文学運動は私たちをおいてはなくなった。私たちの責任は、従来の弱点を止揚する意味も加わっていっそう大きく、重くなっている。
 
 人類と世界の大命題にどのように向き合うかは、文学・芸術の真髄である。
 一国主義をつよめるアメリカであるが、その軍事戦略への世界の批判は大きな一つの流れをつくり出しつつある。ブッシュ米政権への卑屈なまでの追随者である小泉内閣もまた、イラク国民をはじめアジア・世界の良識のきびしい批判の目にさらされている。
 世界の世論と歴史の流れの大勢は、武力紛争の解決の手段としての軍事力の行使を抑制し、話し合いによる解決の方向を真剣に模索している。一九九九年にハーグ平和会議百周年を記念して開かれたハーグ世界市民平和会議は、「二十一世紀の平和と正義を求める課題(アジェンダ)」を採択し、その第一項で「各国議会は、日本の憲法九条のように、自国政府が戦争することを禁止する決議をすること」をあげた。「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」というわが国憲法の九条は、めざすべき世界平和の方向への先進的な道とされているのである。
 そうした国際世論と歴史の流れは、必ずしも私たちの眼前の現実と一致していない。わが国では、自公連立内閣に多数の議席を与え、民主党も加えて第九条をふくむ明文改憲を政治の焦点にしている。ねじれ現象であるとはいえ、それら改憲の動きは未曾有の規模と内容を持ち、憲法とわが国の進路をきわめて危険な事態に直面させている。
 日本が戦争のための軍事力を保持する国へと変えられようとしている歴史の岐路で、文学もまたそのありようが問われている。昨年六月、わが国の作家・評論家らが中心となって「九条の会」が結成され、憲法擁護の声をあげたのは偶然ではない。いかに生きるべきかを問いかけてこその文学・芸術であるからにほかならない。平和と民主主義、社会進歩の道をすすもうとする私たちの文学が文学・芸術の本道であり得るのは、そのゆえである。その民主主義文学をどれほど大きくつよくしていけるか。今日の私たちに課せられているものは大きく、重い。
 社会と人生の真実を多様な題材に映す今日の民主主義文学に求められているのは、社会の現実に相渉って今日から明日へと生きていく、書き手それぞれの芸術的、全人生的な誠実さである。民主なる文学は、心から奏でるその歌声ということ以外ではない。
 戦後六十年、文学会創立四十年の到達をふまえ、私たちは勇気を持って今日の世界と人類の主題に立ち向かい、歴史の局面が求めるより高い創造・批評の多産の実りを期さなくてはならない。

 二、日本文学の動向および情勢の特徴

(一)アメリカ・ブッシュ政権と財界のつよい「要請」を背景に、憲法改悪の動きがかつてなくつよまるなかで発足した「九条の会」は、日本国憲法の今日に持つ重要性を説き、第九条を守る、憲法を守るという一点での共同を呼びかけた。呼びかけにこたえて、すでに千五百を超える地域、各層各分野ごとの呼びかけを支持する会、独創的で多彩な「九条の会」がつくられ、ひろがっている。
「九条の会」の呼びかけは、第九条の改定に六割以上の人が反対している世論や、「戦争をする国」への傾斜とひそやかなファシズムの浸透を危惧する声なき声を一つに合流させ、改憲を阻止する現実の力をうねりのようにつくり出しつつある。
 井上ひさし、大江健三郎ら「九条の会」の呼びかけ人の多数が文学者であることは、あらためて文学の社会的責任への自覚の大きさを示すものとなった。侵略戦争への加担の反省と反戦平和・民主主義、個人と人権の確立、文学・芸術の再生を求めて出発した戦後日本と戦後文学の原点にこそ、人間とは何か、人はどう生きるかを問う文学・芸術の開花の道がある。「九条の会」に示された文学者の意思は、そのことの痛切な呼びかけでもある。
 戦後文学史は、文学者の社会的行動と発言という面で見るなら、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など世界的規模での戦争にたいして、また、軍事同盟の強化や核兵器の大量保有、使用の危険にさいして、そのつど個人においてあるいは共同して戦争反対、核兵器禁止、憲法擁護の声をあげてきた歴史でもある。
 一九九一年の湾岸戦争後、ペルシャ湾の機雷除去を理由に自衛隊の海外・出動・が強行された。「国際貢献」という美名をかかげて、わが国政府は以後、国連平和維持活動への参加や日本周辺地域での米軍支援を可能にする法律を九〇年代に次つぎに強行し、なし崩しに自衛隊の外国領土での活動をひろげてきた。この十余年の事態をふり返ってみるなら、湾岸戦争にさいして、わが国の当時の中堅・若手文学者が「日本国憲法を守れ」と声明を発表した意義はけっして小さくないものがあった。
 この間、日本ペンクラブが『それでも私は戦争に反対します』を緊急出版し、この数年、四回にわたって「いま、戦争と平和を考える」集会を開いてきたことは、言論人の意思の在りどころを示すものとして重要であった。私たちもまた『民主文学』で特集「憲法改悪を許さない 緊急発言」を組み、詩人会議・新日本歌人協会・新俳句人連盟とともに文学四団体による「イラク派兵、憲法改悪……いま 何を どう書くか 四・一〇文学のつどい」を成功させてきたことなど、発言と行動をひろげてきた。
 文学が現実政治に働きかける直接的な力は大きなものではない。個としての人間存在の本来的な美質や希望をえがこうとするものにとって、強権政治は凶暴にそれを蹂躙し、虐げてくるように映る。政治の強圧に文学は時に動揺、消沈し、萎えがちにさえ見える。しかしそれをくり返しつつも、真の文学はやはり人類の死活的命題にこたえたいと願い、何度も勇気を奮い起こして、人間理性に働きかけようとするのである。
 民主主義文学会は、「九条の会」の呼びかけに賛同し、すでに各地でさまざまに活動をすすめてきているが、これをいっそうひろく多様に推進することは、文学会結成の原点と存在意義を問われる第一義的問題である。
 とりわけ、全国的また地域的レベルでの文学者の共同をこれまでになく広範にひろげるために力を尽くすことが重要である。
 
(二)昨年初頭のイラクへの自衛隊派兵の強行、駐留延長は、わが国の言論・表現の自由、また内心の自由をふくむ思想・信条の自由をめぐって、きわめて憂慮すべき事態を生み出している。
 派兵直後には、公衆トイレの落書きに対して建造物損壊罪を適用する判決が出されるという前代未聞のことが起きた。本来、軽少にあつかわれる「事件」がこのような異例の判決となった理由は、落書きが「戦争反対」「反戦」であったからだといわれる。その後も、集合住宅の郵便受けへのビラ配布を住居侵入などとして逮捕拘置、米大使館前でのハンドマイクによる抗議行動を暴行容疑で家宅捜索するなど、異常な事態は枚挙にいとまがない。ビラ配布にたいしては検察の起訴を退け政治活動の自由を尊重する判決が示されたが、その直後には、判決を嘲るかのようにマンションでの政党のビラ配布を咎めて逮捕勾留する事件が起きている。
 昨春の『週刊文春』販売差し止め事件は、プライバシーや個人情報保護と報道の自由との関連を念頭におくべきではあるが、現代日本が事前検閲による販売・出版差し止めが起こり得る社会になっていることを示すものであった。しかもこれが、イラクへの自衛隊派兵や有事関連法案の国会上程のなかで起きたことは、偶然ではない。
「いま戦前と似ているのが情報統制」などの声もあがっているが、昨春のイラク人質事件にさいして起きた「戦時下」の集団ヒステリーにも似た「自己責任」論の洪水は、政府・官邸による世論誘導とマスメディアの同調ぶりを示すものだった。また、昨秋の幸田証生氏拉致、殺害事件では、米側発表をただ流すだけで検証機能を持たない日本政府・マスメディアの脆弱、報道統制への自己規制の危険をあからさまにした。
 従軍慰安婦にかかわるNHK番組に対する自民党政治家の介入と、それを受けての番組改変は、今日の言論・表現、報道がおかれているもっとも危険な事態の一端を浮き彫りにした。報道番組の政治家への事前説明を「通常業務」とするメディアの姿勢と、「公正・公平」などの言葉による介入を「当然」とする政権筋の姿勢は、相乗して、アジア・太平洋戦争の基本性格とその責任をあいまいにし、歴史認識の変更をも迫っている。
 『週刊ヤングジャンプ』連載漫画の南京大虐殺の描写を右翼団体などの抗議によって削除した事件など、歴史教科書の採択問題とあわせ、歴史的事実を隠蔽・歪曲、修正しようとする一連の動きもまた、つよまっている。
 昨年につづく今春の卒業・入学式にさいして、東京都が「日の丸・君が代」を強制し、従わない教職員らあわせて三百人を超える人たちに処分、厳重注意などをおこない、「再発防止」と称して研修受講を強要した事態は、個人の内心の自由をふくむ思想・信条を侵すものとして憲法上断じて認められるものではない。作家でもある都知事は、これをあげて「東京から日本を変えていくことになる」とうそぶくが、その未来日本の像はかぎりなく六十年前までの強権国家のイメージに近い。
 教育の目的・目標に「愛国心」や「国家への貢献」をかかげようとする教育基本法の改悪も具体的な日程に上っている。
 有事関連法が強行され、軍事行動を自由におこなうための国民統制・管理・動員の諸施策が具体(案)として示されてきているが、憲法改悪の大きな流れを目に見える底流としつつ、政府・与党の戦争政策への批判的言論・表現を封じ、もっとも尊重されるべき思想・信条の自由をふくめて、学校教育の現場から日常生活まで、国民の自由を抑制して国家的統制下におこうとする策謀が、日ましに身辺の生活現場につよまっている。
 今春からの個人情報保護法の全面施行、報道・取材規制を視野においた人権擁護法(案)、批判の自由を制限する意図を内包した改憲のための国民投票法(案)、自民党憲法草案に見られる言論・表現の自由や人権の規制などもあわせ、言論・表現、思想・信条の自由、また基本的人権を覆う実質をともなった抑圧的な悪潮流は、いまこの時に何を書くべきかを私たちに問うている。
 
(三)この間の日本文学に特徴的なことは、9・11テロからイラク戦争、占領統治と無差別殺りく、報復テロという、果てしなくつづきかねない暴力の連鎖を断ち切るために、人間理性の覚醒をくり返し問いかけてきたことだった。
 大江健三郎は、一九八四年を作品の現在時点にして、百二十年前の日本と八十年後の日本を三人の兄妹に往還させる『二百年の子供』を著し、過去をつくり直すことはできないが、未来はいまをどう生きるかでつくり出すことができると呼びかけた。池澤夏樹『静かな大地』は、明治初期の北海道を舞台に、アイヌとの共生を願って暮らしをともにする一家の歴史をえがいた。少数民族を異質者として屈服させ、排除、侵略する強権への批判を底流とした作品は、倭人とアイヌとの関係におけるそれだけでなく、9・11後の今日の世界を問うものでもあった。国家のあり方、組織と人間の関係につよい関心を持ってきた丸山健二は、『銀の兜の夜』で従来の作品に色濃く覆っていた虚無や破壊感を超え、狂気や暴力の象徴としての銀の兜を海中に沈め、希望に向かって船出する主人公の姿を描出した。
 今日の現実を撃つ力をどのようなものに構想するか。現実は作家たちの認識にこれまでになく鋭敏に働きかけている。
 画家でもある司修は「ピアフの歌のように」で、第二次大戦下のナチスの強圧に抵抗したカザルスやピアフを点描し、果たして自分もまた、そのような状況におかれた時に同じように対応できるか、あるいは、自分で動いているようでいて実は動かされていることでしかなかった時流と個人の関係を作品の語り手に自問させ、読者に問いかけた。
 林京子「希望」が、八月九日の長崎被爆から起ちあがり、子を産む決心をするまでにいたる女性をえがきつつ語りかけるのは、絶望の哀しみの末にたどりつく再生への渇望と慈しみである。原爆投下によるおびただしい死傷者、一面の廃墟の現出は、人間の悪意の底深さを見せつけたが、同時に、極限におかれた人間の苦しみを見た人びとを優しくならざるを得なくさせた。そこに新しい希望を見出したい作者の願いは、惻々として胸を打つ。
 古処誠二『接近』『七月七日』、荻原浩『僕たちの戦争』、三崎亜記『となり町戦争』など、戦争体験を持たない若い世代による戦争、戦場とその時代をとらえ直す作品が少なからず発表されたことも、今日の日本の急所を射程にとらえた文学動向のこの間の一つの特徴だった。
 今日を生きる者の歴史意識、また歴史と人間の相関を提起しようとするこころみは、二〇世紀末からの日本文学に顕著にあらわれてきた特徴だったが、この間も、柳美里『8月の果て』など、重厚な作品が発表された。作者自身の四代にわたる家族史を、「名前」を鍵に創氏改名や従軍慰安婦への連行、弾圧など、日朝および朝鮮半島の近現代史にかさねた作品は、従属させられる民族の悲哀、屈辱、抵抗をとらえつつ、人間にとっての自由とは何かを問いかけた。
 家族史から歴史をとらえ直そうという点では、辻井喬『父の肖像』もまたその一つである。西武グループの創業者をモデルに二男の目からその生涯を追い、父と子をえがくことを通じて戦時下から戦後の時代を切りとった。江戸時代初期の長崎を舞台に、市民的自治・自律を守ろうとする者と、介入し利権をあさろうとする者を対比し、為政者の腐敗や外国侵略の企図の愚かしさをえがいた飯島和一『黄金旋風』など、歴史事実を題材に現代社会、政治を映し出そうとするこころみも注目された。
 しかし、他方、村上龍『半島を出よ』がはらむ危険も指摘しなければならない。北朝鮮軍による福岡上陸、九州の分離・独立を近未来の物語にした作品は、政権政治や官僚機構への批判を含みつつも、平和・民主のたたかいを軽視し、有事への備えや危機管理の強化を説き、現代政治の一方の流れと微妙に和するあやうさを伴っている。
 
 殺伐とした昨今の現実社会では、今日を生きる人間の心を荒ませ、目を覆う事件が頻発している。その深奥を少なくない作家は手探りながら作品世界に切りとろうとしている。
 村上春樹『アフターダーク』は、現実を支配する見えない巨大な存在を暗示しつつ、生きがたい現代に諦観せずに生きていこうというメッセージを込めた。
 小川洋子『博士の愛した数式』、川上弘美『光って見えるもの、あれは』、佐伯一麦『鉄塔家族』など、本来あり得るはずの人間の美しさ、人と人との結びつきの尊さを主題にとる佳作が、多くの読者の共感を呼んだのもこの間の特徴だった。八十分しか記憶が持たない老数学博士と家政婦母子の友愛をえがく「博士の愛した数式」は、数字、数式の魅力を語りながら、オイラーの数式なども持ち出し、諍いを沈めるために1を加える人間の知恵、見識をも問いかけた。
 
 しかし今日の現実は、文学の主題、題材を作者が把握し得ると信じられる身近の世界に限定してえがく「狭窄の傾向」をつよめさせ、他方、「出版界全体が、売れればいいと変わってきている」「いまは出版社の性格も、まず利益追求に変わり、その分編集者の苦労がある」といわれる出版界の商業主義のいっそうのつよまりのなかで、暴力、セックス、ドラッグといった現代社会の病理現象を作品の現実に無批判に映す傾向をとくに若手作家たちに選ばせている。
「狭窄の傾向」と暴力・刹那主義は表裏のものといってよい。自分にだけ向けられる愛や優しさを求めて逼塞する心の働きと、自分の存在を分かってはくれない目の前の現実を破壊してしまいたい衝動とは、人間が社会に働きかけ、また働きかけられて成長する過程の拒否である。文学は、それがなぜ引き起こされ、何によって生み出されているのかを、作者が作中人物とともに追求するところに、現実以上の迫真の世界の描出を可能にする。
 現代文学の陥穽は、現状を現状として、そのなかでひそやかに自分なりに生きていく、あるいは逆に、暴力的衝動のままに社会や人間とわたり合っていく、その姿を感じるまま、思うままの文章で描き出すことに止まっているところにある。書き手の主体が社会の現実にどこまでもかかわり、こじ開けてでもその深奥を掴みだそうとするのでなく、それを拒否するかのようにどこまでも傍観的な位置に立ち、逼塞であれ凶暴であれ、眺めやって描き出す世界は、物語としてどのようにつくり出されたとしても、それが読者の求める人生の扉をたたくことはないだろう。
 わが国の近代文学以来追求してきた、社会と人間の相関を文学がどうとらえるかという課題の、こうした今日における一つの相貌は、民主主義文学をふくむ現代の書き手すべてに、文学とは何かをあらためて問いかけている。
 
 この間、少なくない批評家のあいだで「近代文学の終焉」「小説の終焉」論と、他方、それに対して「近代文学のやり直し」を主張する議論がかわされてきた。
 柄谷行人、福田和也、川西政明ら議論の一方は、ソ連・東欧の「社会主義」崩壊を受け、一九九〇年代に入って急激に進行したグローバリゼーションが、文学がかつて果たしたネーションの形成やナショナリズムの核としての役割を奪ってしまい、対抗する力も持たなくさせてしまっていると指摘する。また、つねに歴史とともに歩いてきた小説は、明治以来の日本の歴史が崩れ、「私」「家」「日本」など文学がきわめようとしたものが消えてしまい、これまでの歴史のうえに立つ文学はもう書けなくなってしまっている、とのべる。
 他方、大塚英志などは、「私」とは何かを見つめ直すところから、「私」を必要としない「物語」の拒否を通じて、「私」に抵抗の「根拠地」を構築し直そうと提起する。
 議論は十分にかみ合って展開されているとはいえないが、世界と日本の現状が背景にあることは疑いない。文学運動や演劇界などで、いまあらためてリアリズムを考え直そうとする機運のあることも、同様の問題意識からだといえる。
 問われているのは、グローバリゼーションの名で世界をアメリカに一極化しようとし、テロリズムとの「新しい戦争」をいい募り、わが国がそのもっとも忠実な随伴者となっている時代に、文学に何が可能か、どのように文学を立てていくか、である。国家への「忠誠」を求める改憲論議がさかんななかで、「ネーションの形成やナショナリズムの核」としての文学の役割は、どのような国家観、国家像を示すかにもかかわって、あらためて問われているといえよう。その議論は、ひとり批評家のものではないはずである。

 三、民主主義文学の創造・批評

(一)民主主義文学もまたこの間、イラク戦争、自衛隊派兵という事態にかつての戦争とその時代をかさねてえがく多くの作品を生んできた。
 時代の流れに危機感を覚え、少年時代と似たような雰囲気、ファシズムの温暖化現象を感じるという右遠俊郎は、「アカシアの街に」で日本の植民地「満州」で過ごした少青年期をえがいた。暗鬱な時代の空気を批判し、どうしようもなく巻き込まれていく主人公たちへの批評を通じて浮かび上がらせるのは、流れに同じない個をどうつくっていくかという、現代を生きる者の課題である。
 草川八重子「海の墓標」は、第二次大戦終結の一年半前、船員徴用令によって動員され、西南太平洋上を移送中に被弾、戦死した祖父を追想しつつ、今日を生きる者の決意を静かに作品にただよわせた。
 旧制中学時代に喫煙を咎められ、退学処分の代わりに予科練を志願させられた怨みを晴らそうと同窓会にバットを持って出席する男の悲哀に筆を運んだ三宅陽介「撃ちてし止まん」、近親者の死を彼らが体験した戦争の日々にかさねた森与志男「叫び声」「蒼穹」、戦争をする国へと変貌するいま、何かせねばと病躯を叱咤する男を切りとった宮寺清一「弾」など、今日の戦争はさまざまな題材のうちにとらえられた。稲葉喜久子「ユア・ファミリー」は東京大空襲で母と三人の兄妹を「見捨てた」記憶を今日に呼び返し、稲沢潤子「市場にて」「トック君のこと」は、ベトナム戦争とその後遺のあらわれようをえがき、現代日本が曲がろうとしている道のその後にもたらされる事態の重大さを問う意思を込めた。
 能島龍三「搬送」は、瀕死の重傷を負った少年戦車兵出身の兵士が、天皇の軍隊の非情を知って生きようとするもののかなわず、妄想のうちに死んでいく話である。戦争体験を持たない作者が想像力をひろげて戦場を描き出そうとしたこころみは、新しい可能性をもたらすものだった。
 現代の若者がイラク戦争をどのようにとらえているかは、安藝寛治「漂流」が戦争によって運命を狂わされた老漁師と成人を迎えた青年を対照させて描き出し、須藤みゆき「平和の法則」は、若い女性教員を主人公に淡々とした日常にも影を落とす教育の歪みや戦争を描出した。
 渥美二郎を『ルック・アップ』に向かわせたのはシングル・ファーザーの境遇とともに、9・11の衝撃である。ビートルズの「イマジン」を底奏に、進学や就職に悩みながらも、9・11事件を通じて想像力の大切さ、平和の尊さに気づいていく高校生の姿を教員の目を通して描き出した。アメリカの軍事戦略に翻弄される沖縄の現実を衝いた山城達雄「被弾」、自衛隊員のかかえる矛盾に筆を及ぼそうとした野呂光人「ピース・オン・ザ・グラウンド」など、重い題材への挑戦もあった。
 新しい、若い書き手をふくめて民主主義文学が反戦・平和の課題を切実に作品化してきたことは、現代文学にとって重要なことといわなくてはならない。それだけに、私たちの文学がたんなる課題意識や忘れがたい体験と思いの追尋に止まらず、また、結論としてのイラク戦争反対の主張だけに終わらずに、文学的結晶度を高めていくことが求められている。
 イラクへの自衛隊派兵が、対米従属の軍事行動であること、「国際貢献」をかかげたなし崩しの憲法違反であること、また、それを支える改憲論議の急テンポの進行があることなど、かつての戦争とその時代をたんにふり返るだけではすまない現実がある。「戦争」そのものについても、テロリズムに対する報復というかたちの「新しい戦争」という定義づけがされている。とするなら、「平和」は従来と同様のものを対置するだけでいいのかという点も心新たに深く考えられなければならない。
 私たちが文学世界に問う戦争、平和がそのように多角的に深く思慮をめぐらせた、同時に鋭いものである時、読者に働きかけていく力も大きなものとなるだろう。
 『民主文学』連載の長編エッセイ--永井潔『鱓の呟き』、早乙女勝元『ゴマメの歯ぎしり』(「平和を探して」補筆改題)は、いずれも現代日本を射程に入れての考察、述懐である。武に対抗する唯一の手段としての言語の検討が前者なら、後者は自身の歩みをふり返りながら東京大空襲体験者としての「責任」をいまに果たすつよい決心を綴る。二人の時代に真向かう精神の強靱さと蓄積された体験と知性の溌剌さは、民主主義文学が共有しなくてはならないものとして、創造主体にとって得るものは大きい。
 
 前大会でも触れた田島一『湾の篝火』につづく風見梢太郎「海蝕台地」、戸切冬樹「蒸留塔」、井上文夫『無限気流』、永野朝子『三池炭鉱』など、歴史にも立ち返って労働の現場と労働者のたたかいをえがいた力感ある作品が多く発表され、まとめられたこともこの間の重要な成果であった。原洋司「罠」や敷村寛治の評伝『風の碑││白川晴一とその仲間たち』などもふくめて、これらの作品の追求したのが日本共産党員の姿であったことも注目されるところである。
 小説作品の世界を年代の古い順に並べてみれば、対米追随のエネルギー政策の転換を背景にした三池闘争があり、六〇年代半ばの日航労組の組合分裂攻撃があった。八〇年代半ばの、今日につながる大規模リストラの先駆けともいえる石川島播磨重工の七千人首切り攻撃があり、「新時代における日本的経営」のもとでの合理化、リストラがあった。そしてそれらの深部を流れたのは、日本共産党員への賃金、待遇、仕事などあらゆる機会と場面での見せしめ的な差別だった。思想・信条の自由を奪い、民主主義を意に介せず、憲法が通用しない職場環境のもとでの利益第一主義は、製品の精度も安全も、また、働く喜びも誇りも消失させた。
 諸作品はそれらを文学の世界に問いつつ、日本共産党員がたたかって守ろうとしたのが、労働者の地位や権利、生活、あるいは製造成果や安全とともに、人間の尊厳であったことを浮き彫りにする。『風の碑』が刻んだ、戦後、日本共産党の幹部となった白川晴一を戦時下に匿ったのが有名無名の友人知人であったことは、彼の人柄とともに彼に自己を仮託する各人の思いのつよさからでもあった。諸作品が、そうした共産党員の人間像を真面目でひたむきな姿として描出しつつも、同時に、彼らがかかえる屈託、家族や友人、恋人との信頼や齟齬などにも筆をついやし、全体像を投げかけたことも注目されていいことであった。
 中小零細企業での労働、たたかいを切りとった今井治介「少年工」、野川紀夫「壁の狭間で」、竹之内宏悠「はずされた安全装置」なども、それぞれ独特のつよい印象を残した。
 佐田暢子「木洩れ日のふる道」、柴垣文子「わたしの旗」、田村正巳「誕生会」など、今日の学校教育、教員をとりまく状況をつよいモチーフにした作品も、この間の貴重な成果だった。教育基本法の改悪、日の丸・君が代の強制、管理主義と差別・選別などが人間形成に何をもたらすのか、私たちの文学は、現代への鋭い切っ先とならなくてはならない。
 
 丹羽郁生「挨拶」、白方蕗子「窯坂」、林田遼子「木々芽吹くころ」、山形暁子「壊れたノブ」など、家族・肉親の絆を主題に人の生きる意味を問いかけた佳作が話題になった。
 とりわけ「挨拶」は、脊髄のガンによって余命を宣告された娘を思う父親の真情を、労組の活動をすすめる父親と、荒れた生活から生きる希望を見つけ出した娘の、人生を生きたいと願う双方の心の働きをかさね合わせて作品世界に映し出した。「自然主義」「私小説」などとする評もあったが、作品が本来向かおうとしたのは、消えていく命の身近さ、多さを引き受けて、現代をどう生きていくかにこそあった。その点では、大浦ふみ子が少年殺人事件に引き寄せられて「匣の中」で問いかけようとしたのも、共通する問題意識であったといえる。
 浅尾大輔「家畜の朝」、横田昌則「靴紐を結んで」「紙飛行機に乗って」、燈山文久「希望の原理」、亀岡聰「そこに君がいる」など、民主主義文学会の比較的若い世代が同世代の胸のうちに迫ろうとする世界も真摯な創造成果であった。
 濃密な文章によって現代の若者の得体の知れない憤怒を描出した「家畜の朝」は、放埒な性が特出されて評されるきらいもあるが、生きがたい現代に向けられた咆哮するような若者の哀しみ、切なさこそ読みとられるべきだろう。
 単純な人生の指針が主人公たちに必要とはいえないにしても、作者それぞれが現代社会をどのようにとらえ、生きるかは、今後の作品世界の深まり、ひろがりにとって欠かせないものになっているといえる。
 日常にそこはかとなく忍び寄り、あるいは何とはなしに日常を暗鬱に覆い、また、日常そのものである現実に相渉って、安易な諦観もむやみの楽観もせずに、積極的に生きていこうとする姿を作品世界に刻む営みは、民主主義文学ならではのものである。ひととおりではない体験であるからこそ、文学世界に映しとろうとする意欲にもつよいものがある。なにより、生きている現実が書くことを求めてくる。
 それだけに、体験的事実をどう文学世界に昇華させていくかという課題こそ、さらに追求されなくてはならない。あったことへの凝視、観察、取材などの真摯な態度、十分な考察が、あり得た真実、文学としての作品世界へつながっていく。その粘りづよい探究への努力をおたがいの課題にしていく必要があろう。
 
 会員の自費出版を援助するかたちではじめた出版活動は、前大会後、新たに「民主文学館」シリーズとして、小説、評伝では林田遼子『天皇が来た日』、井上文夫『無限気流』、大浦ふみ子『匣の中』、敷村寛治『風の碑││白川晴一とその仲間たち』、入江良信『渚にて』、廣岡宥樹『未明のとき』を出版した。
 出版不況がいわれ、作品がなかなか本にならない状況がつづいているが、短編をまとめ、また長編を一本にして提出することは、初出とは違った新しい感動を呼ぶ。民主主義文学会は引きつづき出版活動をつよめるとともに、著作の普及にも力を注がなくてはならない。
 また、冤罪をあつかった吉屋行夫『白い波―冤罪 滋賀・日野町殺人事件』、入江秀子『叫び―冤罪・大崎事件の真実』や青梅事件を題材にした野崎梅子『鉄路の証言』なども民主主義文学ならではの大事な労作であった。
 窪田精『フィンカム』、『松田解子自選集』、敷村寛治『北の街』、永井潔『あぶなゑ』など、会員の著作もさまざまなかたちで出版されており、民主主義文学の姿を作品のかたちでもっとも身近に知ってもらう機会として普及に努力することが大切になっている。
 
(二)民主主義文学の創造成果をひろく押し出していくことは、私たちの批評活動のもっとも重要な課題である。
 この間、物故した窪田精について、追悼をまじえた作家論(新船海三郎)や「フィンカム」(牛久保建男)、「海霧のある原野」(稲沢潤子)、「工場のなかの橋」(三浦光則)、「夜明けの時」「鉄格子の彼方で」「流人島にて」三部作(松木新)など作品論が寄せられた。昨年末他界した松田解子についても、「おりん口伝」(宮本阿伎)、「桃割れのタイピスト」(山形暁子)、「女の見た夢」(澤田章子)、「回想の森」(新船海三郎)などの作品論が発表された。
 戦後民主主義文学運動に初期から参加し、戦後文学史をそのまま体現してきた格好の窪田は、事実の精査のうえにひろがりある想像力によってスケール大きい作品世界を構築する、独特の創作方法を駆使した。プロレタリア文学運動への参加、戦時・戦後の波瀾などを経て戦後民主主義文学の道を歩んだ松田は、現実・現場に足を運び、女性独特の問題性を作品世界に問いかけてきた。
 二人の文業、平和・民主主義の活動への参加などから今日の私たちが受け継ぐものは大きく、さらに多角的に解明されていく必要がある。
 長編完結作への時宜を得た論評や個別作品評、作家論のこころみ、また、「民主文学館」シリーズが著者の希望のもとに解説論考を付し、作品世界にそれぞれ新しい光を当てたことも重要なことだった。しかし総じて見るなら、民主主義文学の成果や課題などについての論評は十分ではなかった。本来、多様であるはずの私たちの文学が、逆に、時代への関心や生活と活動の経験、また高齢化など共通する問題意識から、主題、題材において狭まる傾向のあることなどについて、個別の作品論からさらに横断的な分析を通じて、批評が今日の民主主義文学に問題提起すべき課題は小さくない。
 民主主義文学の作品評は、主には毎月の文芸時評、サークル誌評を通じてひろく読者に伝えられる。文芸誌の多くが時評や同人誌評から後退して久しく、新聞各紙が時評を縮小してからでも十年余を経るなかで、私たちは時評、誌評がそのときどきの文学動向をも視野に入れ、的確な論評によって、作品の読みどころだけでなく文学が直面している問題をも提示するものとして重視してきた。この点はいっそう視野ひろく、力を込めて発展させられなくてはならない。
 同時に、現実に対する能動的、積極的なモチーフ、主題・題材に多く支えられている民主主義文学の作品評にあたって、全体として肯定的に評価するものではあっても、仲間ぼめになったり、教導的になることは戒めなければならない。「文学主義」的な高踏から裁断すること、あるいは、他の文芸誌作品との単純な比較対照論に陥ることにも注意が必要である。
 この間、旭爪あかねが9・11後の作家のありようを山田詠美を論ずることで、また、乙部宗徳は若い世代の作品分析を通して自己愛から社会的自己の決定へと変化しつつある若手作家たちの動向を論じた。しかしこの数年、民主主義文学の批評に文学動向を論ずることが弱まっていることは軽視できない問題である。
「戦争をする国」への急傾斜は、政治・社会状況のその展開に対してイデオロギー面を後衛においているかのような様相を示している。あからさまな好戦的、反動的な主張、歴史修正の要求、あるいは天皇主義への回帰などは、ごく一部の特定の文学者に限られ、論ずるに足りないかのようにあつかわれている。しかし、それらの根本にある日本主義がグローバリズムやアメリカ追随とどのように結びつくのかはともかく、今日、何とはない時流が形成され、それに何となく流されている感を持つ人が多いのも事実である。暴力の容認をはじめ、社会的弱者への差別や虐待、性風俗への悪狎れなど、一ミリずつの水位の低下のような文学作品の品位の下がりようは、読者の意識を鈍磨させてもいる。
「ファシズムの温暖化現象」といわれる状況にもつながっているそれらに対して、私たちの批評活動に求められるものは小さくない。
 この間、本庄陸男、島木健作、徳永直らの戦時下の身の処し方の分析から、現代をどう生きるかを問題提起した牛久保建男、乙部宗徳、岩渕剛などの論考が発表された。日本文学が戦争と平和の主題から目を逸らしているとき、これらのこころみは民主主義文学ならではの重要な意味をもっている。それだけに、問題提起が生きるためにも、現代の文学動向への的確な分析、論評をいっそう積極的におこなっていく必要がある。
 
 私たちの文学がプロレタリア文学をはじめ先人の業績から学ぶことは重要である。
 この間、「多喜二・百合子研究会」が活動を再開し、宮本百合子、小林多喜二の公開講座を開催、その成果を『いまに生きる宮本百合子』にまとめた。白樺文学館多喜二ライブラリーによる小林多喜二シンポジウムも開催され、多喜二文学の国際的な角度からの照射など、多喜二の作家、作品論への充実した新しいアプローチがこころみられてきた。
 新船海三郎『作家への飛躍』、乙部宗徳『時代の転換点と文学』(民主文学館)、猪野睦『埋もれてきた群像』『文学運動の風雪』、山口守圀『文学運動と黒島伝治』などの評論集が提起するところも小さくない。女性作家として時代と世情、人間関係を観照し独特の作品世界をつくりあげた樋口一葉をたどった澤田章子『一葉伝││樋口夏子の生涯』や近・現代文学研究会でのレポートをもとにした諸論考など、近・現代文学の積極的な成果の受容も私たちの文学活動に欠かせないことである。永井潔『美と芸術の理論』が美術を通して提起する反映論、真理論から文学が示唆されることも大きい。
 昨年七月の全国研究集会の問題提起をきっかけに、リアリズムをめぐる議論がかわされている。論考としてまとまったかたちでの議論でないため、対象となる問題は一部にとどまっているが、現代の時代状況も反映しての議論であるだけに、いっそう発展させられる必要がある。たんに批評のあり方の問題にしたり、概念規定とその変遷などの枠組みや理論的整理にとどまらず、創造へのさらに有効な刺激ある議論として展開されなくてはならない。
 創造と批評は、より積極的な作品を生み出す車の両輪である。批評が活発になって実作をけん引し、新たな創造成果がさらに批評を刺激するという相互の実りある関係を、私たちは誠実に探究しなければならない。文学運動における必要な論争もそのように心がけ、態度を共有のものとしたうえで、忌憚なく理性的に交流されるべきである。
 この間、平野謙の評価などをめぐって批評のあり方が問われたが、私たちの批評活動は、これまでの民主的文学運動の成果と到達を受け継ぎ、発展させるという見地をつらぬくことが大切である。個々の作家・評論家の仕事に対する民主的文学運動の立場からの従来の評価を金科玉条にはしないが、同時に、それをまったく無視して議論を展開することも妥当とはいえない。ソ連・東欧の「社会主義」崩壊を単純に「マルクス主義」や「マルクス主義文学」否定に結びつける清算主義的な文学概観も戒めなければならない。評価の行き過ぎは正しながら、同時にリゴリズムに陥ることなく、実りある方向へと発展させていくことが肝心である。
 また、私たちの文学運動が革新・民主の立場に立つひろい団体、個人との共同を追求しつつ前進してきたものであり、また今後もその立場をつらぬくものであることも、批評活動のうえでふまえるべき要点である。「文学」の名でその要点をあいまいにすることは、文学運動として不誠実を問われることになる。
 これらの点をいっそう深めていくうえでも、私たちは、民主主義文学とは何かという主筋をもっと太くしていかなくてはならない。理論水準を高め、批評力の向上をはかる「批評を考える会」の充実をはじめ、その努力はひとり批評に携わる者の課題でなく、今日の文学運動全体に切実に求められることである。

 四、組織・財政活動の現状と課題

(一)民主主義文学会の組織は今日、準会員の漸減傾向に加えて、配本取次の変更にともなって三百部を超える『民主文学』が減少するなど、きわめてきびしい事態に直面している。
 財政的にも日常運営に影響を及ぼすこの事態を直視して、『民主文学』読者の拡大・普及、準会員を増やす努力が全国ですすめられた。会員、準会員、読者の力添えで、十二月末からの四ヶ月余であわせて三百人近い新しい読者、準会員を迎えることができたことに対し、幹事会は心から感謝の意を表する。
 配本取次の変更は昨年七月号配本時からであったが、その時点で百六十部を超える読者減がすでに生じていたことをふり返るなら、適切な問題提起を怠った常任幹事会の責任は重大である。
 この数ヶ月間の取り組みは、会員、準会員、読者に依拠するなら前進が可能であり、そういう組織力量を私たちが持っていることを証明している。また、知人、友人に気軽に声をかけて読者になってもらっていることや、『民主文学』を手にした読者から「面白い」、「つづけて読みたい」などの声が返ってきていることは、私たちの周りに多くの読者になるべき人がいることを教えている。
 私たちは、この数ヶ月間の貴重な経験を真摯に受けとめ、教訓として、会員・準会員、『民主文学』読者の拡大に全力を尽くす必要がある。
 この間、東京・代々木、東久留米、栃木・しもつけ、愛媛・愛媛民主文学の会の各支部の結成とあいまって準会員の加入もすすんだ。前大会からの百人を超える新加入は、退会者を上回ることにはなっていないものの、けっして小さく評価はできない、一定の成果である。
 文学も生活も、今日ほどきびしい状況におかれている時はなく、そのなかで、減勢傾向がつづくとはいえ民主主義文学会が千人を超える会員・準会員とそれをふくむ三千人を超える読者を維持していることは、現代文学と平和・民主主義の運動にとって重要なことといわなければならない。
 民主主義文学会が今後ともその役割を果たし、『民主文学』の安定発行によって創造・批評の成果をひろく問いかけていくためには、会員、準会員、読者の組織勢力を現状から後退させてはならない。現在の組織勢力は、文学運動と組織、日常運営を維持する最低限度のものである。
 第二十一回大会はこのことを会員、準会員、『民主文学』読者に率直に訴え、ここを出発点にして、一日も早く千五百人の会員(準会員を合わせ)と、それをふくむ五千人の読者を持つ組織へと前進していくことを心から呼びかける。
 
(二)四十周年を迎える私たちの運動と民主主義文学への期待は大きい。
 なによりも、新しい書き手が生まれてくることへの期待である。文学の新人が同人によって研鑽、琢磨して生まれてくる時代から、文芸誌等の新人賞から出てくるようになって久しいが、それは一方で、文芸誌の読者数よりはるかに新人賞応募者が多いといういびつな状況を生んでいる。書かずにおれないというよりも「当てる」ために書くといってよい志向は、文学を人の生きることから遠ざけてしまっている。
 私たちが、全国に百を超える支部を持ち、定期的に集まって議論し、またそれぞれ独自の雑誌を出して作品をひろく問う機会をつくっていることは、文学の土壌をゆたかにひろげる大切な拠点を確保し、その土壌からこそほんとうの文学が生まれるにちがいないと期待されているのである。
 今日の時流に何を以って抗い、生きている証を立てるか、ということからも私たちの文学への期待は大きいものがある。改憲によっていつでも戦争のできる国へと、国のあり方が根本から変えられようとしている事態を前に、いま人びとは抗う方途を真剣に模索しており、文学や文学運動に対する関心の持ちように新しい変化をもたらしている。いわば「武」の強圧にたいして、「文」つまりペンを手にして書くこと、あるいはいまを生きる支えとなるものを読みたい、という要求をひろげ、つよめているのである。
 この間、土曜講座「在日朝鮮人文学」(講師・安宇植)に受講希望者があふれ、二回連続して開講した事例は、今日の文学への要求がどこにあるかを端的に示している。民主主義文学会が協力している母親大会での文学分科会にも、いい作品を読み、語り合いたいという、ひろくつよい要求が反映されている。
 こうした要求にこたえ、また、それをともに探究する活動をひろげるなら、私たちは会員・準会員の拡大、読者拡大・普及に新しい転機をつくり出すことができるにちがいない。
 
 民主主義文学会は、懸案としている若い世代を迎えることにまだ端緒を切りひらくことができず、会員の高齢化がすすんでいる。しかし、この間の新加入者の多くが定年を迎えて新しい人生の踏み出しに文学をその一つとして選択しているように、歩んできた道を書き残したい要求は、ますますつよまる傾向にある。若い世代への働きかけとともに、そうした人たちに加入を呼びかけ、書きたい要求を私たちの文学に結びつけて結実する方向を探究することは、今後ますます重要になっている。
 民主主義文学会はこの数年、組織拡大の三つの重点を提起して取り組みをすすめてきたが、これをいっそう具体化して、本格的な軌道に乗せていく必要がある。
 (1)現在加入している会員・準会員や新しく加入する人の創造意欲を作品に実らせていく取り組みを積極的におこなう。
 常任幹事会主催の文学教室、創作専科は、東京だけでなく地方開催のものもひろがっている。支部や会員の自発的意志による地方の文学教室のひろがりは重要であり、さらに多くの地方で開催できるよう検討する。文学教室は、会員の創作力の向上はもちろんであるが、民主主義文学会への加入を誘っていくものとして、ひろく宣伝もおこない、受講者を募っていくことが大事である。
 支部主催の創作教室、文章講座など多様な企画をすすめる。支部の例会もこの点での工夫をおこなっていく。また、すべての支部が支部員の作品発表の意欲や内容と結びついた支部誌を発行し、誌面を充実させ、発行回数も増やしていくよう努力する必要がある。
 (2)いまあるつながりを生かした加入のすすめ、『民主文学』購読の呼びかけを気軽に、ひろく、旺盛におこなっていく。
 「二〇〇七年問題」といわれる、「団塊の世代」が定年を迎えるこの時期は、会員、読者拡大にとっても重要な時期となっており、人生の区切りが文学活動への出発に転じていくよう働きかけをつよめる。
 憲法擁護や平和・民主主義のための諸活動、小林多喜二、宮本百合子の記念のつどいなど、いろいろな機会に民主主義文学会と『民主文学』を知らせ、語り、広めていく。常任幹事会が主催する「作者と読者の会」「批評を考える会」「近・現代文学研究会」などもこの点から参加者をひろげる工夫を意識的におこなっていく。
 同時に、すぐに加入、読者にならないでも、やがて民主主義文学に接近する、古典や近・現代文学の読書会、『民主文学』読者会、文学散歩などの多様なルートを意欲を持って計画していくことが大切である。この間の読者拡大でも、読者会などでの結びつきが大きな力になっている。
 (3)若い、新しい世代への働きかけを意識的、継続的にすすめる。
 「文学カフェ」など、若い世代を同世代が組織していく取り組みをこの間も努力してすすめてきた。若い世代を中心とした支部もつくられたが、文学運動の懸案を打開するにはいたっていない。六十歳代後半以上が主力といえる民主主義文学会の年齢構成を考えた場合、二十歳代、三十歳代はもとより、四十、五十歳代への働きかけは、組織と運動の消長にとって決定的である。
 前大会をふくむこの数回の大会でも同様の提起をしてきているが、十分な成果を見るにいたっていないのは、民主主義文学運動を今日に受け継ぎ、次の世代に渡していく者としての自覚と切実感の欠如といえる。文学活動を自己充足だけの場に変えてはならず、次の世代に文学の土壌をゆたかにして引き継いでいくことに、私たちはいっそう執着しなくてはならない。創造・批評活動に加えて、さらに独自の異なる意識性なしには組織の前進をはかれないことに、私たちはもっと自覚的であることが求められている。
 私たちは、青年諸団体との協力をはじめ若い才能を発掘してゆくルートをさらに多様に研究もし、本格的に追求しなければならない。『民主文学』誌面もその点での改善が急務である。
 前大会は、『民主文学』を魅力あるものへ、それ自身が民主主義文学とは何かを語りかけるものへと誌面を充実させること、そのために、支部、会員の投稿、作品掲載の推薦、企画提案などの協力を求めた。この点の努力は今後いっそう重要になっている。
 『民主文学』は、創造・批評の成果を問うばかりでなく、組織活動をふくめた総合的な私たちの文学活動の集約点である。量的拡充が新しい才能を見出し、ゆたかな誌面がさらに文学運動をひろげていく、その交互作用がいっそう活発になるようおたがいに力を尽くさなくてはならない。
 ことしは、民主主義文学会の創立四十周年である。すでに、記念の講演会、記念支部誌の発行等さまざまな取り組みが計画されている。四十周年の諸行事は私たち独自のものではあるが、同時に、戦後六十年にあたることからも、憲法擁護をふくむ平和・民主主義の声を共有する幅広い人たちとの共同の場となるよう、取り組みを検討することが重要である。私たちの文学がそのような懸け橋であることをよく理解してもらい、『民主文学』読者、会員になることを呼びかけていくことが大切である。
 創立四十周年のこの年が、九条・憲法を守れの声の大きな高まりを生み、民主主義文学会の創造と批評、組織の力強い発展の契機となるようおたがいに力を尽くそうではないか。
 
(三)民主主義文学会の財政は、これまでにないきびしいものとなっている。
 私たちの財政の根幹は、会員・準会員、『民主文学』読者の拡大、定着にある。『民主文学』の配本取次の変更などによって多数の読者を失った今回の事態は、会員、支部と直接のつながりを持たないそうした読者を、私たちが大切にし、各種の取り組みや支部例会への誘いかけなどをおこなって「顔の見える関係」を十分につくってこなかったことの結果ともいえる。私たちは、今回の苦い経験をふまえて、支部の活動がつねに外に向かって開いているように、改善していくことが重要である。
 また、不況、リストラ、賃金カット、年金改悪などによる生活の圧迫、高齢化による活動範囲の縮小などによって退会、購読中止にいたる多くの事例は、私たちの文学がいつでも人生と切り離し可能の位置にあることを語っており、その改善にも力を注ぐ必要がある。
 会員・準会員、読者の拡大とともにこうした努力が、民主主義文学会の財政基盤を確かなものにしていく。同時に、民主主義文学会の日常運営にとって、地方開催をふくむ文学教室、創作専科、文学散歩、山の文学学校などの受講生をひろげ、安定的に組織すること、民主文学館シリーズ出版をコンスタントにすすめることなど企画、出版の活動を軌道に乗せることが重要である。消費税の免税点の引き下げによる負担増もあり、常任幹事会および幹事会は、組織運営の簡素化をはかって経費の節減に努めなければならない。

 平和と戦争をめぐってわが国の戦後史で最大の岐路に立っているいま、私たち民主主義文学に課せられているものは大きい。読者一人ひとりの心のうちに働きかけていくものである文学は、それだからこそ哲学にも歴史にもなり、また時代の証言者にも人生の同伴者にもなり得る。私たちの文学もまた、そのようでありたいと願う。
 歴史を事理にかなった方向へと進展させるための惜しみない献身と、社会と人生の真実を確かな目で見、聞き、丹念に映しとって創造、形象していく怠りない努力は、やがてかならず私たちの文学に豊饒の実りをもたらすだろう。鋭くきびしい時代の先端で、迂遠に見えるその道を踏み固めながら歩みつづけること、文学はそれ以外の人間的営為ではない。
 日本民主主義文学会第二十一回大会は、記憶に残るその出発点でありたいと考える。

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