2009年5月に開いた第23回大会の報告です。(第20回以降の大会報告)
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 転換の時代の始まりに新たな文学運動の創出を
   ――日本民主主義文学会第二十三回大会への幹事会報告――
                                                                報告者  田島  一

 日本民主主義文学会第二十三回大会は、世界と日本をとりまく情勢が厳しい局面を迎え、変化を迫られつつあるもとで開かれる。いまアメリカの一国支配は、軍事・経済においても大きな破綻に直面し、終焉に向かい始めている。ブッシュ政治は、イラク戦争の失敗により世界で孤立を深め、大統領選挙においても米国民から「ノー」の厳しい審判を受けた。新自由主義、市場原理主義の路線は、「カジノ資本主義」により世界を金融危機に陥れたが、アメリカ一国の利害を優先させてきた政策的誤りで生じた事態を、黒人初の大統領オバマがどう転換していくか注視される。一方で、アメリカ支配を脱して南米から始まった自立した国づくりの動きは、中米やカリブ海諸国にも広がり、大国の言いなりにならない自主的な流れを世界で形成しつつある。
 アメリカ型資本主義に追随し突っ走ってきた日本の「ルールなき資本主義」は、格差と貧困の極端な拡大を生み、大企業が利潤保持のために労働者の大量解雇を強行するなど、いっそうの困難を国民生活にもたらしている。戦後一貫してアメリカべったり財界・大企業本位に進めてきた自民党政治は、参議院選挙で国民の厳しい審判を受け、たび重なる内閣の政権投げ出しにより改憲策動が大きくつまずくなど、「漂流」から解体に向かいつつある。こうした状況は、「憲法九条を守れ」の声の更なる強まりと、暮らしや雇用・平和の破壊に対する人々の反撃を呼び覚まし、政治の根本的転換を求める新たな動きをさまざまな分野で生み出した。いまこの国は、時代の転換の始まりを急務としている。
 小林多喜二が八〇年前に書いたプロレタリア文学の名作『蟹工船』が、「自己責任論」で追いつめられ傷つく多くの若者の心をとらえ、非正規労働者の新たなたたかいの広がりも呼び社会現象といえるブームを巻き起こしたことは、文学作品という領域を超える画期的な出来事であった。作品に描かれた過酷で無権利な状態の労働者に自らを重ねて、立ち上がる青年の成長をうながした事実は、日本文学の現状を痛烈に撃つとともに、「危機」から脱していく文学の再生の道筋を指し示すものでもあった。
 「人はいかに生きるかを問いかけ、社会と人生の真実を多様な題材に映しとり、平和と民主主義の道を歩んできた私たちの文学運動にこそ、文学・芸術の本道がある」と前大会の幹事会報告で述べたが、このことは目に見える形で私たちの前に示された。世界も日本も大きく転換を迫られるもとで、複雑な社会と人間に正面から向き合う文学が切実に求められているのが今という時代であろう。
 創立以来四十三年間、日本文学の一画を占め小さくない役割を果たしてきた民主主義文学が、現実の要請にどうこたえていくか、私たちの真価が問われている。こうした状況下で開かれる第二十三回大会は、二年間の創造・批評、組織活動を振り返り、成果を見すえて当面の課題を明らかにし、さらには五年、十年先を展望して何を為していくかの方途を探る、重要な出発点として位置づけられる。

一、転換の時代の始まりと日本文学

(1)社会的責任を放棄した企業の、正規社員にも及ぶ数十万人の人員削減が猛威をふるっている。製造業大企業の内部留保が百二十兆円にとどく一方で、競い合うように進められる急速な雇用破壊は、人間を使い捨てにする派遣労働の拡大を財界の言いなりに認めてきた自・公政府の責任によるものである。
 フリーター・派遣社員に加えて外国人労働者も切り捨てられ、超過密労働や生活苦で自殺に追い込まれる人が後を絶たず、年間自殺者が三万人を下らないのが日本という国の実態である。消費税増税の企て、後期高齢者医療、年金、環境の問題、食の安全など、暮らしの不安は止まることを知らない勢いで深刻化している。いまこそ悪政に終止符を打ち、まともな政治が実現されなければならない。
 前大会以後二年間、さまざまな分野で国民生活の再生に向けた議論が深まり、運動も活発化している。憲法九条、表現・言論の自由への攻撃などに対しても、広範な世論を結集したたたかいの前進により、事態は新しい展開を見せている。
 大江健三郎は、「『人間をおとしめる』とはどういうことか ―沖縄『集団自殺』裁判に証言して」(『すばる』〇八年二月号)で、曽野綾子が著書『ある神話の背景』(PHP研究所)で述べた内容が、「集団自決」を殉国として美化する「著者自身の思想を代弁させている」として鋭く反論した。昨年十月大阪高裁は「大江・岩波沖縄戦裁判」における控訴を棄却し、「集団自決」の強制があったことを認めた。また、「戦時下最大の言論弾圧事件」と呼ばれている横浜事件の第四次再審請求裁判「再審開始」決定において、横浜地裁は「実質無罪」を示す判定を下した。いずれも事実の捏造の一端を担った問題が争われた裁判における歴史的判決であった。
 自衛隊のイラク派兵を憲法九条違反とした名古屋高裁判決は、首都バグダッドを「戦闘地域に該当する」と判断し、武装兵員の空輸活動は「憲法九条一項に違反する」と結論づけた。これにより史上初めて、自衛隊の派兵違憲判決が確定した意義は大きい。この間九条をめぐる問題では、読売新聞の世論調査において改定反対が六〇%に増加し、朝日新聞の調査も同じく六六%に達する状況が生まれてきたが、自民・民主一体の「改憲同盟」発足による巻き返しの動きは、七千を超えて全国に広がっていった「九条の会」が、国民世論に影響を与えていることへの危機感の表れといえる。また、改憲のための国民投票実施に向けた予算を大幅増額し、準備を先行させようとする政府の姿勢からは、改憲勢力の執念を見ることができる。
 こうした一方で、一連のビラ配布事件における不当判決や、映画「靖国 YASUKUNI」上映をめぐっての不当な圧力など表現・言論の自由への攻撃が依然として強いのも事実である。しかし上映中止の攻撃を、世論の盛り上がりと抗議行動の広がりで打破していったことは特筆される動きであった。日本ペンクラブも「自由な表現の場の狭まりを深く憂慮し、関係者の猛省を促す緊急声明」を発表した。
 民主主義文学会はこの間、「自衛隊の違憲・違法な国民監視活動に抗議し、直ちに中止を求める」声明、「戦争支援の『新テロ特措法案』の廃案を求める」声明、「『上映中止』の不当な圧力に屈せず、表現の自由を守ろう」と呼びかける声明、「ソマリア沖への自衛隊派兵に抗議し、『海賊対処』新法案に反対する」声明等を発表してきた。他にも時々の情勢に即して、抗議文、要請文などを送り、平和や表現の自由を守るための社会的発言をおこなってきた。
 さて、前大会幹事会報告では、「日本文学はこれまでにない激しさで商業主義に押し流されている」と指摘した。出版不況が輪をかけて、「売れればよい」とする出版姿勢は依然深刻なものとして続いているが、文芸ジャーナリズムの現状に抗して、この時代にどう文学として向かうのかという文学者たちの発言も目立った。
高村薫は、〈9・11〉後の現実に対し、「言葉の減少は、世界を捉えることの放棄」につながるとし、作家は「最大限の神経を使って言葉を送り出し、目に見えないものを捉えようとする」ことの必要を述べた(『作家的時評集2000―2007』・朝日文庫)。
 『中央公論』座談会「平成文学の可能性を探る」(〇八年七月号)では、湾岸戦争時に反対声明を行って以後、社会的な影響力を持つことが少なくなっている文学状況について語られ、松浦寿輝は、「小説という装置の持つ大きな意味の一つは批判機能」にあるとして、「風俗的な現在に自堕落に寄り添っているだけの作品は、結局、短いスパンで読み捨てられてゆくほかない」と批判を投げかけた。また桐野夏生は、持てる者と持たざる者とに二極分化されつつある世界の中で、「果たして私たちは、一日を2ドル以下で過ごす世界の半分の人たちが読みたいと思ってくれる小説を書いているのだろうか、…戦争や飢餓や貧困に苦しむ人たちを救っているのだろうか」(『現代』〇七年六月号)と問い、創造に向き合う決意を表明した。
 辻井喬が『憲法に生かす思想の言葉』(新日本出版社)で著わした、文学と伝統、思想・憲法に関する論も、「相手の心に届く言葉を持つ」ことの必要を強調するなど時代をみつめる作家の理性を示したものであった。高井有一が「戦場の生死」(『新潮』〇八年三月号)で、「世界中に戦争の気配が濃くなり、それにつれて私も、かつての戦争をほんの少しでも知ってゐる者の一人として、何か書き遺しておきたい気持ちが募ってきた」と書いたことからは、刻印された戦争体験にいま向き合おうとする作家精神が見てとれる。

 (2)文芸誌上で、日本の近代文学の今後についての危惧がさまざまに語られたのも最近の特徴的動きであった。現代の若手作家たちが、ケータイ小説に影響を受けて揺さぶられていると大江健三郎は指摘し、「これがあと五年続けば、ほぼ百二十年前に誕生し、六十年前に再出発した近代・現代日本文学は消滅するだろう」(『群像』〇八年五月号)と述べた。
 小説の行方をめぐってが討論テーマの座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」(『文学界』〇八年四月号)は、五〇年前の同タイトルの座談会を引きつぎ、今日の新旧の作家・評論家十一人によって文学の現状と未来とを探る貴重なこころみだったが、タイトルとは裏腹に、現在の混迷と荒廃を無惨に露呈したにすぎなかった。斎藤美奈子と高橋源一郎は対談(『文芸』〇八年夏季号)で、最近の若手作家たちが近代文学の伝統から離れて、別の質のものに変化していることを感覚的に分析しているが、こうした姿勢の根本には文学精神への無自覚があることを見ておく必要があるだろう。
 『文学界』の同人誌評が〇八年十二月号で打ち切られた。寄せられる同人誌の数の減少が理由と説明されるが、この事態は、出版界が煽りたててきた若い書き手の新人賞志向を背景に起きたものといえる。作家を消耗品扱いで使い捨ててきた文芸ジャーナリズムにも責任があるといえよう。
 格差・貧困と閉塞感に覆われる混沌とした状況が、一般文芸誌の作品にも反映して、非正規雇用や失業、過密労働、引きこもりや弱者虐待、女性の自立、そして殺人・犯罪といった社会的事象に目を向けて描こうとする兆しが最近生まれてきている。しかしこのようなこころみも、作品に現代的テーマを取り込んではいても、作者の目が背景の全体や人間の生き方の追求に向けられるのではなく、風俗として書くだけという傾向が主となっているのが実態である。
 そうしたなかで、『すばる』(〇七年七月号)が組んだ特集「プロレタリア文学の逆襲」において、本田由紀が、個々人の日常が私小説的に描かれている文学の現状への物足りなさを述べ、「現代におけるプロレタリア文学」がありうるのならば、社会システムまでを視野に入れ、マクロな状況のなかで各人がどのような位置におかれているのかを把握したうえで、「戦略的なフィクションとして描き出すものであってほしい」、と作品創出への注文をつけたことは注目される。
 若い世代が置かれている今日の窮境について、小樽商科大学と白樺文学館多喜二ライブラリーが共催した「Up to25『蟹工船』読書エッセーコンテスト」の入賞作品には、切迫感のある体験がさまざまに語られている(「私たちはいかに『蟹工船』を読んだか」・遊行社)。「自己責任論」に苦しめられ、どう生きていけばよいのかと悩む若い世代が、『蟹工船』を読んで社会の本質に目を向け、他者の怒りに共感して変化し、行動により成長していったことは、文学作品の生命力を物語るものであった。この動きは、社会と人生の真実を描く優れた文学が現実に大きな力を与えることを実証すると同時に、読み手が文学に何を求めているか、文学とは何かという問いかけに一つの積極的な答えを示したと言えるであろう。

(3)前大会幹事会報告は、「経済効率をすべてに優先させる社会の論理に押し流され、現実と格闘する文学の存在が窮地に追いやられている」と日本文学の現状を分析した。こうした基本的流れから脱皮するには至らないものの、作家自身の関心事や身近な現実から出発して、戦争・平和について問いかけ、社会の諸相に目を向け時代を批判の目でとらえた作品創出など、日本文学の理性の発揮がみられたのは心強い動きであった。
 昨年七月に没した小田実は、朝鮮人の父親と日本人の母親を持つ主人公が、「歴史の目撃者」として一九二〇年代の中国革命における状況をスケール大きくとらえた『河』(集英社)を描いた。著者の死によってこの大河小説は未完となったが、歴史と運命に立ち向かう人間の尊厳を謳い上げた仕事は特筆される。東京大空襲で両親をなくし世界的な名脇役として活躍していた女性の半生を追った、大江健三郎『たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ』(新潮社)は、幼少時に占領軍の米兵に性的虐待を受けた女性の、苦難を乗り越え恢復していく姿を明るく描出し、話題を呼んだ。池澤夏樹「カデナ」(『新潮』連載)も、ベトナム戦争渦中の沖縄嘉手納基地を舞台に、米軍人、沖縄の市井人と青年の立場から爆撃下にあるハノイ市民への思いをはせる草の根の活動を描いた。
 戦争の惨たらしさを体験した作家たちがそれぞれの思いを胸に、現代の読み手に「戦争の記憶」を投げかけ描いた作品として、大城立裕「首里城下町線」(『新潮』〇八年二月号)、米谷ふみ子「二匹の狐と一本の楠木」(『文学界』〇九年一月号)があり、体験のない世代によって「戦争とは何か」の表現がこころまれた又吉栄喜「ターナーの耳」(『すばる』〇七年八月号)、青来有一「夢の栓」(『文学界』〇八年一月号)など、いずれも今日の状況とどう切り結ぶかを意図した貴重な作品であった。また、アフガニスタンにおける現代の戦争の悲惨に目を向け、この国の難民問題の冷淡さと無関心を告発し、イラン出身の女子留学生が日本語で描いた作品、シリン・ネザマフィ「サラム」(『世界』〇八年十・十一月号)も注目された。
 戦争を描くことにも相通じるが、過去の歴史に光を当てて現代を照射するいとなみは、時代や人間を見つめる作家の深い眼差しによって初めて為しうるものであろう。一六三七年からの島原半島と天草諸島の民衆のたたかいを、長年にわたる苛政へのやむない一揆として描いた、飯嶋和一『出星前夜』(小学館)は、新たな角度から真実を問い返したものである。津島佑子『あまりに野蛮な』(講談社)もまた、この国の植民地だった一九三〇年代の台湾における日本人女性の生を追い、過去より現代につながる問題をとらえようとした。
 辻井喬『萱刈』(新潮社)も、何百年前もからある大きな城と、そこに仕えて栄えてきた村の物語を軸に、近代日本の矛盾にせまった。加賀乙彦は、自伝的小説『雲の都 第三部 城砦』(新潮社)で、自身が勤務の大学を全共闘に占拠された精神科助教授の主人公が、戦時下のファシズムに重ねて、破壊と無責任の暴力集団に鋭い批判の目を向ける姿をとらえた。
 閉塞感につつまれ混沌として澱む社会状況に無関心ではなく、現実を反映した題材と向き合い、日本社会の諸相を追おうとする作家の努力がうかがえる作品も、数が少ないとはいえ生み出されてきた。
 その一つとして、福岡と佐賀の県境の峠で起こった殺人事件を材に、事件の真相と犯人逮捕に至るまでを描いた吉田修一『悪人』(朝日新聞出版)は、現代青年の孤独と絶望に視線を注ぎ、安易に流れる思考と行動に批判の目を向けた。また平野啓一郎『決壊』(新潮社)も、雇用不安からくる社会への憎悪、ネットを介した悪の連鎖など、連続殺人事件を通して現代の闇と、それに拮抗する人間の良心のあり方を探った作品であった。これらの作品において、社会の根本問題や人間の生き方の追求がどれほどなされたかという議論はあるにしても、こうしたテーマに挑む作家の世界が、今後どう発展していくのか興味深い。児童福祉の観点から今日の社会の暗部をみつめた佐川光晴「われらの時代」(『群像』〇八年十月号)も、同様のことが言えるであろう。
 この間、労働や家族・家庭の問題を通して、さりげない日常を描き、現代の人と人とのかかわりを見つめようとする作品も多く生まれた。池澤夏樹『光の指で触れよ』(中央公論新社)は、夫婦が離ればなれとなり崩壊した家族とエコビレッジによる人間の再生に重ねて、現代に生きる困難を描きだした。佐伯一麦「ピロティ」(『すばる』三月号)は、仙台のマンションを舞台に、管理人の男の一日を追い、朝比奈あすか「ちいさな甲羅」(『群像』〇七年八月号)は、幼稚園児をもつ専業主婦の若い母親を主人公に、新しい形の人間関係のゆがみをとらえた。
 第一四〇回芥川賞を受賞した、津村記久子「ポトスライムの舟」は、化粧品会社で契約社員として働く二十九歳の独身女性の、工場での仕事や周囲の人間関係をすくいとり、生きること働くことの意味を問う作品であった。同じく「時が滲む朝」で第一三九回芥川賞を受賞した中国人女性作家楊逸が日本語で書いた、『ワンちゃん』(文藝春秋)は、庶民的でバイタリティーのある女性ワンちゃんが、異国で働き孤軍奮闘する姿を描いて話題を呼んだ。
 戯曲では、井上ひさしが、「笑える『喜劇』」として「斬新な手法」を駆使してまとめた、二幕十五場よりなるチェーホフの評伝劇、『ロマンス』(集英社)があった。

二、より高い峰に挑み、創造・批評の発展を

 いまをどう生きるか模索する人々が文学への関心を深め、生きる糧となる本当の文学を求める声が根強いものとしてあらわれてきている現在、読み手の問いかけに真剣な探究でこたえた実作の創出が、私たちの文学創造において急務であることを示している。先に述べたような日本文学の状況下で、民主主義文学の創造・批評は、全体として今日の時代に迫り多様で多彩な作品を生み出し、現実に根ざした営みを活発に繰り広げてきたと言えるであろう。題材やテーマに広がりが見られたのも特徴であったが、それは、複雑な社会や人々の生活の奥底にひそむ、矛盾の新たな深まりを敏感にとらえようとする積極的な意志の現われであった。

(1)戦争や被爆の日々から六十余年を経てきて、今日あらためてそのことをとらえなおそうとするこころみが練達の書き手によっておこなわれた。
 作者の旧知の詩人で医者でもある被爆者、丸屋博の仕事をたどりつつ、韓国人被爆者、李順基の生涯を追った、右遠俊郎の「ヒロシマにつながる話」は、核兵器のもたらす惨害と日本が韓国に何をしたかを深く問いかける作品であった。森与志男も、傷痍軍人として除隊後再び召集され戦死した息子の悲劇と、戦時体制下の人々の温かさを「永澤セツの場合」で描き、支配者が強いた嘘を照らし出した。
 戦争を避けようとした先人の努力を現代によみがえらせた、稲沢潤子「海の灯」は、豊臣秀吉の朝鮮侵略で脅かされた国境の島、対馬の葛藤を描いた作者初の歴史小説で、〝戦争より平和〟のメッセージを作品世界に結実させた。
 九州の山村の地主一家の、戦時中から戦後を舞台にまとめあげた戯曲、平石耕一「パラシュート」や、敗戦の年に引き揚げの途中で客死した葉山嘉樹を、主人公に追跡させ小説化した、原健一「葉山嘉樹と『偽満州国』」も、戦争にかかわる重い主題を今日の視点で問うものであった。在韓米軍の基地拡張に反対する人々の姿をとらえた、小原芳樹「昼の月 遥かな桜」や柴垣文子「鐘を撞く」はいずれも、作品形象を通して平和の問題を読み手に投げかけた。
 世界を席巻してきた弱肉強食の新自由主義、市場原理主義、行き過ぎた金融資本主義が、いま瓦解の局面を迎えている。ワーキングプアと言われる働く貧困層が増大し、派遣労働者が切捨てられる痛ましさの一方で、正規労働の若者たちは、成果主義と際限のない超過密労働に苦しめられてきた。この二年間、労働の現場も農村も激変するもとで、多くの書き手の意欲的挑戦により、さまざまな職場で働く人々の実相がとらえられたことは、民主主義文学ならではの収穫であった。
 田島一『ハンドシェイク回路』は、日本経済をリードする電機大企業の最先端の開発現場を舞台に、新しい人間関係を模索しつつ過酷な労働の実態や青年労働者の意識の変化、日本共産党員のたたかいを追い、「未来なき日本社会」の現実打開の道を探ろうとした。
 大浦ふみ子は、長崎の造船会社に中途採用された若い労働者の苦境を、「きみを忘れない」で描き、仙洞田一彦「電話は鳴らない」は、会社と第二組合から見捨てられた男たちが、「隔離部屋」行きを余儀なくされる実態をとらえ、櫂悦子「作為の迷路」は、製薬会社の薬理研究所で働く派遣社員や正社員の苦悩を内面からすくいとった。いずれも現代の労働の場の追求を主題に、書き手自らのモチーフを醸成させ挑んだ作品であった。第七回民主文学新人賞を受賞した、かなれ佳織「回転釜はラルゴで」は、非正規の給食調理員として働く二十一歳の女性を描き、山形暁子「雨の日の不思議な夜」は、思想攻撃に抗して信念を貫いた銀行員の姿を、税所史子「石工」は労働災害をめぐるたたかいを、今後千寿子「長い一日」は息子の厳しい労働の実態を、それぞれ主人公の眼で見つめさせた。林田遼子「ぼうねえ」は、レッドパージ後の紡績工場を舞台に、女工たちの労働と青春の日々を追い、貧困と連帯の問題を提出した。
 民営化前夜の郵便の現場で起きる日常を切り取った、なかむらみのる『郵便屋さん』は、作者独自の方法で生み出した掌編小説集であった。
 日本の食料と農業はいま深刻な危機に直面している。アメリカや財界・大企業言いなりの食料輸入自由化路線で、際限なく食料を海外に依存する施策をとりつづけてきた、歴代自民党農政が今日の困難をもたらしたものである。会津盆地を舞台にした、前田新『彼岸獅子舞の村』は、民俗芸能の彼岸獅子舞の形象を通して、後継者不足に悩み荒廃する農村の現在を描きだした。こうした農村の現実を民主主義文学が多彩に描いていくことは焦眉の課題といえよう。
 「政治の季節」と言われた一九六〇年代後半から七〇年代にかけて、青春の時を駆け抜けた「団塊の世代」は、いま定年退職の期を迎え新たな道を歩み始めている。社会や政治と深くかかわり生きた時代の青春の形象は、今日における連帯を追求していくうえでも、文学の重要な課題と言える。
 青木陽子『雪解け道』は、一九六七年に北国の大学に入学した女性を主人公に、大学民主化闘争の渦中にあった当時を、今日の眼で総括しようとした作品である。真木和泉「もう一度選ぶなら」も同じく、東京教育大学廃学という異例の攻撃に向き合った学生たちを描き、青春の意味と人生について考えようとした。一九八〇年の学園を舞台に学友たちとの行き交いを描いた、燈山文久「青の旅人」は、偏差値教育のゆがみを直視し、自己変革へと向っていく青年の姿を跡づけようとしたものであった。
 関西の有名進学校を舞台に、教員組合の切り崩しに抗する教師や高校二年生の主人公たちの日々を通して、多感な青春のありようを問いかけた、風見梢太郎『浜風受くる日々に』は、独自の境地を切り開いた教養小説であった。
 前大会の幹事会報告は、「生きがたい現実のもとで、困難に向き合い懸命に生きようと努力する若者の姿は、今日いっそう多様に描かれなければならない」と述べて、若い書き手の活躍を激励するとともに、「近・現代の内外の文学から学びつつ、自らの文学世界をつくり新しく挑むという創作姿勢はとりわけ重要」であることを指摘し、民主主義文学の次代を担う世代の奮起をもとめた。
 旭爪あかねは、『稲の旋律』『風車の見える丘』の続編「月光浴」を完結させ、引きこもりから一歩外に出始めた「千華」が「現実に抵抗し、現実を変えよう」と成長していく姿をとらえ、現代青年の心奥とその生き方に迫ろうとした。秋元いずみ「鏡の中の彼女」では、契約社員の仕事を打ち切られ過食症に陥った二十七歳の女性主人公が、人とのつながりによって苦境から一歩踏み出していこうとする姿が描かれた。須藤みゆき「雨の記憶」、高野哉洋「レモンティー」の主人公たちは、仕事や社会とかかわった青春の意味を問い自らの生きる場所を見いだそうとし、石井斉「働きたい理由」は、統合失調症を患う若い主人公の就職活動を描いた。
 若い世代が描いたこれらの作品にはいずれも、苦難の中で真摯に生きることへの作者の熱い思いがこめられており、現実にぶつかり成長していく若者の姿を伸び伸びととらえた世界は、貴重なものであったと言えよう。
 人が老いると、元気だったころには想像もできなかったような事態に遭遇する。そして、命を年齢で差別する政治の冷酷さなど生き難い状況から逃れることもできない。『民主文学』誌上で最近、老いや医療・介護が主題の作品が多く登場してきたのも、現実の反映として自然な流れであった。
 吉開那津子は「とこしえの光」で、歩行困難の八十八歳の父親を看る娘の目を通して、老人をないがしろにするこの国の非情な仕打ちを照射し、老いと生きることについて問いかけた。森与志男は、「後期高齢者医療制度」導入に異議申し立てをおこなう地域活動に参加する老作家の姿を、「いまを生きる」で描いた。平瀬誠一「ぬいぐるみの梟」も、被害妄想的な幻覚と幻聴をともなった認知症に侵された母親を息子の目からみつめた作品であった。金子喜美子「ヒヤシンス」、桐野遼「花殻とスーツ」、神林規子「祭の夜」などでも、同様に老いや介護を主題に描かれた。
 子どもと学校を競争に追いたて、人間を「勝ち組」と「負け組」にふるいわける殺伐とした社会の風潮と密接につながった、今日の教育の荒廃には根深いものがある。能島龍三は、定年をあと二年に控えた教師が、病院から特別支援学校に通う強迫性障害の男子生徒と向き合い、その成長していく姿を「オブセッション」で描き、教育現場の矛盾と再生の方向を照らしだした。小学生の子をもつ父親の視点から、子どもと学校の現実が、横田昌則「青い実」で描かれたが、学校・教育現場に材を得たテーマは、民主主義文学において、更に描かれ追求されるべきであろう。
 いまという時代がはらむ複雑な社会の諸相や、人々の生活のすみずみに及ぶ困難の深まりに焦点を絞り、私たちの文学はこれまでも多くの成果を生み出してきたが、こうした主題は、今大会期においても数々の作品に結実された。北原耕也は、日本社会から排除された朝鮮人やホームレスたちの意地と悲しみを直視し、『さすらいびとのフーガ』を描き、浅尾大輔は、「ブルーシート」(『小説トリッパー』春季号)で、社会の片隅で生きる人たちを見つめ、現代の貧困を描いた。
 「痩せ馬ロシナンテになって、朝日茂の奇想天外な旅の道連れになりたい」として生涯を貫いた、朝日訴訟中央対策委員会の事務局長、長宏を描いた、右遠俊郎「虹の男・長宏略伝」は、時代への批評を基底にすえた作品であった。稲沢潤子は、「夜の広場」で、深夜の都会のビルでアルバイトをする女性の目から病んだ現代社会の危うさを鋭利に切り取り、集合住宅が抱える今日の問題に目を向けて「自来也」を描いた。
高橋篤子は「ウプソルを送る」で、母親がアイヌである二十代女性教師の自分探しの旅を通して、アイヌ民族の苦悩を描き、野川紀夫「その時のわたし」、三浦協子「黒い海」、草川八重子「夢の話」なども、それぞれ自身や家族を見つめ、いまに生きることを問う作品であった。
 冒頭で述べたように、今日、「ルールなき資本主義」は、国民生活をどん底に落としいれると同時に、命と暮らしを守る反撃も呼び覚まし、さまざまな分野で新たな動きを生み出している。私たちの文学は、こうした生活とたたかいの場で理不尽に立ち向かう人間の姿を豊かな形象のうちに描きだし、持続的に追求していくことがさらなる課題とされている。
 日々生起する事件や諸問題への関心を、ルポルタージュとして追求する意義は大きい。前大会報告では「その重要性にもっと関心が払われる必要がある」と述べたが、昨年の全国研究集会ではルポルタージュの分科会が設けられるなど参加者の関心が示された。
 なかむらみのるは、新潟県阿賀野市を舞台に、「九条の会」に集うさまざまな人々を『草の根の九条 萃点の人々』で追った。浅尾大輔は、劣悪な労働環境や偽装請負に声をあげてたたかう青年たちの日々に切り込み「未来は僕らの手の中に」を書き、新しい連帯の可能性を問いかけた。入江秀子は、「最後の闘い」に挑んだ玉城しげ氏を追い、「この命、今果てるとも ハンセン病『最後の闘い』に挑んだ九十歳」を書いた。
 この間『民主文学』で久々の「ルポルタージュ特集」が組まれ、平良春徳「貧困の岩盤に立つ若者 ―極限層から連帯を求めて」、桐野遼「ホームレス宿泊所の人々」、三浦協子「我らは主権者 ―自治体合併強行に抗して」、長船繁「日々蝕まれて ―造船のじん肺とアスベスト疾病」、森本泰子「なぜ餓死・孤独死が繰り返されたのか ―北九州市生活保護行政の問題」、阿部芳郎「脅かされる「表現の自由」 ―ジャーナリストの目から見た国交法弾圧事件」などの諸作は、国民各層の過酷な現実や大企業、国家権力の腐敗と横暴などを現場から告発し、それらに立ち向かう人々のたたかいが報告されたものであった。現代社会を反映する文学として、ルポルタージュへの意欲的な挑戦が今後も期待されよう。
 『民主文学』の連載エッセイでは、戦後から現在にいたる自身の生と時代を追った、土井大助『末期戦中派の風来記』と、来し方と信濃、人との邂逅、芸術と人生についてなどが語られた、碓田のぼる「遥かなる信濃」の二つが完結した。
 多様な作品を創出してきた民主主義文学の二年間の創造を顧みたとき、現状の成果にとどまることなく、複雑な社会と人間、時代に正面から向き合った、スケールの大きな文学をどう生み出していくかという課題に気づかされる。『蟹工船』ブームが起きた背景には、今日の時代の窮境がある。劣悪な労働環境と暴力的な支配に打ちのめされながらも団結してたたかう群像の描出は、閉塞感に覆われた現実のもとで、必死に生きる人びとの心を撃った。それは、全力で文学に立ち向かった多喜二の刻苦と健闘を、今日私たちの文学はどう受け継いでいくかの課題として提起されていることを意味する。
 文学とは何か、作家・批評家の仕事は何なのかという原点が忘れさられようとする日本文学においても、時代をとらえ、平和な社会と人間らしい生き方を希求する理性の発揮を確かに見ることができた。そうした流れを文学の本道としていくためにも、小林多喜二らの創作姿勢を今日の時代にふさわしく継承し、実作によって示していく努力は小さくない意味を持つであろう。

(2)批評・理論活動は創作水準の向上において、その問題と豊かな示唆を提供していくうえで重要であり、文芸時評や個々の作家・作品論は創作活動の前進にとって大事な位置を占めるものである。この間の批評活動をふり返ってみると、現代文学における話題作や文芸思潮について解明をおこなうなど、新たな視角から幾多の論考を実らせてきたことが分かる。
 牛久保建男「現代文学の動向と諸問題 上・下」は、現代日本文学の話題作について、社会性をもった方向で考えていこうとする作家たちの創作姿勢に考察を加え、プロレタリア文学への関心など、最近の動向について論及した。新船海三郎「『今=ここ』の現在主義とわれわれの文学 ―加藤周一氏の最近の仕事から」は、戦後を坦々と歩んできた知識人、加藤周一の最近の仕事を論じたものであった。宮本阿伎「ハンセン病の芸術形象をめぐって」は、近代文学史におけるハンセン病の形象の問題を、島木健作や松本清張などの作品に即して探り、今日の文学はどうあるべきかを引き出そうとするこころみであった。
 乙部宗徳「『団塊の世代』はどう描かれたか」は、過去に描かれてきた「団塊の世代」の諸作品を分析し、その世代の現実が文学として深くとらえられることにより、社会を動かす新たな連帯がつくり出される可能性について言及した。また、三浦健治は、「主人公と作者のストラッグル ―吉開那津子『夢と修羅』三部作を読む」で、十年以上の歳月を費やし三部作を完結させた作者の仕事について、小説の創作方法を解明しながら論じた。
 『民主文学』特集の「戦争と文学」では、乙部宗徳「沖縄戦はどう描かれたか ―大城立裕の作品を中心に」、岩渕剛「同時代の〈海軍〉」、下田城玄「井伏鱒二の非戦文学」など、いずれも今日に視点をすえての論考であった。
 多喜二没後七十五年の年の昨年から今年にかけては、多喜二論の著作の刊行や初期作品「老いた体操教師」の新発掘に関した論評、ブームを呼び起こした『蟹工船』についての論など旺盛に取り組まれ、多喜二の仕事を新たに追うこころみがなされたのが特徴であった。
 右遠俊郎は、「防雪林」「一九二八年三月十五日」「蟹工船」「党生活者」「東倶知安行」の諸作品における「私」を作家の視点で論じ、知識人の問題を解き明かした『小林多喜二私論』を上梓した。これまであまり論じられてこなかった、多喜二の初期作品の魅力を、今日の視角で分析した、宮本阿伎の論考、「小林多喜二の初期作品の意味 ―『老いた体操教師』を中心に」は、多喜二作品への批評のモチーフの深さを感じさせるものであった。
社会現象ともなった『蟹工船』の現代社会との関わりや作品成立等について、分析・解明をおこなうことは、今日の時代における作品創造にも影響を与えるものであり、重要な仕事といえる。
 尾西康充「現代格差社会における『蟹工船』」は、現代の日本社会との結びつきという観点から、作中に描かれている労働者の階層、地域(民族)、性の三つの格差を分析し、マスコミの世論操作に惑わされず書き手は多喜二の主張を創作に活かしてゆくべきだと説いた。牛久保建男「『蟹工船』の成立と今日の文学的課題」も、多喜二が『蟹工船』に向かった内的動機と作品の意図の二つの側面から考察を加え、意識的に社会と切り結んだ作品創出は、現代文学の受け継ぐべき課題であると論じた。いずれも今日の動向に正面から向き合い、実作にも示唆を与える論考であった。若い世代の多喜二論としては、自身の創造の体験と『蟹工船』論議について述べた、浅尾大輔「多喜二の何をひきつぐべきか」(『小林多喜二と「蟹工船」』・河出書房新社)があった。
 『民主文学』の「小林多喜二没後七十五年」特集では、新船海三郎「多喜二とマルクス、蔵原惟人」、牛久保建男 「『東倶知安行』の青春」、下田城玄「小林多喜二の反戦文学」、大田努「『党生活者』を読みなおす」など、多喜二の自己変革と成長の過程や、今なお「未解決」との見方がある「笠原問題」、同時代を過ごした伊藤整にとっての多喜二の存在について、等々が論じられた。
 二〇〇八年は徳永直没後五十年の年であったが、戦後初期の短編を中心に、労働者や農民のたたかいを描いた徳永の仕事に光を当てて論じた、岩渕剛「時代とともにすすむ」や、貧困層の人物に共感を寄せて描いてきた作品世界を今日に問いかけた、澤田章子「徳永直の描いた細民生活者」なども重要な仕事であった。
「若い世代のための宮本百合子入門」で第五回手塚英孝賞を受賞した北村隆志は、自身の文学の原点を百合子の文学に求めるようになった経緯を明らかにし、「百合子を現代にいかすのは私たち以外にない」、と若い世代に呼びかけた。
 『民主文学』は二〇〇七年六月号で創刊五〇〇号を迎え、記念増大号として発行した。五〇〇号の歴史は、多くの新しい書き手を生みだし、作家・評論家が力を合わせてともに文学創造に励み、日本文学の民主的発展に寄与してきた過程を物語るものである。『民主文学』の編集においては、幅広い読者の獲得を視野に、多彩な特集を企画するなど、内容の充実に向けた努力がなされた。
 創造・組織活動についての久々の企画、「民主文学運動の創造拠点の営み」では、全国の五つの支部代表が出席し意見交換をおこなった。ほかに特集としては、「歴史の真実を問う」、「憲法問題・改憲策動に抗して」、「私の好きな短編小説三編」などが組まれた。また、雨宮処凛の出席も得て、『蟹工船』と現代の労働者の実態、作品化の課題、労働を描く若手作家の動向について語り合った座談会「現代の労働と文学を考える」も好評を博した。
 この間私たちの文学運動の先達であった佐藤静夫、永井潔、勝山俊介氏らが他界されたが、それぞれ追悼特集にて業績を論じたことは、日本文学における位置づけという意味でも重要であった。
 各々の今日の到達を示す実作をまとめた『民主文学館』では、堺田鶴子『百日紅』、野川紀夫『時の轍』、田村光雄『化粧する男』、越広子『山襞』、増田勝『成田で』、谷口一男『江岸に吹く風』、三浦光則『小林多喜二と宮本百合子』の七冊が刊行された。
 この二年間に出版された会員の多くの著作は、文学運動の活気を示すものであった。幾つかをあげると、右遠俊郎『国木田独歩の短篇と生涯』、永井潔『戦後文化運動・一つの軌跡』、同『?の呟き その二』、新船海三郎『藤沢周平 志たかく情あつく』、奈良達雄『若杉鳥子―その人と作品』、同『文学の群像』、碓田のぼる『渡辺順三研究』、山本司『初評伝・坪野哲久 ―人間性と美の探究者』、小野才八郎『太宰治再読』、工藤一紘『秋田・反骨の肖像』、東郷秀光『私の英文学』、茂山忠茂・秋元有子『奄美の人と文学』、津上忠『不戦病状録抄』、小林雅之(平良春徳)『上を向いて歩こう』、吉開那津子『夢と修羅』、原健一『葉山嘉樹への旅』、早乙女勝元『「白バラ」を忘れない ―反戦ビラの過去と今と』などがある。また、『松田解子自選集』(全十巻)が完結の運びとなり、約八十年にわたる業績があきらかにされた。
 前大会以後民主主義文学は、多様な題材と真摯に向き合い作品を数多く創出してきた。なお克服しなければならない課題が多々あるとはいえ、私たちはこれまで、日本文学の民主的発展のために創造・批評においてたゆまぬ努力を続けてきた。しかしながらこれほど社会と政治が行き詰まり変化の生み出されているときに、文学的エネルギーが現状に見合うものとして存在しているかという指摘もある。現実世界をとらえる目が観念的になってはいないか、ほどほどに作品をまとめて発表し安易に流されていることはないか自らに問いかけ、時代と格闘する思想と鋭敏な感性を自らのものとして鍛えなおし、挑戦を重ねていくことがいま特に大切であろう。これは批評においても言えることである。
 『民主文学』誌上への新しい書き手の登場は、運動としても活気をもたらした。私たちの文学会の年齢構成をみたときに、資質のある若い世代の書き手を見出していくことの重要性はあらためて言うまでもない。このことをたえず念頭に置き、日々取り組んでいかなければならない。
 体験を書くことをめぐって、前大会では熱い論議が交わされた。時代ときりむすんできた個々人の体験は、もとより文学の苗床であり、貴重な宝である。しかし、狭い体験の枠内にとどまって普遍性を獲得できないならば、文学として未成熟といわねばならない。
 前大会の幹事会報告は、「時代状況にふさわしく『民主主義文学とは何か』についての討論を深めていく必要」を述べた。しかしこの論議は、二年間十分には行われてこなかった。その反映として、「書きたいものを書いていれば良し」とする文学運動としての意識の希薄化や、読み手の求めるものに応えきれていない現実把握の立ち遅れが生じていることも否めない。社会が大きく揺れ動くもとで起きた『蟹工船』現象は、私たちの文学運動に対しても痛烈な問いを投げかけるものであった。それぞれの書き手が、自身の書きたいという思いを突き詰めていくとき、それは書き手自身の今日の時代を生きる思いと無縁ではなく、何よりその追求の深さが重要といえる。社会の本質とそこに生きる人間の真実の描出に正面から向き合うことが求められているのが今という時代である。民主主義文学運動にとっての新しい時代の到来にふさわしい理論的探究を深め、今日の民主主義文学について大いに議論していくことを呼びかける。
 時代状況にふさわしい意欲的創造に刺激を与える旺盛な評論活動は重要だが、現代文学が内包している諸問題によくかみ合う形で、民主主義文学としての論を打ち出していくことが求められている。民主主義文学が生み出した作品が現代の課題にどう向き合っているかという見地から、それぞれの書き手の成長段階もふまえて活発に論じ、創造・批評のより高い峰をめざす気風を運動全体のものにしていくことが大事である。同時に、私たちが現在直面している創造上の困難をどう克服していくかの理論的探究もおろそかにしてはならない。
 民主主義文学の長編作品の成果については、「長編完結作を読む」で時々に論じられてきたが、作家・作品論として総体を論じた批評は殆どみられなかった。また個々の作品についての評価の違いは当然ありうるとしても、その論が客観性、妥当性を備えたものであるかどうかをめぐっての論議がおこなわれなくなっている最近の傾向は好ましいものとは言えず、文学運動活性化の観点からも、今後の奮闘が求められる。
 現代の民主主義文学運動の創造の発展に即して、また今日現れている動向にも広く目を向けながら、小林多喜二や宮本百合子の研究をはじめ、プロレタリア文学研究を深めていくことは重要である。若い世代の研究者の育成も、運動としてゆるがせにできない課題である。
 「近・現代文学研究会」は、持続して取り組まれ通算一〇六回を数えた。「批評を考える会」も時々の話題論考や戦後批評の系譜を取り上げ、また、しばらく休会していた「労働者の現状と文学研究会」が再開し、現代の労働現場における諸問題や描かれた作品について研究をおこなってきたのは意義深いことであった。各研究会はいずれも、民主文学全体で成果を生み出していくという観点から、参加者の増える活発な会活動のあり方を工夫していくことが大切である。

三、本道をゆく文学運動にふさわしい組織的前進を

(1)私たちはこの二年間、文学を求める広範なエネルギーの結集をめざして、創造・批評活動とともに諸行事に意欲的に取り組んできた。なかでも、民主文学会が主催し東京の「みらい座いけぶくろ」で開いた、小林多喜二没後七十五年「多喜二の文学を語る集い」は、九百五十人という入場者を迎え、近年の行事で最高の到達をみることができた。この成功の要因としては、多喜二の文学が持つ力、そして時代状況が呼びおこしたプロレタリア文学への新たな関心が、第一にあげられる。出演者と内容の魅力も大きく作用したが、同時に関東地区の支部と文学会が一体となって、入場券の普及や宣伝活動に力を投入した組織力の発揮は貴重なものであった。ここに私たちは、人生に必要なものとしての文学の存在を、確信を持って見いだすことが出来るだろう。
 集いにおける講演、祖父江昭二「いま多喜二の文学を読む」、朴眞秀「小林多喜二の文学と私の青春」および、浅尾大輔と首都圏青年ユニオン組合員らによる青年トークは、『民主文学』特集(〇八年六月号)に掲載された。昨年は、全国各地の十二ヶ所で「多喜二祭」や記念の集いが持たれたが、東京では朴眞秀氏を、秋田・大館ではかつて韓国で『蟹工船』を翻訳・出版した李貴源、李相炅の両氏を招くなど、初めて海外からの講演者を得たことは注目される。
 昨年十月に辻井喬氏を招いて神戸で開催した、「民主文学関西文芸講演会」の盛況も特筆される。三四〇人の参加で会場は超満員となったが、神戸、阪神支部をはじめ関西地域の支部が一丸となって、民主主義文学運動の存在を広く示したことには大きな意義があり、今後の運動の発展に期待がもてるものであった。この記録は『民主文学』(〇九年二月号)に収録されている。
 文学創造に向けるエネルギーの発揮という点では、「第20回全国研究集会」が近年最高の参加者で賑わったことは意義深い。「『格差・貧困・閉塞』の社会と文学を考える」という今日的テーマで全国から一六九人が参加し、シンポジウム、分科会ともに真剣な討論を繰り広げ、創造・批評への熱い思いがみられたことは、今後の運動の方向に示唆を与えるものであった。地元四国を中心とする各支部の奮闘が成功につながったことも記しておく。
 また、若い世代の力で初めて開催した「若い世代の文学研究集会」(〇七年十月)は、北海道から愛媛まで三十人の参加者で、活気のある集会になった。ここでは稲沢潤子が「表現と思考――書き始める若者たちへ」の記念講演を、浅尾大輔、旭爪あかね、横田昌則が創作体験の発表をおこない、創造への意欲を呼びかけた。開催準備の過程で、少なくない若い世代を文学会に迎えることができたのは貴重な成果と言える。その後もメーリングリストを通じて交流がはかられ、翌年の「若い世代の文学カフェin盛岡」の開催につながった。若い世代の結集については、今後も研究を深めながら進めていくことが大事だが、何より当該世代の文学的エネルギーを尊重し、地道に積み重ねていく努力が求められているのであろう。
 一九六〇年代から七〇年代初めにかけて青春の時を過ごした、いわゆる「団塊の世代」前後の会員を中心に当初集まりが立ち上げられ、それは後に参加年齢規定のない「心さわぐシニア文学サロン」に発展し、開催は八回を数えている。今後は文学会外の人々を広く対象に、内容をいっそう充実させ、東京だけでなく全国への展開も考えていく必要がある。
 来年、民主主義文学会は創立四十五周年の節目の年を迎える。風雪に堪えてきた私たちの四十五年の文学運動を振り返り、未来への新たな出発点として位置づけ、四十五周年記念行事の開催に取り組んでいく予定である。これまでのところ、『民主文学短編小説集』、『民主主義文学運動の歴史と理論』の記念刊行を定めているが、各地の記念文芸講演会の開催などについて、今後計画を検討していく。

(2)昨年十二月に開かれた第四回幹事会は、「全国が一つになって読者・会員・準会員を拡大し、第23回大会を成功させよう!」のアピールを発表し、以後、第二十三回大会に向けた拡大運動に取り組んできた。しかし民主主義文学会の組織は、第二十一回大会以後、会員、準会員、『民主文学』読者ともに減少傾向からの脱却ができず厳しい事態に直面している。その原因としては、まともな文学に接したいと願う広範な文学愛好者の層に、私たちの呼びかけがまだまだ届いていないことがあると考えられる。本事態は、文学会の運営にとっても看過できないものであり、創造・批評の水準向上の課題とともに組織活動強化を前面に位置づけて、活力のあふれる運動を推進していくことが大切である。
①民主主義文学運動の四十余年をふり返るとき、全国各地の文学会支部の活動をぬきにして語ることはできない。支部の活動を維持・発展させていく原動力は、民主的な文学の創造、鑑賞から生まれてくるものであり、作品発表の場としての支部誌の充実とともに、創造・組織活動の結節点として『民主文学』を中心にすえた運動を進めていくことが大事である。月々の『民主文学』の作品をよく読み、支部の合評を通して個々の書き手が自らの創造のレベルアップをはかり、年に一度は意欲作・自信作を投稿し、掲載された『民主文学』を普及していくという姿勢が求められている。そのことが、より魅力ある文芸誌としての『民主文学』につながっていくものである。
 民主文学会事務所で開く、毎月の「作者と読者の会」は盛況が続いている。この経験を生かし、各支部が力を合わせた地方開催の実現は、創造のステップアップに結びついていくものであり、常任幹事会としても積極的に取り組んでいかなければならない。
 この間、新しく上田(長野)支部が生まれ、町田支部、横須賀支部も再建され活発な活動をおこなっている。しかし活動の持続が困難となり、幾つかの解散支部が生まれたことは、大きな反省点としてあげられる。組織活動の強化を目的として、全国組織部・地方担当合同会議を二回開催してきた。創造・組織・財政問題の討論を通じて組織部員・地方担当と幹事会の意思疎通をはかり、今後の前進に向けた運動の展開を意図して開いたものである。本年二月にはいくつかの支部代表の出席も得て、充実した会議となった。また、前大会以後、幹事・常任幹事を支部に派遣し、創造・組織両面での支援をおこなう支部訪問活動に取り組んできた。今大会期は、上田支部、横須賀支部、盛岡支部、弘前・青森県南支部など多くはなかったものの、それぞれ支部活動の強化にとって有益な訪問であった。今後も要請元の意向をよく汲んで進めていく計画である。
 文学会の年齢構成については、会全体で実態や今後の方向などの認識を共有し、若い世代や団塊の世代を迎え現状を打破していく具体策を講じていくことが重要である。
 前大会以後、北海道創作専科、伊豆文学学校、関西文学教室京都創作専科、東北文学教室秋田、関西文学教室大阪などが開催された。地方における文学教室・創作専科開催は、全国的に同一レベルで創造水準の向上が図られ、また会の外に向けた宣伝により新しい人を迎える結果も生み出している。こうした小まめな開催は確実に支部の活性化につながっており、今後とも重視されなければならない。
 民主主義文学会のホームページは二〇〇〇年に開設し現在にいたっているが、存在と魅力を会外に発信していくためにも、その充実に真剣に取り組んでいく必要がある。ホームページは若い世代との回路をつなぐ意味でも重要であり、会全体の創造物としてつくりあげていかなければならない。
②二十二大会期の財政収支は「均衡」しているが、けっして安定した状況にはない。これは、準会員・定期読者数が漸減傾向で、文学会外の雑誌販売数の減少、さらには滞納の増大により組織・出版関係収入が大きく割り込むという状況にもかかわらず、経費の節減、募金の活用等の経営努力により補い得られた結果である。滞納を生まない日常的手立ての強化と共に、引き続き会員・読者各位に前納への協力を呼びかけていく。
 今大会期も、用紙代の値上げ、郵政民営化に伴う振込手数料等の経費増、不況による滞納、構成員の高齢化にともなう負担増など、収入の落ち込みと支出の増が懸念され、事態は更に悪化する可能性もある。第二十三回大会は、予測される経済状況の悪化もふまえて、組織実態に見合った適正な予算を組まなければならない。
 しかしながら、『蟹工船』ブームに見られるプロレタリア文学への関心の高まりは、その伝統を受け継ぐ民主主義文学運動への期待に結びつくもので、現状打開の可能性を大いに有していると考えられる。また支部の身近を見たとき、周りには、まだ準会員や『民主文学』読者になっていない多くの支部員や支部誌の読者がいる。こうした人々への入会や購読の働きかけも一層強めていくことが大事である。
 文学教室、創作専科の地方開催は、必ずしも収益を目指すものではなく、運動の一環である。赤字を出すことは避けねばならないが、地方開催の積極的な展開など、事業を安定的に成功させる充実した企画を提供していく努力が引き続き重要である。
 厳しい状況のもとでも、「若い世代の文学研究集会」「若い世代の文学カフェin盛岡」「心さわぐシニア文学サロン」、「関西文芸講演会」など新しい取り組みが実現できたことには、二年間で全国から寄せられた二八〇万円を超える「組織活動強化募金」が大きく貢献している。貴重なカンパに心から感謝し、次代に文学運動を引き継ぐために今後も有効な活用に努めていく。

 私たちはいま、人間一人ひとりの存在が脅かされる危機的状況のもとで、新しい歴史の扉が開かれようとする激動の真っ只中にいる。人々が熱い思いを胸に、歴史の事理にかなった発展を目指して行動していく時代である。それは、私たちの文学がそうした人々とともに歩み、積極的に生きる現実のなかから真実を見出し作品世界に結実させていくことにより、豊かで高い到達を得る可能性に満ちた時代であることをも意味している。私たちの日々の努力の積み重ねは、必ず多くの人々の心をとらえるであろう。今こそ本道をゆく文学運動にふさわしく、第二十三回大会を創造・批評の新しい峰を築く出発点として、志高く気概をもって前進していくことを呼びかける。
 
 

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