2011年5月に開いた第24回大会の報告です。(第20回以降の大会報告
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 大震災からの新たな文学創造を
   ――日本民主主義文学会第二十四回大会への幹事会報告――
                                                                            報告者  能島龍三

 日本民主主義文学会第二十四回大会は、未曾有の大災害のさなか、被害者救援、原発事故の危機回避などに、日本国民が総力を挙げて取り組む状況のもとで開催される。二〇一一年三月十一日、東北と北関東太平洋岸を襲ったマグニチュード9・0の猛烈な地震と巨大津波は、最終的な死者行方不明者が二万三千人を超す程の大惨事を引き起こした。人々は最愛の家族と住む家を失い、農業や漁業をはじめとして地域の産業は壊滅し、行政や病院・学校が機能を喪失した地域も多い。その上、東京電力福島第一原発で発生した原子炉建屋の爆発・放射能漏れ事故によって、地震と津波の被災者はさらに深刻な状況に追い込まれた。復興に向けての動きが少しずつ始まってはいるが、被災地がふたたび以前のような活気を取り戻すまでには、多くの歳月と努力が必要となるだろう。今は何より、被災者が一刻も早く安全で健康的な生活を取り戻せるよう、政府・自治体を先頭に、この国の総ての企業、団体がその力を尽くすべき時である。多くの国民の自発的な募金やボランティア活動など、物心両面の支援も求められている。
 福島第一原発の事故は、チェルノブイリと比較されるまでに深刻化した。国民の納得できる十分な情報開示がないまま、放射性物質が長時間広範囲にまき散らされた結果、首都圏でも乳児に飲ませることができない程の水道水汚染が起き、福島県だけでなく関東各県の農作物にも、出荷停止など甚大な被害が出ている。以前から指摘されていた大規模地震や巨大津波に対する防御対策をおざなりにし、安全をうたいあげて国民の目をくらましてきた東京電力や政府・経済産業省の責任は重大である。何よりも今国は、原子力安全委員会をはじめとして総ての国内外の専門家の力を借りて、事故を起こした原子炉の放射性物質を、確実に安定的に封じ込めるために全力をあげなければならない。
 この事故の重大性を考えた時、国内に五十四基ある総ての原発の総点検、東海地震想定震源域にある浜岡原発の永久停止、十四基の新増設計画の中止等、原子力行政・エネルギー政策を根本から見直す以外に、日本国民の安全を保障する道はない。今後のエネルギー政策として、風力・太陽光など、再生可能エネルギーの利用への転換をはかることが、最重要課題として追求されるべきであろう。

 前大会は「転換の時代の始まりに新たな文学運動の創出を」と呼びかけた。それは『蟹工船』ブームに見られたように、非正規労働者の闘いの広がりをはじめとする、国民の現状打開の願いを背景にしたものだった。大会後に行われた二〇〇九年八月の総選挙で、国民が自公政権退場の審判を下したことは、そのことを証明した。しかし代わって政権についた民主党は、国民への公約を次々と反故にし、一年半足らずの間に日本の政治を日米同盟と財界・大企業追随の方向に回帰させてしまった。国民にとって情勢は依然として厳しく、社会は閉塞感に満ちているように見える。今回発生した大規模災害と原発事故は、国民の苦難をさらに深く深刻なものにしている。
 こうした状況は、多くの国民に、明日への道をどう切り拓くかという問いを厳しく突き付けている。そのことはまた、文学の側面からすれば、人間らしい生き方と社会のあるべき姿を深く追求する文学の創出を、多くの国民が待望しているということもできるだろう。
 そうした課題に対して、この二年間、日本文学はどう応えてきたのか。私たちの民主主義文学運動は、そのような時代の要請にどう応えてきたのか。この大会は、二年間の創造と批評の成果を見据えて、そのことを深く検討しつつ、今後の文学運動の創造と批評の課題を明らかにしなくてはならない。
 民主主義文学は、侵略戦争への加担・協力の歴史に対する痛苦の反省と、そのくり返しを拒否する強い意志をもって、戦争から平和へ、天皇制支配から民主日本への、国民の強い願いを文学によって表現しようと、多くの自覚的な文学者によって生みだされた。それは、文芸誌や同人、結社などを拠り所にした旧来の文学のあり方とは違った、新しい文学創造を期す新しい文学運動であった。昨年の夏、創立四十五周年を迎えた私たちの文学会は、この民主主義文学運動の初心を大切にし、真に生活と人生の糧となる文学とは何かを見据えつつ、幾度かの困難を克服しながら全力で歩んできた。機関誌である『民主文学』を今日まで欠かさず定期発行し、全国の読者に送り続けていることは、低落がいわれる文芸誌各誌の出版事情のなかで、貴重かつ重要なことと言えるだろう。
 この第二十四回大会で私たちは、直面している組織と運動の現状をリアルに見つめ、五年後、十年後を展望し、運動の持続と発展のために何が求められているのか、どのような運動を構築していく必要があるのかを明らかにしなければならない。

一、閉塞の社会と日本文学

(一)アメリカを中心とする「新自由主義」路線をとる国々は、日本を初めとして世界にまだ大きな勢力を占めている。しかし今、その体制を揺るがす世界史的な激動が始まっている。アメリカの支配と新自由主義路線を脱した国々が、めざましい発展をとげている。その中心は左派政権によって独自の政治・経済路線を歩み始めた南米諸国である。一方、アフリカの地中海沿岸諸国を中心にして、公正な政治や民主主義を求めての人々の運動が急速な広がりを見せ、エジプトでは親米の長期独裁体制が崩壊した。これも、アメリカの支配と新自由主義体制の行き詰まりの一側面と見ることができるだろう。国際社会では米国の一極支配体制が崩れ始め、昨年のNPT(核拡散防止条約)再検討会議に見られたように、小国が発言力を持つような構造変化が起こってきている。そのことは、世界の核廃絶を願う人々の運動を初めとして、世界各地での抑圧されてきた人々の運動を励ます力となっている。これら世界各地の動きは、社会の閉塞状況は永遠に続くものではなく、人々が連帯して行動すれば必ず打ち破ることができるということを示している。
 日本においては、長期間にわたり自公政権が推進した新自由主義的「構造改革路線」によって、国民生活の危機はかつてなく深まった。今菅内閣は、事実上の対米自由貿易協定であるTPP(環太平洋連携協定)への参加を、「平成の開国」などと称して強行しようとしている。そのことがもたらすものは、農林水産業と関連産業への壊滅的打撃、食糧自給率の低下だけでなく、医療・福祉・金融・保険・労働など様々な分野での規制緩和・撤廃と米国資本の参入である。民主党政権は今底知れぬ対米従属の道を突き進もうとしている。悪政の根本的転換という願いを無惨に踏みにじられた日本国民は、新しい政治を求めて模索の渦中にある。
 二〇一〇年七月におこなわれた参院選では民主党が大敗を喫し、参議院は自民党が多数議席を占めることとなった。自民党と民主党で七割の得票を分け合うという長く続いてきた状況は崩れ、新しい小政党に国民の支持が流れた。国民の多くは、二大政党の支配のもとでは現状は打開されないという現実を目の当たりにはしたものの、その先のビジョンをまだ見出せていない。「支持政党なし」が有権者の四割を占める事実からも、政治的な展望を持ち得ていない国民の状況が浮かび上がる。
 こうして依然として、我が国は、国民の命と暮らしをなおざりにする政治が続き、無縁社会、孤絶などと形容される、明日に希望を見出すことの難しい閉塞状況にあえいでいる。多くの人が安定した職に就くことができず、運良く正規の職を得た人も低賃金と長時間労働に喘いでいる。青年の雇用状況はさらに悪化し、高校・大学卒業生の新規採用も門戸が狭められている。生活困窮家庭が激増し、未来を担う子どもたちが貧困と格差の大きな影響を受けている。
 今日我が国では、農水産物、木材等の輸入自由化推進政策の下、第一次産業が衰退し、地方都市と自然環境の荒廃が大規模に進んでいる。昨年九月に開催された「国際ペン東京大会2010」では、自然環境を守り生物多様性を未来に残すために、作家の果たす役割の大きさが語られ、「行動を起こす言語」の必要が訴えられた。この国の現状を前にして、我々はそのことを重く受け止めていく必要があるだろう。
沖縄の普天間基地移設問題は、県外移転を強く求める県民の意志に反して、日米両政府は名護市辺野古への移設という決着を目論んでいる。このことについて、民主主義文学会では「普天間基地の無条件撤去を求める緊急要請」を内閣総理大臣宛に送付するなどして断固反対の意志を表明した。「最低でも県外」という公約を破って米政府と合意した民主党政権に対する沖縄県民の批判は強く、日米安保体制の是非までが議論にのぼる状況にある。しかし本土では、基地問題に対する関心は高まっているものの、依然として安保必要論が根強い。それは、北朝鮮の核実験や砲撃事件、尖閣諸島問題、北方領土問題などによって強まってすらいる。
 戦後六十五年の昨年八月、米国の傘に頼りながら核廃絶を訴える日本の状況にたいして、加賀乙彦は「被爆から六十五年を迎えても日本は終戦直後の体制のまま。本当の平和を実現していない」「日本は広島と長崎の経験に立ち戻り、世界の核廃絶を先導してほしい。そのために政治は再び、安保条約と在日米軍基地の見直しを問うべきだと思います」(『東京新聞』一〇年八月十二日夕刊)と述べた。本土と沖縄の安保と基地に対する温度差をどう埋め、普天間基地問題をどのように解決していくのかは、この国の今後を左右する重要な課題である。
 この間、国民の文化状況も悪化してきている。深まる貧困は、国民が演劇や音楽、文学等に触れる機会をますます狭めている。これに加えての民主党政権の貧弱な文化政策は、学校演劇の廃止、劇団や劇場の閉鎖などに見られるように、日本の文化全体を大きく衰退させようとしている。文学に関係の深い出版界においては、かつてない規模の不況が進行し、電子出版への動きなどメディアの多様化とも関連して、出版ジャーナリズムを苦境に陥れている。
 このような厳しい情勢に追い討ちをかけるように、東日本大震災は起こった。被災地の復興の前途には、多くの難関が立ちはだかっている。農業・漁業はその存立基盤を失った上に、放射能汚染が広がり続けている。地域の産業全体が大きな打撃を受けており、雇用状況のさらなる悪化が危惧される。こうした状況のもとで、九死に一生を得て被災地に生きるたくさんの人々の生活再建も進めていかなければならない。そこには、親や家や学校・地域社会を失った多くの子どもたちがいる。総ての力を生活立て直しに向けなくてはならない状況の中で勉学の道を断たれたたくさんの若者もいる。一昨年、アラブ文学研究者の岡真理が、「アフリカで子どもたちが飢えて死んでいるときに小説はいったい何ができるのか」というサルトルの言葉を引いて、パレスチナで毎日人が死ぬ状況を前に、文学に何ができるかを敢えて問いかけた。(『すばる』〇九年七月号)古くて新しいこの問いを、我々は今あらためて深く問い直す必要に迫られている。
 今被災地では、人々が真剣に人間らしい生活の再建と、地域の産業の復興について、苦悩の中、力を合わせて足を踏み出そうとしている。平野啓一郎は自らのブログに「今回の出来事を作品を通じて受け止められないのであれば、僕がこの時代に小説を書き続ける意味はありません」と書いている。今この国に起こっている事態を、文学を志す者はどう受け止めればよいのか。言語を絶する人々の苦難を前にして文学は、人間とは何か、社会とは何か、国家は人間にとってどういう存在であるべきなのかということを、深く深く追求しなくてはならないのではないだろうか。
 大きな困難と、解決すべき多くの課題を抱えるこの国で、毎日を必死に生きている若者たちの中に、文学の芽をどう育て、次の世代に我々の文学運動を、ひいては日本文学の豊かな遺産と伝統をどう引き継いでいくのか。そのために今、この国の現実に対して、民主主義文学は何を発信していけばいいのか。そのことが私たち一人ひとりに鋭く問われている。

(二)この間、過去の侵略戦争の本質を問い直す作品が書き続けられていることは重要である。大江健三郎は『水死』(講談社)において、父親の生涯と、自分の子どもの頃の姿とを追求するという設定で、軍国主義の教育がもたらしたものを考察した。大江の思いは、天皇崇拝が日本人の心の深層で、なお力を持っているのではないかということだった。又吉栄喜は「凧の御言」(『すばる』〇九年九月号)において、戦後まで尾を引く沖縄戦の悲惨を描き出した。昨年夏には、加藤幸子『〈島〉に戦争が来た』(新潮社)、佐江衆一『昭和質店の客』(新潮社)、大城立裕「幻影のゆくえ」(『新潮』一〇年九月号)などの戦争を題材とした作品が刊行、発表された。戦後生まれの青来有一も「余命零日」(『文學界』一〇年七月号)において、原爆の記憶に苛まれながら命を終える人物像を呈示した。あの戦争の本質と人間のあり方についての文学の追求は続いている。これらの事実を通じて浮かび上がってくるのは、この国がかつての戦争における侵略・植民地支配と、自国での国民の強権支配について、まだ国家としてきちんと総括していないということに他ならない。
 昨年亡くなった井上ひさしは、小林多喜二を主人公にし、社会変革への希求を呼び掛ける戯曲『組曲虐殺』(集英社)で彼の最後の仕事をしめくくった。二〇〇八年に亡くなった加藤周一にもあてはまるが、彼らのような、戦後精神を体現していた人たちの思いをどのように受け継いでいくのかは、現代の文学に課せられた大きな課題である。
 一方で、若手作家のなかからも、社会の中での個の生き方への関心を向けた作品が書かれ始めている。平野啓一郎は『ドーン』(講談社)で、近未来の社会を描きながら、信頼にもとづく人間関係のありかたを問うた。川上未映子は『ヘヴン』(講談社)で、中学生の〈いじめ〉を題材にして、傷つける側と傷つけられる側それぞれの姿を描き、〈いじめ〉の根元を問おうとした。雨宮処凛は「ユニオン・キリギリス」(『すばる』〇九年八月号~一〇年八月号)で、ひきこもった女性が、立ち直りの過程で労働組合の存在を知り、加盟してみずからの未来をつくろうとする世界を描き、若者の可能性を追求した。羽田圭介は『御不浄バトル』(集英社)で、詐欺まがいの行為で利益をあげている会社に就職した主人公が会社の悪を告発する姿を描き、ひとつの抵抗のありかたを示した。このような作品は、人間の精神のなかにある、不正への憤りをかたちにして、文学の世界をひろげようとした試みであると言うこともできる。若い作家が、近代史にまで目を届かせて書いている作品に、温又柔の「母のくに」(『すばる』一一年三月号)がある。作品は、日本人の父と台湾人の母の間に生まれた主人公が、様々な形で国境を超えて生きる人々と触れ合うことを通して、日本の台湾支配の歴史をも遠景に据えながら、人間にとって国とは何か、人間の真のつながりとはどんなものなのかを問い掛けている。
この間、文芸ジャーナリズムの世界が、業界の生き残りをかけて露骨な商業主義をむきだしにしてきたことを見落とすことはできない。村上春樹の『1Q84』(新潮社)は、最初にBOOK1とBOOK2を刊行する際の宣伝で、一切内容に触れないという方法をとり、センセーショナルな形で購買意欲をあおる販売戦略をとった。また、BOOK3の刊行の際には、発売当日の午前零時に販売開始のイベントをおこなうなど、とめどない販売戦略に腐心している。このような動きは、川上未映子の全身写真を使った、『ヘヴン』の新聞全面広告などにも現れている。『1Q84』に関しては、『民主文学』誌上においても座談会などで取り上げ、エルサレム賞受賞のメッセージで〈卵〉の立場に立つと表明した村上の思考が、作品世界にどのように反映されたのかに関しての否定肯定両様の意見が交わされた。しかし、内容に関するそうした検討よりも、宣伝戦略によって記憶される作品になってしまっていることに、現在の文学をめぐる状況の一端が見えてくる。
 また、過去の文学作品に関して、〈つまみ食い〉のような形で作品を消費する傾向についても指摘しなくてはならない。『群像』誌は、戦後文学の再検討を試みているが、戦後派文学に対象を局限したもので、戦後の文学を全体的にとらえるものにはなっていない。また、関連企画としての高橋源一郎の作品「日本文学盛衰史 戦後文学篇」は、加藤周一たちの『1946・文学的考察』を哄笑の対象とするなど、戦争の経験と向き合う中で自らの文学を創ってきた文学者たちの業績に対して、誠実な向き合い方をしているとは言い難い内容である。また、二〇一〇年は三島由紀夫死後四十年だったが、『文學界』(一〇年十二月号)での横尾忠則と三島没後に生まれた作家たちとの座談会では、天皇を軸にする日本を求めた三島の政治思想を捨象し、文学のみを〈再評価〉の対象としようとしている傾向が現れた。
 一方「蟹工船」ブームからはじまったプロレタリア文学への関心も、「蟹工船」や小林多喜二に関しての真剣な論考や、現代との関連性を考える議論はあったが、プロレタリア文学運動全体に広げた言及は少なかったと言える。中には、『国文学 解釈と鑑賞』(一〇年四月号)誌の特集のように、プロレタリア文学運動を、その理論は破綻したという立場から、ばらばらに切り離された個人を描く現代の〈プレカリアート文学〉に結びつけようとした企画もあらわれた。こうした、プロレタリア文学運動や民主主義文学運動への無視と歪曲も依然として存在している。
 こうした中で、文芸誌における特に若手の書き手たちに、自分の作品世界を社会と切り離して構築しようとし、社会からの批評を受け容れない傾向が見えることは無視できない。それは、あたかも「私の中の自分」と「自分の中の私」の存在を確かめるかのような世界である。現実社会に傷つけられた者が、それゆえに現実から距離を置き、それに抵抗することなく生きようとしているかのようにも見える。だが逆に、個人のささやかな世界であっても、それを現実生活の深みにおいて捉えるならば、様々な矛盾葛藤が浮かび上がってくる。小山田浩子の新潮新人賞受賞作「工場」(『新潮』一〇年十一月号)は、超現実的な手法も使いながら、工場での雇用の形態に目を向け、現状から飛び立とうとする意識を表現した。芥川賞を受賞した西村賢太の『苦役列車』(新潮社)は一九八〇年代の日雇い労働者の姿を描いた。
 また、島田雅彦の『悪貨』(講談社)のように、タイトルに〈悪〉を強調した作品が次々と現れることも、現代社会の一面を反映している。そこには、小さな犯罪は処罰されても、人びとを抑圧する〈悪〉である社会の支配構造は容易に転換できないという、ある種の閉塞感が背景にある。しかし、そうした作品も、支配構造全体の〈悪〉に迫っているとは必ずしもいえず、かえって閉塞感を強める方向にさえつながっている。

 売れるものだけを求める我が国の出版ジャーナリズムは、一時期は暴力、殺人、セックス、汚物といったものをもてはやし、ミニマリズムと言われる身辺の狭い範囲を詳細に描くといった作品を求めてきた。さらに現在は、非リアリズムが新しさであるかのような見方が押し出されてきている。そこには目新しいものによって若い読者を呼び込もうとする商業主義的な意図が読み取れる。しかし、奇抜な形式や目を引く手法を取り入れたからと言って、それは小説の新しさを意味しない。文学の生命は現実批判の力である。小説の新しさとは、辻井喬が『小説の心、批評の目』(民主主義文学会編)で書いたように、「新しい現実に対する新しい批判の目」である。作家が現代社会の現実に向き合い、批評精神を発揮して生み出した作品を大切にしない限り、言われている文学の衰退傾向に歯止めは掛からないであろう。

二、民主主義文学の創造批評

(一)文学会では昨年、創立四十五周年を記念して、それまでの五年間に『民主文学』に発表された短編の中の十五編を選び、『現代短編小説選』を刊行した。これらの作品は、さまざまな努力課題を持ちながらも、多様な題材を通じて、この国の現実と現代社会を生きる人間に正面から向き合い、文学的な批評の目を持って書かれている。このことに現代日本文学における、民主主義文学の存在の意義が象徴的に表れている。
 不安定雇用が増大し、先の見えないこの時代に、人間の尊厳をかけた労働者の闘いを描いた作品が生み出されたことは貴重である。井上文夫は『時をつなぐ航跡』で、国際線の客室乗務員の、空の安全と労働者の健康を守る闘いを描き、山形暁子は『女たちの曠野』で、九〇年代後半の「金融ビッグバン」での大銀行の再編・統合の中で、男女差別是正のために闘った女性たちの姿を捉えた。これは、民主主義文学が引き続き力を込めて追求すべきテーマである。
 短編でも、この二年間、様々な労働現場に生きる人間を描く作品が生まれた。工藤勢津子「ときわぎおちば」は、健康保険組合という職場で、先輩から様々なことを教わりながら、契約社員の同僚の家庭の事情を理解し、少しずつ自分の世界を広げていく若い女性の姿を描いた。櫂悦子は「螺旋の向こう」で、大手製薬会社の医薬情報担当者が、同僚や先輩との交流や、医師たちとのやりとりの中で成長していく姿を捉えた。橘あおいは「スプーン一匙」で、誤嚥性肺炎になった老患者への胃ろうによる栄養補給の必要と、咀嚼嚥下機能を残したい思いとの間で悩む医療関係者と家族が、思いと知恵を寄せ合っていくさまを、看護師の目から描き出した。瀬峰静弥が「不当配転」で描いたのは、不正を許せないという思いをもつ青年車掌が、会社からの攻撃で配転させられながらも、同僚たちとの結びつきを強めていく姿だった。細野ひとふみ「パニック」は、ある日の若い乳牛の人工交配師をナイーブな感性で描き、民主文学の題材の幅を広げた。田島一は「雨の国会前で」で、突然解雇を言い渡され、苦悩の末闘いに立ちあがった派遣労働者の熱い思いを描いた。
 現代の労働現場には、働く者の心まで破壊する異常さがある。相沢一郎「出勤拒否」は、上司からの過酷な税の取立て命令と、中小零細業者との板挟みになり、出勤拒否に陥った市役所納税係の男性と、救いの手をのべる組合活動家を描いた。小西章久は「震災の日に」で、阪神大震災を背景にして、職場における人間の絆と、経営者の儲け第一主義の異常を描き出した。仙洞田一彦「錆びついた歯車」や山本いちろう「シャープペンの芯」が問い掛けたのも、人間らしい生き方ができなくなっている職場の実態であった。労働現場とそこに生きる人間は、今後とも民主主義文学が見つめ、追求し続けなくてはならないテーマであろう。
 平和と民主主義を願う人々の連帯が、長編小説で描かれたことも記憶される必要がある。佐藤貴美子『われら青春の時』は、愛知県での民医連の誕生までの過程を、大須事件なども背景に、若い医学生たちの溌剌とした生き様とともに作品化した。なかむらみのるは「阿賀野川」で、阿賀野市の郵便局を退職して十年になる稲村健介を中心に、九条の会の推進役の人たちの活動と、彼らの憲法に寄せる思いをその源流にまで遡って描き出した。
 この間、様々な青春の形が作品世界に結実した。能島龍三『夏雲』は、登山に情熱を傾けていた主人公が、六〇年代後半の学生運動の高まりの中で、学友の女性との愛情をはぐくみながら成長する姿を描いた。真木和泉「初雪の夜」は東京教育大学に入学した主人公が、貧しいが個性的な若者たちと交わる中で、思想の幅を広げていく姿を生き生きと描いた。縞重弘「同級生」は、それぞれに困難を抱えた中学時代の同級生三人が、ふとしたことから共産党の青年向けの宣伝活動に参加し、青年トークなどで新しい世界を開いていく姿を捉えた。
 またアクチュアルなテーマを追求した作品も生まれた。稲沢潤子「墳墓」は、宮崎県の牛や豚を襲った口蹄疫流行の惨禍と地域社会の混乱を通して、養豚に生きる農家の苦悩と悲憤を描いた。
 現実社会のゆがみを考えようとする作品もあった。燈山文久が「蒼穹」で提起したのは、秋葉原事件のような無差別衝動殺人が、どのような社会状況のもとで発生するかという考察の糸口だった。笹本敦史「声を聞かせて」が同じ事件を背景にして捉えたのは、非正規、正規と雇用形態を差別されていても、心を通い合わせようとする若者たちの姿である。中村恵美は「桜だより」で、営業不振で自殺した工場の社長の故郷に移り住んだ男性を尋ねる友人の思いをすくいとった。これらの一連の作品の描く厳しい現実の向こう側には、人間としての連帯の方向を見てとることができよう。
 老年をどう生きるかを描いたものに、平瀬誠一「人、立ち枯れず」がある。かつて私立高校での不当解雇に反対して闘い、解雇を撤回させた経歴を持つ元教師が、彼を支えてきた妻や両親との関係の中で、老後を地域社会に関わって生きていこうとする姿を描いている。
 現代の福祉と人間の問題も多様な切り口から捉えられた。横田昌則の長編「風にさからって」が描いたものは、父母運営の学童保育に一人息子を預ける主人公が、父母会や自身が働く障害者作業所の運営の困難に立ち向かいながら、連帯の方向を希求する姿だった。稲沢潤子の「斜面抄」は、斜面という形象を通して新自由主義の人間観、福祉観の危うさを描き出した。原恒子は「霙の降る朝に」で、妻の墓を建てようと貯めた金の全額返還を求められて自死した老人の姿から、冷酷な生活保護行政を鋭くえぐった。
 子どもたちをとりまく環境や教育のあり方も現代の大きなテーマである。草川八重子は「テンポラリーマザー」で、児童養護施設の子どもたちと、その施設出身の保母の心の通い合いを描いた。中島荒太は「おーい、フーちゃん」で、聴覚障害のある女児の成長を温かな目で見守る男性の思いを、松本喜久夫は「新任教師」で家庭生活の困難にまで目を配りつつ保護者との連携を探る若い教師を描いた。
 戦争体験の風化が叫ばれるなか、戦争につながる作品世界の創造は貴重であった。小栗勉は『聳ゆるマスト』で、呉軍港の軍艦の中で反戦を訴える新聞を発行して闘った、日本共産党員の兵士たちの姿を描いた。原史江「消えない闇」は、敗戦時の樺太で、子どもを道連れに自決することを迫った軍人の父親と、それを強く拒否した母親が生きた戦後を通して、戦争と人間について考えようとした。吉開那津子が「谷間の家」で五歳の少女の目から描いたものは、終戦直後、疎開先の九州から横須賀に引っ越す過程での、家族の苦難と心の触れ合いであった。六十数年前の戦争は、今を生きる人々にまで深い傷痕を残している。大浦ふみ子は「あの夏の光は」で、現代を生きる被爆三世の苦悩を描き、野澤昭俊は「かわせみ」で、今なお消えない戦争の悲しみを、ささやかな日常生活から切り取った。能島龍三「審問」は戦前戦中から現代にまで姿を変えて生き残る思想統制と、それに対する闘いを描いた。戦争の悲惨を書き継ぐ一方で、今再び戦争に加担していこうとする勢力の動きを鋭く剔抉する作品を描くことは、今日に生きる私たちに課せられた責務であろう。
 愛する肉親の病気や老いに直面し、家族のつながりを見つめ、人間の尊厳を問う作品も多く生み出された。増田勝は、『秋、そして冬へ』の連作で、妻に癌が発見されてから、闘病そして最後の看取りまでを、共に人と社会に役立とうとして生きた夫の目から描き出した。風見梢太郎の「神の与え給いし時間」と「家族の肖像」は、幼少の一時期を父親として生きた元医師である老人の介護を通して、親子とは何か、本来親子の関係はどうあるべきかを問うた。佐田暢子が「秋立つ日」で描き出したのは、終末期の父親の人格の尊厳を守りたいと願いつつ、老いと衰えを受け容れざるを得ない娘の悲哀と苦悩であった。須藤みゆきは「九月の再会」で、疎遠になっていた兄の子どもたちと再会する女性の苦悩を通じて、家族と人間の絆を見つめた。現代を懸命に生きる若い父親、母親の姿を切り取った作品もあった。秋元いずみの「月の見える場所」が見つめたのは、乳児を育てることに苦闘する若い母親の孤独と、連帯への希求だった。渥美二郎は、「世界は今日もラブ&ピース」で、シングルファザーの高校教師の主人公が、中学生の娘や脳性マヒの兄、祖母、両親との日々の中で、人間はそれ自体完全無欠ではなく、互いの長所・弱点をあい補いながら生きているのだということを、独特の軽快なタッチで描いた。
 過去のこの国が犯した罪に目を届かせる作品も生まれた。入江秀子「堕胎」は、ハンセン病療養所において妊娠七ヶ月で強制的に堕胎させられた女性の、国による胎児の慰霊祭への参加を拒否する姿を通して、また山田大輔の「谷地町」は、戦時中の特高による誤認逮捕で戦後まで苦労する男の姿を通して、国家権力とそれに対する人々のあり方を問いかけた。
 この間、とうてらお「京都修養会病院」、大石敏和「ビラ一枚に」、坂井実三「枇杷の花の咲くころに」などに、閉塞の社会に息長く地道な活動を続ける日本共産党員の人間像、党支部や協力者の姿が作品化された。
 小説とともに、ルポルタージュも多様な現実を題材にして書く努力がなされてきた。現代社会の現実の厳しさと変貌の激しさもあって、ルポルタージュというジャンルの重要性は以前から指摘されていた。前大会幹事会報告でも「現代社会を反映する文学として、ルポルタージュへの意欲的な挑戦が今後も期待されよう」と述べられている。それに応えて、今期もさまざまな作品が書かれてきたが、いまだ方法論には未熟さと戸惑いがある。ルポルタージュは事実の追認ではない。より広い読者の獲得に向かって、文学としてのルポルタージュの機能を確立していく必要がある。
 『民主文学』の連載エッセイでは、戦争と終戦、占領軍統治の戦後にかけての時代と自身の生を追った、森与志男「人間のきずな」が完結した。

 この二年間に書かれた作品を見たとき、多様な題材が取り上げられていることにあらためて気付かされる。全国各地で、日々様々な仕事や活動の中に生きる会員が、そこに刻まれる人間の喜び悲しみや苦悩を一つひとつ作品に切り取ってきた民主主義文学運動ならではの成果である。
 文学創造は、常に現実の矛盾から目を逸らすことなく、批判的精神をもってそこに立ち向かうところに成立する。現代社会は、人々を閉塞感の中に取り込んだまま、その様相を刻々と変えながら激しく動いている。この現実に対して、私たちはいま文学の批評精神とは何かを常につかみ直しながら、ひるまず挑んでいかなくてはならない。しっかりとした構想を立て、激動する現実から徹底的に取材して、骨格のしっかりしたスケールの大きな作品を書くことが、困難ではあるが求められている。 

(二)この二年間の評論の収穫として、まず北村隆志『反貧困の文学』が上げられよう。書き下ろしで上梓された本書は、「蟹工船」ブームの背景の考察に始まり、財界のふりまく国際競争力論と、それによる貧富の格差の拡大など、現代的テーマを軸に据えて、日露戦争後から現代までほぼ百年に近い文学作品のモチーフを明らかにした。日本の近代文学の流れを呈示すると同時に、変わらぬ問題がそこにひそんでいることを解明し、かつ民主主義文学運動の成果を文学史の中に位置づけた初めての評論と言える。
 『戦旗』に参加したプロレタリア作家の作品を論じた「労働・闘い・変革の文学を読む」の特集では、江崎淳「プロレタリア文学時代のこと」、関きよし「村山知義『暴力団記』の周辺」、久野通広「手塚英孝『虱』の初心」、宮本阿伎「プロレタリア文学時代の佐多稲子」、乙部宗徳「金親清『旱魃』」、三浦光則「労働者出身の作家・谷口善太郎の『綿』」、大田努「今日につながる『監房細胞』の積極性」の七作でその成果を明らかにした。また、ノーマ・フィールド、宮本阿伎の対談「変革をめざす文学の可能性をさぐる」も、小林多喜二の文学に新しい光をあてるものだった。
 中村泰行「漱石の『金力』批判と近代日本の資本家像」は、「それから」を中心に、新しいタイプの資本家の出現と、経済的合理主義が近代個人主義を敵視することを指摘した。
 三浦健治の連載評論「遠藤周作の思想の展開」は、初期の作品では、カトリックというヨーロッパの規範で戦時下の日本人の良心の欠如を批判していたが、中期・晩期には、むしろユダや裏切り者の分析に力点を置くようになった、遠藤周作のカトリック思想の変化について論じた。
 岩渕剛「加藤周一『日本文学史序説』を読む」は、土着文化の上に外来文化をとりこんで発達してきた日本文化・文学の特質を明らかにした加藤周一への追悼評論である。
 この間、近現代史の正当な発展を歪めた二つの大きな国家犯罪に関する特集が組まれた。一つは「松川事件六十年」であり、もう一つは「大逆事件・韓国併合100年」である。ともに反戦平和、人権を主張する社会主義者・共産主義者らへの弾圧を企てた、国家による陰謀事件、でっち上げ事件であり、戦前、戦後と境を異にしていても、ここに文学者らの抵抗と事実究明への粘り強い闘いがあったことによって、文学史上にも特筆されるべき事件である。本誌は会外の執筆者の力も借りて特集を組み、知られざる事実も明らかにして、より広い読者からの反響と共感を得た。「松川事件六十年」特集の論考は、稲沢潤子「広津和郎と松川裁判」、松本善明「松川事件は生きている」、江崎 淳「松田解子の場合」であった。「大逆事件・韓国併合100年」特集の論考は、平出 洸「大逆事件と平出修の小説をめぐって」、稲沢潤子「啄木と大逆事件」、山崎一穎「森鴎外と大逆事件」、尾西康充「徳富蘆花『謀反論』」、李 修京「日韓強制併合と植民地統治下の韓国文学」である。
 日本文学の現代作家については、「話題作を読む」の特集で、北原耕也「大江健三郎『水死』」、三浦協子「川上未映子『ヘヴン』」、草薙秀一「宮本輝『骸骨ビルの庭』」、牛久保建男「池澤夏樹『カデナ』」が論じられた。
「戦争と現代文学」特集では、岩渕 剛「民主主義文学は戦争をどう描いたか」、下田城玄「二つの軍隊小説」、乙部宗徳「『戦争責任』の継承」、北島義信「『9・11テロ』と文学」、馬場 徹「若手作家の描く戦争と原爆」などが集められ、日本の現代文学の中で戦争がどう描かれたかを論じた。
 二〇一一年四月号は増大号として、「宮本百合子没後六〇年特集」を組み、一月に開催した「百合子の文学を語る集い」の講演と鼎談の内容を収録するとともに、百合子の未発表書簡十五通を掲載した。
 民主主義文学の作家論の試みも始まった。北村隆志は「告別の人 右遠俊郎論」で、右遠俊郎の、主として戦争を描いた作品系列を中心に、青春期の人間形成に軍国主義がどんな影響を及ぼしたのかを考察した。松木 新は「森与志男の世界」で、この国の戦争と教育を見つめた森の作品群を論じた。こうした民主文学の作家論は、新しい書き手にとっては創作への示唆を含むものであり、もっと積極的に書かれてよいものと言えよう。
乙部宗徳は「共感から連帯へ」で、民主主義文学の若い世代の作品に沿って、人の結びつきと連帯への希求と、その実現の困難さを論じた。
新船海三郎は『鞍馬天狗はどこへゆく』で、幕末・維新を駆け抜けたヒーロー像を作家の時代認識とともに考察し、「歴史小説とは何か―司馬遼太郎『坂の上の雲』をめぐって」では、歴史的事実と文学創造、作家・作品と歴史認識の関連と区別を論じた。稲沢潤子「『坂の上の雲』をめぐって」は、新船論文の司馬作品における歴史事実の見落としに触れ、新船論文への疑問を述べた。それに対しての返書として、新船の「文学のリアルと歴史のリアルと」が書かれた。
 第六回手塚英孝賞には三浦光則の『小林多喜二と宮本百合子』が選ばれた。過去三十年にわたって書かれた個人評論集ではあるが、佐藤静夫、津田孝などの民主文学の先行論文をよく読み込み、引き継いでいることが評価された。
多喜二・百合子研究会は、『蟹工船』に端を発したプロレタリア文学への関心に応えて、公開講座の内容をもとにして『講座プロレタリア文学』を刊行した。
 なお、この二年間の『民主文学』には、若い世代の小説・評論の新しい書き手が六人登場している。二十二回大会期に比べると二倍の人数である。このことは、私たちの運動を引き継ぐ若い世代は必ずいるし、育てることができるということを示している。
 この間の会員の到達を示す「民主文学館」の企画では、なかむらみのる『信念と不屈の画家 市村三男三』、中川なごみ『巣立ち』、大浦ふみ子『夏の雫』、小川京子『雪上の影』、ゆいきみこ『咲子の戦争』、鏡 政子『きつね小路』の六冊が刊行された。これ以外にも、この二年間には多くの会員の著作が刊行された。いくつか挙げてみると、右遠俊郎『詩人からの手紙』、碓田のぼる『遥かなる信濃』、松田解子自選集第九巻『亡びの土のふるさとへ』、勝山俊介遺稿集『湖の別れ』、浅尾大輔『ブルーシート』、秋元いずみ『鏡の中の彼女』、早乙女勝元『下町っ子戦争物語』、山口哲臣『鈍牛』、笠原美代『幼い喪主』、津上 忠『作家談義』などである。

 「批評不在」「知的権威の喪失」が言われて久しい。インターネットとそれを活用する社会の拡大が情報の大衆化を呼び、誰をも「批評家」にしてしまうという社会的な背景がそこにはある。思考を深めるよりも二者か三者の中から選択し、早く回答を見つけて前へ進むという学校教育の傾向がそれに拍車をかけていると言うこともできる。得た「情報」も、見つけた「回答」も、それらが多く体制的な、既存の価値観であることはそこでは問われない。
 今日、わが国の文学が喪失しているのは、現状を打開して新しい到達へ導く批評の精神であり、深い思考へいざなう新鮮な問題提起である。民主主義文学の批評にいま最も求められているのは、それに応えることである。私たちの批評の営為にはそれが可能であるし、また、果たさなければならない。
 社会の現状と未来が閉塞的であるだけでなく、日々の生活が目に見えて圧迫され、家族を含む人と人との関係がうるおいあるものとして成立しがたい現代にあって、現状に対置する批評精神の自律は容易ではない。創作にとっても要を成す批評精神は、なによりも現実へのリアルな目、人間という存在への愛おしみ、文学と社会の民主的発展への情熱によって形成されてゆく。それは現代の民主的文学運動をになう私たちこそが、第一に身につけていかなければならないものであろう。

 今私たちの運動の前には様々な課題がある。創造批評活動を活発にし、質の高い作品を生み出していくこと、若い世代を会に迎え入れ、文学運動を次の世代に継承していくこと、支部を中心にして会の組織を大きく育て、財政的にも安定した文学運動を構築すること、等々である。これらの課題のどれをとっても、私たちが何よりも大事にしなくてはならない運動の要は、毎月発行される『民主文学』である。人々は『民主文学』の誌面を通して、文学会や文学運動の魅力を感じとる。毎月の『民主文学』誌上に、現実に意欲的に切り込み、現代人の胸を強く打つ創作や、多様な文学作品への深い洞察の目を持った評論、現代を鋭く見据えたルポルタージュなどが数多く掲載されることこそが、文学運動の大きな推進力である。この二年間、編集委員会を中心にした努力によって、『民主文学』は新しい読者獲得のための大きな力となってきた。これからも、掲載する創作・批評の充実、時宜にかなった企画など、『民主文学』誌面の充実のために、常任幹事会はその責任を自覚し、一層力を尽くさなくてはならない。

三、組織・財政活動の現状と課題

(1)この二年間、私たちは創立四十五周年事業を含めて、諸行事に取り組んできた。
文学会の創立四十五周年を記念して、五年間の創造の成果を集めた『現代短編小説選2005~2009』、創立大会から第二十三回大会までの幹事会報告と大会宣言を収めた『文学運動の歴史と理論』を出版した。これらの著作の普及については、今後も引き続き努力する必要がある。『現代短編小説選』には若い新たな書き手の作品も多く掲載されており、この普及を通して若い世代を組織する取り組みを強めていくことも求められている。『文学運動の歴史と理論』は、民主主義文学運動の存在の意味を広くアピールするためにも、また創造・批評に関する積み上げを次世代に引き継いでいく上でも、会の内外に広く普及していく意義は大きい。
 また、東京では批評を考える会が主催して『文学運動の歴史と理論』シンポジウムを行い、遠方からの参加もあった。こうした文学運動の到達点について語り合う場を地方都市において持つことができれば、各地の文学的な要求を掘り起こし、文学運動を外へ広げていく契機ともなるだろう。
 「文学は時代にどう向き合うか」をテーマに、第二十一回全国研究集会を、滋賀県大津において開催した。北海道から九州まで、百六十二人という多くの参加者があり、活発な議論が行われ創造意欲を湧かせる三日間となった。
 百合子没後六十年にあたって、五年前に引き続き、多喜二・百合子研究会、婦人民主クラブとの共催で「百合子の文学を語る集い」を開催した。前回を上回る五百七人の参加で成功裡に終了した。参加者の中には百合子作品を読んだことのない人もおり、アンケートには、この会をきっかけに読んでみたいという声が少なからずあった。こうした行事については、文学分野での共同を広げていくことも求められる。
 この間、福島で開催された第五十六回日本母親大会に、実行委員会の段階から参加した。今年広島で開催される第五十七回の母親大会にも、同じ形で参加することになっている。文学に関わる分科会の盛況は、幅広い文学要求の存在を示している。

(2)昨年暮れに開かれた第四回幹事会は「第24回大会の成功へ、全国が心一つに組織的前進を」というアピールを発表し、以降事務局と組織部を中心に拡大運動に全力で取り組んできた。しかしながら前大会以来の組織の減少傾向は依然として続き、今非常に厳しい状況に立ち至っている。この間定期読者の拡大で奮闘はしたが、準会員の数は減少を続け、取次を通じての販売数が大きく落ち込んだために、『民主文学』の実売部数は、二〇一〇年一月号から三千の大台を割り込む状況にまでたち至っている。このことが、会の財政、『民主文学』の発行にも重大な影響を及ぼし始めているのが実情である。
 会員の年齢構成が高まっていることも軽視できない。五十代以下の会員は一三パーセント、準会員は一七パーセント、さらに四十代以下になると五パーセント、九パーセントとなっている。五十代、六十代を含め、あらゆる世代で前進を目指す必要がある。
世界的にも例を見ないこの貴重な文学創造の運動と集団を、次の世代にまで受け継ぐことができるのかどうかという点では、今が正念場であるといえる。日本文学の中での私たちの存在の意味をあらためてつかみ直し、組織を上げて読者と会員の拡大に取り組まなくてはならない。

(3) 二十三回大会期には、石川、徳島、宮崎で支部が発足・再建された。特に宮崎では、『現代短編小説選』読書会を再建準備の過程で成功させたことを契機に、大きな組織的前進が実現した。こうした前進例からくみとるべきことは少なくない。
 全国には、支部に所属していないが、ずっと準会員、読者として文学会に関わっている人たちがいる。その人たちがもつ小説や文学への思いを受けとめて、支部作りにつなげていくことも重要である。そのためには、新聞折込や地方紙への案内の掲載など、文学会の存在を地域の人びとに広く知らせていくことが大切である。
 また、準会員が減少していることから、「小説を書きたい」という人はもちろん、「よい文学を鑑賞したい」という要望をもっている人に、読者へのお誘いに限定せず、積極的に準会員になってもらうよう呼びかけることも大事なことである。
 全国的に見れば、著作を持つなど、文学的力量と関心を持っていても、文学会に参加していない人も少なくない。第二十回大会での規約改定の趣旨をあらためて踏まえ、直接会員への入会を呼びかけていくことが必要である。

(4)文学運動の四十五年の歴史は、全国各地の文学会支部を土台にして作られてきた。支部は、支部誌への作品発表、毎月の『民主文学』やすぐれた文学作品の合評などを通して、個々の書き手のレベルアップをはかり、新しい書き手を発見していく場である。この二年間、全国の多くの支部が、支部誌の発行や文芸講演会などの開催によって、民主主義文学を広く人々の間に普及してきた。また、文学教室や創作専科の開催によって、支部員の創作の力量を伸ばすことを力点に置いた支部もあった。また、地方における文学や文化活動に大きな影響を与えている支部も多い。しかしながら、高齢化などの理由で活動が続けられなくなっている支部も少なからずあるのが実情である。この間、いくつかの支部は解散せざるを得なかった。この状態をどうしていったらよいのか。全国を見てみると、高齢化で活動の継続を危ぶんでいた支部が、新しい参加者の獲得を契機にして、活発な活動を再開したという例も少なくない。宮崎支部の例が示すように、文学への要求はどの地域にも存在している。守りの姿勢でなく、攻勢的に打って出ることが今求められている。そのためには、支部の再建、支部活動の活性化の経験と知恵を全国に広げていくことが必要である。各地の要望に迅速に応えて、幹事・常任幹事の支部訪問に積極的に取り組んでいく。
 
(5)新しい文学愛好者を増やすために、文学教室、創作専科、文学講座などを、大都市だけでなく、地方において小規模でも開催できるよう、その形態を工夫していく。今期は、名古屋において「東海文学教室」が全十回開催され、札幌では「北海道創作専科」が実施され、成果を上げた。その他の地域でも、開催要求がありながら実現に至らなかった所が少なくない。会員の創作の力量を付けることは重要な課題であり、赤字を出さないということを原則に、地方によって様々な形態と方法で実施していくことを追求していく。
 常任幹事会主催の取り組みでは、「作者と読者の会」は一定の参加者で継続的に取り組まれ、「近・現代文学研究会」は、外国文学にも対象を広げて、新たな企画を組んでいる。「批評を考える会」もその時々の話題論考を取り上げ、「シニア文学サロン」は新日本出版社の書籍の広告ともタイアップして、年齢層を限定せず広く参加を呼びかけることも試みた。「労働者の現状と文学研究会」も含め、各研究会はいずれも、民主主義文学会全体で成果を生み出していくという観点から、参加者の増える活発な会活動のあり方の工夫や開催地の拡大など、各地の文学的な要求を掘り起こして外へ広げていく契機とする。
 民主主義文学会のホームページは二〇〇〇年に開設し現在にいたっているが、存在と魅力を会外に発信していくためにも、その充実に真剣に取り組んでいく必要がある。ホームページは若い世代と回路をつなぐ意味でも重要であり、インターネットの活用を含め、研究を深める。
 組織活動の強化を目的に、全国組織部・地方担当合同会議を二回開催した。組織の状況と課題について、全国で認識を一致させるために、地方別に支部懇談会を開催する。
 厳しい状況のもとでも、「若い世代の文学研究集会」や「シニア文学サロン」を実施することができ、支部の発足・再建のために常幹や組織部員の出張を保証できたのには、全国から寄せられた「組織活動強化募金」が大きく貢献している。ご厚意に深く感謝するとともに、文学運動の維持・強化のため、ひいてはこの運動を次世代に受け継ぐために、今後とも募金の意義ある活用を心がける。

(6)二〇〇七年に新しい試みとして発足した「若い世代の文学研究集会」は、二十三回大会期に第二回が開催され、全国から一九六〇年以降生まれの会員・準会員が三十五名集まった。この研究集会を通して、様々な積極的な動きが生まれた。ある地域では、支部主催の文学教室に参加して民主文学会を知った新しい書き手が研究集会に参加し、文学を志す全国の仲間と出逢って刺戟を受けて、支部で大きな役割を果たしはじめた。また、研究集会で作品を合評されるなどによって意欲を高めた、石井斉、笹本敦史、橘あおい、中村恵美、細野ひとふみ、瀬峰静弥などの新人が次々と『民主文学』に登場している。世代の近い者同士が直接会って文学や人生を語り合うことを通して、「本気で書こう」「ともによい作品を書こう」という意欲が高まり、民主主義文学運動についての理解も深まってきている。
 組織活動強化募金から交通費が援助されたことは、北海道や広島など遠くの会員の参加を可能とし、それにとどまらず、盛岡、岡山、横須賀など多くの地域の支部が呼び掛けに応え、金銭的な援助も含め、集会への積極的な参加を奨励した。そのことも若い力の活性化にとって重要であった。また、研究集会に未参加の者も含めて、若い世代は、インターネットのメーリングリストによって日常的にも交流を続けている。
 「若い世代の研究集会」は今大会期にも開催することが決定している。様々な機会を捉え、若い世代の文学愛好者をもう一回り広げて獲得し、支部や各地の文学教室などに積極的に参加を呼び掛け、そのことによって若い世代が文学運動の強力な一翼となっていくことが今後の課題である。若い世代の書き手たちは、自分たち自身が主体となって、励まし合い刺戟し合って成長し、みずからの成長を文学会の発展、ひいては日本文学の発展にも活かしていかなくてはならない。

(7)財政の現状と問題点
 二十三回大会期の財政収支は、かろうじて予算案に近い結果となった。しかし、取次を通じての『民主文学』読者が激減したことや寄付金の減少などで、従来にない厳しい局面を迎えている。このまま移行すれば、これまでの収支「均衡」財政は一挙に崩れていくことが予測できる。準会員・定期読者数の漸減傾向から脱却できず、構成員が高齢化している現状は、財政収入の更なる悪化の可能性を示している。
 文学会組織として、準会員・読者の拡大、魅力ある企画事業の創出、若い世代への働きかけ等に一層力を注ぐとしても、今大会期は支出の全体を見直す削減措置を余儀なくされる。各支出費目の一律減には踏み込まないものの、全体として四パーセントの支出減を目標に予算案を立てる。また事務局を中心に経費節減に向けた業務の見直しにも取り組んでいくと同時に、滞納を生まない日常的手立ての強化、ならびに引き続き会員・準会員・読者各位に前納への協力をお願いしたい。
 財政面に現われている事態を率直に見つめ、会全体で共通の認識とすることにより、長期的展望のもとに、困難を乗り越えていく文学運動構築の必要に迫られている

 プロレタリア文学運動と戦後民主主義文学運動の伝統を受け継ぎ、昨年創立四十五年を迎えた私たちの民主主義文学会は、一貫して厳しい現実批判の精神を文学の命として、創造批評活動に向き合って来た。混迷と模索の現代、多くの人々が、言葉や観念の世界で充足する文学でなく、人間の生き方と社会の真実を追求する文学、真の明日を考察する文学を求めている。第二十二回大会の幹事会報告は「人はいかに生きるかを問いかけ、社会と人生の真実を多様な題材に映しとり、平和と民主主義の道を歩んできた私たちの文学運動にこそ、文学・芸術の本道がある」と述べている。私たちは今、生きることそのものに立脚した文学の意味をあらためて自覚し、現実と人間をしっかり見据え、挑戦の精神をもって運動を進めていかなければならない。 
以上
 

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