第9回 「民主文学」 新人賞発表


たなかもとじ 「顔」が受賞

選考経過
 第9回民主文学新人賞は1月末日に締め切られ、小説72編、評論4編、戯曲4編の応募がありました。すでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説9編となり、3月27日、五委員出席のもとに選考委員会が開かれました。選考委員会は、まず、下記4編を最終候補作品として選び、最終選考を行いました。その結果、上記の受賞作を決定いたしました。作品は「民主文学」6月号に掲載されます。

最終候補作品
  <小説>
   青木みつお 「雲は流れる」
   橘 あおい 「ルージュをひいて」
   たなかもとじ 「顔」
   豊村 一矢 「新米先生の二ヶ月」

新人賞(記念品および賞金十万円)
 <小説>
     たなかもとじ 「顔」
 
 ●1950年岡山県生まれ。東京都足立区在住
 ●受賞のことば
 新人賞への挑戦は、昨年七月、息子と交わした約束であった。会員になって一年しか経っていない私だが、早や、文学というとてつもない世界の淵でいていた。「父さん、後悔はやってからするものだよ」私はその淵の中に一歩踏み入れる覚悟をした。その二ヶ月後、息子は交通事故に遭い三十歳という若さで急逝した。きれいな死顔であった。その顔から学ぶべきことは多い。渾身の力で書いたこの作品を一人息子にささげたい。ご指導いただいた皆様に感謝申し上げます。

佳作
  <小説>
     橘あおい 「ルージュをひいて」
       (1963年東京都生まれ。埼玉県八潮市在住)
     豊村一矢 「新米先生の二ヶ月」
       (1942年北海道生まれ。北海道札幌市在住)

 〔選評〕

 新人賞選考について
                               牛久保建男
 今回は、新人賞と佳作二作がきまったことを喜びたいと思います。選考委員会では、たなかもとじさんの「顔」と橘あおいさんの「ルージュをひいて」が、新人賞の対象として議論になりました。選考会に臨むまで私も、どちらにしようか迷っていましたが、最終的には「顔」ということにしていました。
 「ルージュをひいて」は、手術室勤務になった看護師の過剰労働の実態の大変さが、主人公の呼吸音のように聞こえてくる切実さにみちています。「もう限界なんです」という新人看護師の思いと変化が印象的です。しかし、作品は主人公と看護学校の同級生でくも膜下出血で倒れた友人とのかかわりが主題のようで、それがすこしありきたりな展開だと思いました。
 「顔」はタクシー運転手を主人公にした物語で、同様の設定の小説は文壇にも先行者がいるだけにどういう新味をだすのか、逆の関心がありました。しかし杞憂は払拭され、「顔を持たないドライバー集団になってほしくない」「温かい血の通った人間の集団を作りたい」という主題が読者の胸をうつものになりました。本筋からはなれたエピソードを多用する俗っぽいところが垣間見えますが、今後に大いに期待したいと思います。
 豊村一矢さんの「新米先生の二ヶ月」は、作者の年齢からすると、かなり若づくりの作品ですが、よくまとまっていることと、その挑戦の意欲を買いたいと思います。
 応募者は、六十歳以上の人が圧倒的に多く還暦をすぎて文学に挑戦する人は、今後とも増えて行くことでしょう。これは昨今の新しい傾向です。その新しい人たちが、それぞれの人生経験を踏まえて、どういう文学をつくりあげていくのかは、運動としても新しい挑戦と模索の世界です。今回の新人賞応募作品を読みながら考えたことです。
 評論は、政治・社会評論がほとんどで、文芸評論の募集であるということを、次回から強調する必要があると思います。

 ひたむきさとやさしさと
                                小林 昭
 応募された人々の四分の三が六十歳を超えた高齢だった。第二の人生を、若い頃から関心を持ってきた文芸の世界に求める人々なのだろう。書くことは深く見つめることだから、ぜひ続けていただきたいと思った。
 しかし、かなり多くの作品に小説としての形ができていないと感じるものがあった。小説には小説らしい形があるし、一つのまとまりがあるものだ。それがないのは、これまでにすぐれた文学作品をあまり多く読んできていないからだろう。すぐれたものを読んで、そこにあった感動を?みしめていれば、おのずからそれは身につくだろうと思った。
 また、比較的若年層の作品には、語彙の貧しさが眼についた。文章が磨かれていなかった。小説はただの話ではない。言葉と文章を築き上げることでそこに生まれるものだろう。
 思いつきやただの話を書くと、無頓着な文章になり、とりあえず言いたいことを伝えればよいだけの日常語そのままの文章になる。鍛え上げた文学の言葉にはならないだろう。
 橘あおい「ルージュをひいて」には、ひたむきに生きる仕事への誠実さと、生命に対するやさしさがあった。ひたむきに生きる心といのちに寄り添うやさしさは、文学の核になるものだ。だが、ここでも語彙と文章についての不満は残った。経過を説明しているような文章なので、できごとのなりゆきはわかるが、人物が動かない。小説の中の人物は、それぞれに違った名前を持っているだけではなくて、それぞれが独自の人生を生きていなければならない。
 豊村一矢「新米先生の二ヶ月」では、主人公のメールの文章から見える精神は、私などには薄気味悪いものだが、そんな世界まで取り込んで小説を作っていた。ある種の幅の広さと諧謔に可能性が感じられた。
 たなかもとじ「顔」は、人格と個性のあらためての強調だろう。現代の世相を打つ大切な主題と思った。

 個性の躍如とした三作
                                   澤田章子
 受賞作に選ばれた作品、たなかもとじ「顔」は、官僚的な管理機構のもとで、もの言えぬ立場に置かれた人間の葛藤を丁寧に描くことで、今日の労働の場における「個」の問題をあぶりだしていることに注目した。
 主人公のタクシードライバーが、もとは銀行員で、世話になった工場主への融資を主張しきれず、死に追いやった苦しい体験があるという設定が生きている。誤解を解くことさえ許さない上司や、官僚的押しつけに終始する上部機構の人間とのやりとりが、実にリアルに描かれている。女性社長の考え方や毅然とした態度が感動的だ。テーマから逸れている部分もあるが、よく練られた文章と描写力に加えて、モチーフに対する誠実な追求の姿勢が、気持ちのいい作品世界をつくっている。
 橘あおい「ルージュをひいて」は、看護師の労働の過酷な現実に悩みながらも、誠実に働き、生き甲斐のある自らの道を歩む女性像が描かれている。大ざっぱな叙述や描写不足があるが、倒れた友人や職場の後輩、工場の事故で腕を切断した患者の描き方に、人間的なやさしさと医療へのひたむきさがあふれている。働くものの命がおろそかにされている今日の社会の苦悩とともに、命を守って生きることの喜びがあり、そのジレンマの底から、力強いものが伝わってくる作品である。
 豊村一矢「新米先生の二ヶ月」は、現代風の軽いタッチを装いながら、強いモチーフをもち、巧みな構成といきいきとした描写力で読ませる作品。近年の北海道の農村の変化を視野に収めながら、新任教師の生活とともに、きわめて今日的な子供とその家庭の問題、教育の課題が取り上げられている。複雑な事情をもつ母子家庭への偏見という問題意識と、子供の個性を生かす教育についての問いかけが中心に据えられているところに、読みごたえがある。
 選ばれた三作は、奇しくも現代社会に働く人物を正面から捉えた作品だった。三人三様の個性の躍如としていることが嬉しい。

 今日の労働を描いた三作
                                  丹羽郁生
新人賞のたなかもとじ「顔」に最初に感じたことは、人物描写や会話のやりとりにおける文章の良さである。作者の対象への凝視を底に秘めたその文章の力によって、小説が生きて動き、読者を誘い込んで、置き去りにしない。タクシー運転手として働く主人公の形象は豊かで、様々な乗客や会社の専務と社長、管理協会の指導員の姿などが、各場面で生きいきと個性的に描き分けられている。また作品展開に応じた状況説明も過不足がなく分かりやすい。現代社会に蔓延する「効率化と競争」、「人間性や個性を奪い取られ、希薄化する人間関係」の下で、生きがいや喜びや繋がりの回復をもたらす労働への希望、作者はその仄見える光を、女性社長の形象によって感動的に捉えている。
 佳作の橘あおい「ルージュをひいて」は、医療現場の聞きしに勝る過酷な労働の凄まじさにまず驚かされる。家族の支えで残業続きの勤務をこなす主人公の帰宅は夜の十一時。次々に入る緊急手術の合間に、手術室の床に大の字になって寝そべる医師の点描にぎょっとさせられる。新人、ベテランの看護師の誰もが苦悩と不安を抱え、出産とともに早々と職を辞した友、月八十時間の残業という労働でくも膜下出血で倒れ、現場復帰が危ぶまれる友。作品は、その友を見舞い励ましつつ、主人公が仕事を続けることに新たな決意を固めるさまが描かれる。惜しいのは、実態や出来事は書かれているが、それぞれの人物の苦悩や喜びの内面に深く迫る描写や会話に、作者の筆が充分に及んでいない点である。
 同じく佳作に選ばれた豊村一矢「新米先生の二ヶ月」は、高齢の作者が、新米青年教師を主人公に仕立て、今日の教育現場に生起する問題を、若々しさが香りたつ筆致で描いた作品である。作者の挑戦を多としたい。不登校児童のことが作品の主線となっているが、その間に、別々の組合へ勧誘する二教師の姿や、交際中の彼女とのメールの遣り取り、親に内緒で大学を受験し合格した弟のことなども描かれていて、やや盛り込みすぎの感がある。それらの一つ二つを省いて、不登校児が老人の菜園の仕事を生きいきと手伝うことの意味や、母親の発する重い問いかけなど、そうしたテーマの主線を、「二ヶ月」という作品の設定ではあるが、もっと追求して欲しいという感想を持った。
 誠実に生きる人々を映して
                                 宮本阿伎
 たなかもとじ「顔」を新人賞に決め、佳作一編を選び、選考委員会に臨んだ。「顔」は、作者の本誌初登場の前作(昨年五月号)にあった型破りなところは惜しくも影を潜めたが、構成、文章力などに長足の進歩があり、小説のまとまりという点で他に抜きんでていた。
 タクシー運転手の日常のエピソードを連ねてゆく方法も前作と同様だが、「冤罪」事件の発生から始まり、中途で世話物風のつくりに迂回し、足をとられそうになりながら、最後に事件へと戻り、筋を通したのはさすがだ。良心を貫いて生きることが巨大な現代社会のなかでいかに難しいか。真実そのものさえ力をもつ者に押し潰されてしまうことも多い。自分から不利な方へわざわざ動いてしまうこともある。作者はよくそうしたところを見、長い物に巻かれずに生きようとする主人公と救い主の女性像を造型したが、小説は思考の一方法という考え方もある。この先を問い続けてゆくことこそを期待してやまない。
 橘あおい「ルージュをひいて」では、「肘から下の腕がだらりと皮膚一枚でつながっている」という凄惨な描写が何より印象に残った。若く有能な看護師の恵子の挫折、小学一年生の男児のある家庭の家事の殆どを夫に託し、手術室勤務という非日常の世界との間を往還する主人公の生活は右描写を一例として小説の素材として申し分ないが、文学の言葉で表現する課題を今一つ残した。特に恵子の不遇に出合い、自分の仕事の価値への見直しが主人公の内部に起きるところが大切ではないか。友情話にもっていってしまったのは残念だ。
 豊村一矢「新米先生の二ヶ月」は、新米教師が札幌の遠隔地の農村に赴任して、教育の困難は社会の不平等にあることを実感し、教職に目覚める話をいきいきと描いている。桜井という年輩の教師像が特によいが、作者の年齢はこちらに近い。桜井の眼から新米教師が描かれてもよかった。
 私が佳作に選んだ青木みつお「雲は流れる」は児童虐待の問題を児童福祉司の立場から描いた作品だが、児童虐待防止法制定(二〇〇〇年)以前のこととはいえ、虐待への対応が今日から見て甘過ぎないかという他委員の意見に承服した。他触れたい作品があるが紙幅が尽きた。
 
第9回民主文学新人賞第一次選考結果について

 第9回民主文学新人賞は、小説七十二編、評論四編、戯曲四編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。最終発表および入選作品は本誌六月号に掲載の予定です。
〈小説〉
 青木みつお「雲は流れる」
 石井 斉「光を探して」
 橘あおい「ルージュをひいて」
 たなかもとじ「顔」
 豊村一矢「新米先生の二ヶ月」
 庭田美子「年賀状」
 三富建一郎「地球の唸り二〇一〇」
 矢ノ下マリ子「雪中花」
 山本いちろう「旅立ち」

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