第22回 「民主文学」 新人賞
新人賞 齊藤航希「タキオンのころ」が受賞 佳作に四作品

選考経過
  第二十二回民主文学新人賞は一月末に締め切られ、小説六十一編、評論六編、戯曲五編の応募がありました。五月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説九編、評論一編となり、三月二十二日選考委員会が開かれました。そしてまず、下記六編を最終候補作品とし、最終選考を行いました。選考の結果、下記のように受賞作を決定いたしました。


最終候補作品
〈小説〉
  藤倉崇晃「鍵の音は少年のよう」
  妹尾直樹「ポスターをはらせてください」
  石崎 徹「へなちょこ会長の一〇〇日間
  齊藤航希「タキオンのころ」
  鄭 閏熙「北のマリア」
〈評論〉
  漆原正造「芥川賞にみる社会性について―『コンビニ人間』以降の傾向―」


新人賞 (賞金10万円)
<小説>
  「タキオンのころ」 齊藤航希(さいとう・こうき)
  (1997年北海道生まれ。28歳。 早稲田大学教育学部卒業。 
  那覇市在住。

  
 ●受賞のことば
 選考委員はじめ関係者の皆さま方に、厚く御礼申し上げます。
 自分の内にあるものを文字による記号化という手段をもって反芻するとき、私はその営みを、埴谷雄高の言葉を盗用(虚体論とは異なるので)して「精神のリレー」とでも呼んでしばしば自賛してやりたくなります。書く楽しみです。バトンが引き継がれたり加えられたりしたとき、過去の残像たちのなかに存在としての強さを認め、その労苦を肯定し、感謝してやれる気がします。





佳作
<小説>
  「鍵の音は少年のよう」          藤倉崇晃(ふじくら・たかあき)
   (1985年埼玉県生まれ。39歳 さいたま市市在住。準会員。)

  「へなちょこ会長の一〇〇日間」     石崎 徹(いしざき・とおる)
   (1946年京都府生まれ。78歳 広島県福山市在住。準会員)

  「北のマリア」                鄭 閏熙(てい・じゅんき)
   (1951年山口県生まれ。74歳 東京都足立区在住)

〔選評〕

新たな書き手の登場を喜ぶ
                              乙部宗徳


 今回の新人賞の応募数は第十九回に次ぐ少なさで、締め切った時点では入選作品が出せるだろうかと危惧した。しかし、選考委員からは掲載に値すると判断した作品が多く出され、新人賞、佳作を選ぶのにかなりの時間を要した。
 前回の選評で、「文学運動に新しい風を吹き込む作品」を新人賞に求めたいと書いたが、今回新人賞と佳作三作を掲載できることを、まず喜びたい。
 「タキオンのころ」は、偏差値によって輪切りされていく大学受験をめざす高校生の心情を緊密な筆致で描く。志望校のランクを落としていく貝澤が個性的に描かれている。青春の喪失感は普遍的な主題とも言えるが、自己肯定感を失っていく貝澤の形象に現代が映されている。
 「鍵の音は少年のよう」は、新型コロナウイルスの感染拡大の中、夜間の入力作業で働く精神疾患を抱えた若者を描く。好意を抱いた同僚の女性に声をかける際の不器用さや病気を治そうとする姿に好感を持った。繰り返しが多いところは整理が必要だった。
 「へなちょこ会長の一〇〇日間」は、墓地建設反対の住民運動を、登場人物を描き分けて、ていねいに描いているが、作者が伝えようとするものがつかみにくかった。
 「北のマリア」は、年代が特定されておらず、南出身の母親が北朝鮮へ一人で帰国した経過がわからないことが、重い歴史的主題を扱う作品世界に入りにくくした。
 応募作には、自分史的なものも多く、なぜ小説として描くのかをもっと意識してほしいと思う。新人賞のガイドブックでは、応募枚数いっぱいに書いたほうがいいと勧めるものもあるが、何を書こうとするかで枚数は決まってくる。無理に増やしてもいいことはない。民主文学新人賞の応募要項は、三十枚以上八十枚以内であり、その範囲で、自らの主題を伝えるのにふさわしい枚数を考えてほしい。





抜群のみずみずしさ
                             北村隆志


 齊藤航希「タキオンのころ」は文章のみずみずしさで群を抜いていた。受験を前にした高校生の心情を、クイズ研究会や詩作の試みを通じて巧みにすくい取っている。冒頭のチャイムの音の話から引きこまれた。構成・表現もしっかり考えられており、完成度は極めて高い。最後が唐突の感も与えるが、あえて読者に謎を残したもので、不自然ではない。
 主題は一言で表しにくいが、あえて言えば「青春における喪失」となるだろうか。「本当の詩的現実」を実現させるには「世界のつくりから丸ごと逆転させ」なければ、という言葉には、現実変革の思いがこめられてもいる。間違いなく期待の大型新人である。
 ほかに藤倉崇晃「鍵の音は少年のよう」を佳作に推した。主人公は高学歴なのに、統合失調症のために「底辺」労働者になっている。主人公の現実と心情を通じて、作者の心の叫びが聞こえてくる。生真面目からくる硬い表現やくどいところも多いが、この心の叫びは本物である。
 選外の妹尾直樹「ポスターをはらせてください」は惜しかった。若い市議予定候補が出合う人生模様を、四つの掌編連作で書いている。テンポがよくオチもあって落語のように楽しめる。ただ偶然に頼る部分が多く、新人賞としては評価を落とした。
 今回、一次選考から応募作を読んで驚いたのは、十分読ませる作品が多かった。選考委員は初めてなので以前と比較はできないが、みな何らかの長所がある。「もう少しここを深めれば」と可能性を感じる作品ばかりだった。時代小説、青春ロマンス、サスペンス、自分史的作品などジャンルも内容も多様で、しかもほとんどが準会員でも読者でもなく、会外からの応募である。応募作はまさに宝の山である。
 入選を逃した人もがっかりせず、ぜひ地元の民主主義文学会の支部に参加したり、準会員になったりして書き続けてほしい。一人で閉じこもるより、仲間に読んでもらい、批評を得ることで、小説はぐっと良くなる。私たちは待っています。






文章とテーマ
                              須藤みゆき


 受賞作に鄭閏熙さんの「北のマリア」、佳作に妹尾直樹さんの「ポスターをはらせてください」、漆原正造さんの「芥川賞にみる社会性について─『コンビニ人間』以降の傾向─」を選んで選考会に臨んだ。
 受賞作となったのは齊藤航希さんの「タキオンのころ」。以前、文学会の先輩から「小説は文章とテーマで読んでゆくもの」と教わった私は、作品評価をする時は常にその視点から作品を読む。この作品は文章が紙の上を滑っているような印象を受け、テーマが読み取りにくかった。しかし文章には確かに光るものがある。そしてそれは、得難い才能だろう。齊藤さんの持つその才能を評価し、受賞作とすることに同意した。
 鄭閏熙さんの「北のマリア」は、先の戦争で従軍慰安婦だった母を持つ主人公の苦悩を題材とした作品である。『自分の背負った宿命をどう受け止め、向き合い、抗い、這い上がってゆくか』が丁寧に描かれていて、それは文学が追求してきたテーマでもあり、読者が文学に求めるもののひとつであるとも思う。この作品の中で戦争は背景としてのみ描かれているが、歴史を記憶として引き継いでゆく戦後世代の責任についても考えさせられた。
 石崎徹さんの「へなちょこ会長の一〇〇日間」は、町内会長の日々を綴った作品である。題材が身近であるだけに、特に会話文がいきいきとしていて楽しく読めた。
 藤倉崇晃さんの「鍵の音は少年のよう」は、統合失調症を患う主人公の苦悩が伝わってくる作品である。病名を書かずに描写で表現できれば、それは心の叫びとなりよりリアリティーが増すようにも思った。
 一次選考外の作品だが、小林イサオさんの「尺はちスト」は、尺八の音が聴こえてきそうな描写力、人間に対する洞察の目、それを表現する筆力に裏付けされた完成度の高い作品だと思った。




文学運動の活力と多彩さに期待
                              宮本阿伎


 藤倉崇晃「鍵の音は少年のよう」を新人賞受賞作に推すことに決め、佳作として四編を選び選考委員会に臨んだ。小説としての完成度から言えば、受賞作となった齊藤航希「タキオンのころ」が群を抜いていると思った。最終選考で当作に話が及んだ折どなたかが〝青春の喪失〟と言ったが、まさにそこを主題とする小説で高校卒業間際の半年を追う。「僕」が絶えず侮蔑の対象と見、級友たちからも変人扱いされている貝澤という女性の形象が際立っている。何につけ「僕」に勝負を挑む彼女は、詩作で勝負するに至って「自らの詩を行動によって提出した」。「私の勝ちずっと先の地点で待っている」という言葉を遺し彼女は姿を消すが、偏差値第一主義への抵抗が込められていると読んだ。「今度こそ誤魔化しのない言葉を何か書いてみようか」という「僕」の心境が彼女への鎮魂となっている。
 不可知論的な傾きに一抹の物足りなさを感じ、自身としては現代の派遣労働者の深夜勤務の実態をおそらく自身の実生活に取材し描いたであろう藤倉作品が民主文学新人賞により相応しいと考えたが、数か所視点の揺れがあるなど描き方の上に熟達の余地を残すことも確かで、最終選考の討議の結果に同意した。統合失調症の快方をめざし、都会での独り暮らしに挑戦する三十六歳の主人公が、三河島から八丁堀まで、片道一時間かけて自転車で通勤し、深夜十時から朝八時までコロナウイルス感染症陽性者の為のコールセンターでデータ入力に勤しむ情景、新入りの女性労働者に示す優しさに心惹かれたことは述べておきたい。
 石崎徹「へなちょこ会長の一〇〇日間」は、町内に起きる墓地建設に反対する住民運動を描くが、町内会長の飄々とした人物像を軸に新興住宅地に巻き起こる騒動が人間劇として描けている。鄭閏煕「北のマリア」は、本来的には長編小説で描くべき主題を抱え込んでいるゆえに細部のリアリティーに不充分さを残すきらいがあるが、モチーフの強さが胸打つ作品を形作っている。好対照をなす若い書き手の作品を論じるに紙幅を費やし後半急ぎ足となったが、民主主義文学運動の活力と多彩さを物語る新人賞特集となったことを喜びたい。





多様な歴史と社会を映す鏡
                                 最上 裕

 最終選考会には、「北のマリア」が好ましいと思ってのぞんだが、選考委員の評価には、ばらつきがあった。それは応募作品がテーマや題材、表現方法の多様さによって、歴史や社会を鏡のように映しだしているからだと思う。
 「北のマリア」は、日朝間の歴史問題、信仰と愛という重いテーマを扱っている。在日韓国人二世のアンは、祖母から北朝鮮に帰国し五年前に亡くなった母がピー、従軍慰安婦だったと知らされる。母が慰安婦と知ったアンが疎外感に苦しみながら思索を深め、マリア像に母の信仰と愛を見つける心理描写が細やかだ。アンは、図書室から持ち出した本を川に捨て、母の秘密を胸に秘めて生きていく。在日の鬱屈した心情が伝わってくる。
 「正義か、希望か」では、社会の不正を告発する新聞記者になろうとしていた歩美は、雨の夜、飛び出してきた自転車の青年を車で轢き逃げして殺してしまう。孫を殺された元警官の和彦に、次第に追い詰められる恐怖は、サスペンスの面白さがある。母親からの暴行、間借りした家の主婦である洋子が、障害者で不妊手術を強制されていたなど、問題を詰め込みすぎの感がある。
 「白い庭─あの夏のこと─」は、小説では不要な「はじめに」や視点の揺れが頻繁で読みづらい欠点がある。しかし、先に死ぬ兵士から自分の肉を食べて日本に帰り、家族に会うことを託された男が、兵士の妻を訪ねる場面は戦争の残酷さが圧倒的に迫ってくる。また、戦死した息子を返せと役場に行く知人を「みっともない」と罵ったことを悔やむ女性にも心が痛む。戦争の悲惨さを伝える貴重な作品だと思う。
 「タキオンのころ」は、過ぎ去った青春へのノスタルジーがテーマと読んだ。軽快な筆致で、大学入試を控えた高校生たちを個性的に描いている。東京に出たい主人公と自分のことを僕という女生徒の貝澤は、なにかにつけて競い合っている。「私の勝ち、ずっと先の地点で待っている」と死を暗示させる貝澤の悩みが何なのか、伝わってこなかった。




第22回「民主文学」新人賞第一次選考結果について

 第二十二回民主文学新人賞には、小説六十一編、評論六編、戯曲五編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。

〈小説〉
藤倉崇晃「鍵の音は少年のよう」
妹尾直樹「ポスターをはらせてください」
加島 力「錵の花」
石崎 徹「へなちょこ会長の一〇〇日間」
斎藤航希「タキオンのころ」
建部 昆「国道一四〇号線」
鄭 閏凞(てい じゅんき)「北のマリア」
西村ひとえ「正義か、希望か」
かつらけいこ「白い庭―あの夏のこと―」
〈評論〉
漆原正造「芥川賞にみる社会性について―『コンビニ人間』以降の傾向―」

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