第20回 「民主文学」 新人賞 |
清水春衣「Jの子」が受賞 選考経過 第二十回民主文学新人賞は一月末に締め切られ、小説六十六編、評論十編、戯曲五編の応募がありました。五月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説九編、評論一編となり、三月二十一日選考委員会が開かれました。そしてまず、下記六編を最終候補作品とし、最終選考を行いました。選考の結果、左記のように受賞作を決定いたしました。 最終候補作品 〈小説〉 黒田健司「忘れ物はありませんか」 竹内たかし「天空米を食べにおいで」 中村好孝「菊池さんと僕」 北岡伸之「夜光杯」 清水春衣「Jの子」 〈評論〉 中野貞彦「漱石の戦争を見る目」 新人賞 (賞金10万円) <小説> 「Jの子」 清水春衣 しみず・はるい 一九五三年長野県生まれ。七十歳。東京農工大学農学部農芸化学科卒。 長野市在住。
佳作 <小説> 「忘れ物はありませんか」 黒田健司 くろだ・けんじ 一九五七年香川県生まれ。六十五歳。東京都江戸川区在住 「天空米食べにおいで」 竹内たかし たけうち・たかし 一九五四年東京都生まれ。六十八歳。山梨県北杜市在住 〔選評〕 アクチュアルな問題に取り組む 石井正人 清水春衣氏の「Jの子」は満場一致の受賞作だった。「Jの子」では、深刻な危機にある日本農業の現状が正面から取り上げられている。そしてこの作品の特徴は、日本農業の危機を、そこで無権利状態で酷使される非正規外国人労働者たちに密着して描き出したことである。非正規外国人労働者の差別と抑圧は、現代日本社会の抱える焦眉の問題である。それを農業の現場からリアルに浮き彫りにしている。しかしまた、虐げられながらも、しぶとく明るく優しい外国人労働者とその家族、そして彼らを取り巻く人々の熱い交流を物語にしていく。問題の深刻さと、問題解決への希望を同時に読者に与える、優れた作品であった。 ジェンダー差別や障がい者差別とともに、外国人労働者とその家族の差別は、現代日本社会の抱える最も重大な矛盾である。受賞作の「Jの子」と並び、佳作となった竹内たかし氏の「天空米食べにおいで」も、外国にルーツを持つ子どもたちの苦境と、町場の人々による援助を描く温かい作品であった。現代日本社会のアクチュアルな問題に様々な角度から前向きに取り組もうとする作品が受賞作となったことを、選考委員の一人としても誇りに思う。 同じく佳作となった黒田健司氏の「忘れ物はありませんか」は、取材と想像のバランスがとれ、仕事への誇りと、仕事に打ち込む余りに家族をないがしろにしてきたことへの後悔とが無理なく描かれる好感の持てる作品であった。力量のある書き手であると思う。それだけに、非正規化や非婚率の高まりとともに、ワークライフマネジメントが大きな課題になっている現代では、世代を超えて団結し、闘いを形象するために、この作品のテーマを思い切って掘り下げ、展開する必要があるように感じた。 評論の中野貞彦氏の「漱石の戦争を観る目」は、独特の着眼点と丁寧に資料を読む姿勢が印象的であった。議論の流れが追いにくいところがあるので、論点をしぼって、議論の流れを整理する余地があるのではないかと思った。 在日外国人の厳しい現実を見つめ 牛久保建男 二〇二一年にスリランカ人女性のウィシュマさんが入管施設で非人道的扱いの末死亡する事件が明らかにしたのは、日本に住む彼らが人間としての尊厳を奪われている実態であった。こうした問題に日本文学は関心の外に置いていたと思う。受賞作は清水春衣「Jの子」に決まった。日本で働き、生活する外国人の厳しい現実を見つめる点で新しい。 「外国のプランテーション」を思わせる高原の農場の場面から一気にこの作品の扱う世界が明らかにされる。ブラジル日系二世の「オトーサン」とよばれる老人を中心に助け合うコミュニティの生き生きとした描写。だれも本名をしらないJ(ジェイ)と呼ばれる女性とその子どもたちの姿。「仮放免」という制度の理不尽さが彼らの生活から浮き上がってくる。善意で彼らの苦境に心を寄せる「私」を通して描かれる世界は、多少楽観的で小説への昇華は十分ではないが、新人賞受賞作にふさわしいと考えた。 竹内たかし「天空米たべにおいで」もまた、都会で暮らす外国人母子の苦境をとりあげた。日本人の夫と離婚し言葉も十分わからず、日本の福祉制度の埒外にいる人々をこの作品はとらえている。フィリピン人の母をもつ子どもたちの姿がけなげで生き生きしている。作品としては枝葉に入る部分が多く、より主題にそって整理されるといいと思った。 黒田健司「忘れ物はありませんか」は、コロナ禍で海外ツアーを展開する主人公の会社も打撃を受け、リストラが進み進退をめぐって悩んでいる。そんなおり田舎で一人暮らしをしている父親が亡くなったという連絡を受け駆けつけるという展開だ。 確執のあった父への思い、町工場で油にまみれて働いた父の誇りと、自分の仕事の誇りとはなにかを問い返す作品で、文章もこなれていて読ませるが、苦々しく考えていた父親に対する意識の変化が十分読み取れなかった。 北岡伸之「夜光杯」は若い書き手の作品で二級市民として差別されている外国人労働者問題を含んで生きる幸せとは何かをといかけているが、主題が十分に練られていないのが残念だった。今後に期待したい。 生き難さに寄り添う視線の確かさ 風見梢太郎 一次選考を通過した小説九作のうち三作品が、日本で働く外国人や家族を扱っている。この人たちへの優しい眼差しと政府の施策への強い批判が読み取れる。 清水春衣「Jの子」は、原稿用紙三六枚と短いが、日本の入管法の非人間性を鋭く告発している。様々な国からやって来た人たちが信州の農場で働き、貧しいながらも助け合って明るく暮らしている様の描写が見事だ。その中心になっている八十四歳のブラジル日系二世「オトーサン」の形象が特にすばらしい。 竹内たかし「天空米を食べにおいで」は、フィリピン人の母親と子どもたちの生活苦に寄り添う主人公の優しさが胸に染みる作品である。子どものころ万引きで掴まり共産党員の弁護士に救われて、それ以来共産党には好意を持っている主人公が、フィリピン人親子の苦境を共産党の区議と一緒に助けるという筋の運びに無理がない。 黒田健司「忘れ物はありませんか」は、コロナ禍の下、リストラにあう旅行会社の社員が主人公だ。父の死をきっかけにした父との和解がテーマなのだろう。この筆者の圧倒的な文章力と文学的香りを味わうことのできる作品だ。 最終選考に残った「菊池さんと僕」は、「どんな重い障害の人も入所を断らない」をモットーにしている作業所を舞台とし、来たり来なかったりの菊池さんに戸惑いながらも成長していく「僕」の姿が清々しい。北岡伸之「夜光杯」は、既成の価値観に縛られることなく生きていこうとする若者を描いた意欲作である。いくつかのエピソードが出てくるが、関連性が薄く、短編としての凝縮力に欠けたのが残念である。最終選考には残らなかったが、工藤和雄「俺たちは一人じゃない」は、解雇された人たちが組合を結成し解雇を撤回させる闘いを描いている。やや体験に引きずられたところがあり惜しいと思った。 評論の中野貞彦「漱石の戦争を観る目」は精緻に構成された力作だ。最も注目すべき『門』に関わる論考を、従来の解釈との違いを明確にして展開してほしかった。 外国人労働者問題にどう向き合うかを問う 橘 あおい 新人賞には清水春衣「Jの子」を推そうと最終選考に臨み、全員一致で決まった。長野の高原にあるトマト畑で働く非正規外国人労働者の中の「J」と呼ばれるフィリピン人の女性は、三人の子どもがいるが「無国籍」状態。夫はアルゼンチン国籍の日系人で、就労ビザで働けるが、Jは「犯罪者」として、入管法による「仮放免」措置のため働くことができない。深刻な題材ではあるが、彼らに寄り添う「オカーサン」と呼ばれる日本人女性と、「オトーサン」と呼ばれるロレンゾ(ブラジル日系二世)とのコミカルなやりとりが効果的で、理不尽な状況下でも、したたかに連帯して生きる姿を温かく描いているところに注目した。 佳作の竹内たかし「天空米食べにおいで」は、主人公が経営する食堂の前で交通事故に巻き込まれた兄妹を救ったことがきっかけで、「子ども食堂」を始めるまでを描く。兄妹の母親はフィリピン人だが、病気で働けず、離婚した日本人夫からのわずかな養育費で何とか生活している。ここでも在日外国人が置かれている深刻な状況が描かれるが、そこに手を差し伸べようとする主人公と相談にのる日本共産党区議との連携がいい。ただし、主人公が宮大工をしていたことが、作品世界とうまく絡み合っていないところが残念だった。「Jの子」「天空米食べにおいで」は、ともに外国人労働者をめぐって顕在化する問題を描きながら、日本人としてどう向き合うかを問いかけてくる。 黒田健司「忘れ物はありませんか」は、旅行会社の添乗員である主人公が、コロナ禍で業績悪化に陥った会社から「希望退職」か「配転」を迫られ葛藤する姿を描く。父親の突然の死をきっかけに、父との相克を振り返り、口には出せなかった「仕事への誇り」にいたる件が作品の奥行きを深くしている。最後の退職拒否を決意し組合で闘うまでの過程が充分に描き切れていない憾みが残るが、コロナ禍を背景に生き方を模索する労働者の姿が、現実への批判精神をもって描かれている。 評論では「漱石の戦争を観る目」にも注目をしたが、大きなテーマなので、先行的研究を踏まえた論述にしてほしかった。 人間にいかに深く迫るか 橘 あおい 新人賞には清水春衣の「Jの子」を推したいと思い選考会に臨んだ。結果、選考委員の満票を得て選ばれたことが何よりこの作品の評価の高さを示している。佳作となった竹内たかしの「天空米食べにおいで」と、一次選考に残った北岡伸之の「夜光杯」も同じく在日外国人の問題をテーマにした作品であり、それぞれ社会的課題に挑む作者の思いが込められていた。 「Jの子」では、フィリピン出身のJ(ジェイ)と呼ばれる女性と、その子どもで小学校に通うトニイが中心に描かれる。外国人労働者を雇わなければならない農家の実情を背景に、すでにビザが切れて条件付きの在留資格である母親と無国籍の子どもたちが、苦労を重ねながら日々の生活を営んでいる様子が生き生きと描写されている。三十六枚という短編ながら、無駄のない洗練された文章でJやトニイの思いに深く迫っていることを高く評価した。 「天空米食べにおいで」は、交通事故にあった子どもを助けた男性が主人公である。母親がフィリピン人のシングルマザーで、生活に苦しんでいることを知ると、地域の共産党の区議に相談を持ち掛けて解決の道筋を立て、自らが営む食堂では子どもたちに一食百円で食事を提供するようになる。 主人公は宮大工の仕事で妻の臨終に寄り添えなかった過去の思いを晴らすように奮闘する姿を描いているが、妻への思いはあまり追及されていないため、説得力にかけたのが惜しかった。 黒田健司の「忘れ物はありませんか」は、亡くなった父親との確執を思い起こしながら、父親の真の思いに迫っていく。自動車の部品を作る町工場を営んでいた父親を主人公である息子は軽蔑していた。晩年の父の思いを聞かされて、これまでの父に対する思いを改める。コロナ禍でリストラを迫る旅行会社を辞めようと思っていた主人公は新たな決意を固める。仕事に熱意と誇りを持って生きてきた父の姿が鮮明に浮かび上がってくる作品である。 他に障碍者の作業所を描いた「菊池さんと僕」にも注目したが残念ながら選からもれた。次回に期待したい。 |
第20回「民主文学」新人賞第一次選考結果について 第二十回民主文学新人賞には、小説六十六編、評論十編、戯曲五編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。最終発表および入選作品は本誌六月号に掲載予定です(順不同)。 〈小説〉 神尾与志広「濃霧」 工藤和雄「俺たちは一人じゃない」 黒田健司「忘れ物はありませんか」 竹内たかし「天空米食べにおいで」 辻井勝「桜の記憶」 中村好孝「菊池さんと僕」 北岡伸之「夜光杯」 鈴木満「父への旅」 清水春衣「Jの子」 <評論> 中野貞彦「漱石の戦争を観る目」 |