第19回 「民主文学」 新人賞 |
上村ユタカ「なに食べたい?」、 中井康雅「葉山嘉樹と多喜二―プロレタリア文学の結節点」が受賞 選考経過 第十九回民主文学新人賞は一月末に締め切られ、小説五十六編、評論六編、戯曲四編の応募がありました。五月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説十編、評論一編、戯曲一編となり、三月二十日選考委員会が開かれました。そしてまず、下記四編を最終候補作品とし、最終選考を行いました。選考の結果、左記のように受賞作を決定いたしました。 最終候補作品 〈小説〉 黒田健司「十勝岳火山観測所」 おおち由美「雪あかりの振り袖」 上村ユタカ「なに食べたい?」 〈評論〉 中井康雅「葉山嘉樹と多喜二―プロレタリア文学の結節点」 新人賞 (賞金10万円) <小説> 「なに食べたい?」上村ユタカ かみむら・ゆたか 二〇〇〇年佐賀県生まれ。二十一歳。京都芸術大学在学。文学会準会員。佐賀支部所属。 京都市在住。
<評論> 「葉山嘉樹と多喜二―プロレタリア文学の結節点」中井康雅 なかい・やすまさ 一九五七年福岡県生まれ。六十五歳。立命館大学文学部卒業。福岡県大牟田市在住。
佳作 <小説> 雪あかりの振り袖」 おおち由美 おおち・ゆみ 一九六八年北海道生まれ。五十三歳。札幌市在住 〔選評〕 新鮮な作風の受賞作 石井正人 新人賞を受賞された上村ユタカ氏は、本誌の昨年4月号に掲載された「偽物」が話題になりました。今回の受賞作は、アクチュアルなジェンダー問題を深く捉え、若い人々の物語にまとめました ジェンダー差別に対する闘いが広まるにつれ、ジェンダー差別に関する理解も深まりました。異性愛を「正常」と考え、ここに入れない「マイノリティ」に対して「寛容な態度を取る」という理解では、ジェンダー差別の本質を捉えられません。女性を家事育児介護に縛り付ける反動的役割を果たすロマンティック・ラブ・イデオロギー批判、異性愛・同性愛にかかわらず性愛という人間関係のあり方自体に関心と共感がもてないアセクシャルというセクシャリティの認知などを通じ、当たり前とされてきた異性による「恋愛・結婚・家庭・出産・育児」という一連の流れと仕組みが再検討されます。今まで可視化されなかった虐待・ハラスメントなど夫婦間親子間の深刻な問題が次々に明らかになり、従来の「家庭」の基礎にあった不自然さを反省するところまで社会の認識は進みました。 上村ユタカ氏の受賞作は、このような大きな時代の流れを受け止め、若い世代が直面する新たな困難さと同時に、新しい可能性と希望のありかを探っています。問題提起の大きさに作者自身が振り回されているようなところがあり、戸惑いを覚える読者もいるでしょうが、今後の活躍が期待されます。 佳作となった井上由美氏の「雪あかりの振り袖」は、貧困問題に苦しみながらも立ち向かう若い世代の姿を美しくまとめていて、読後感の爽やかな作品です。ただ、作品としてきれいにまとめることを急ぐと、問題の掘り下げや人物像が浅くなりがちです。この作品にもその点でやや不満が残ったので佳作となりました。今後も書き続けられることを期待します。 中井康雅「葉山嘉樹と多喜二―プロレタリア文学の結節点」は、プロレタリア文学研究の成果をしっかりとまとめた重厚な評論でした。 現実に寄り添いながら 岩渕 剛 今回の受賞作として評論が選ばれたことは喜ばしいことである。葉山嘉樹と小林多喜二という、一九二〇年代のプロレタリア文学運動に存在した二つの潮流を代表する二人の作品を通して、当時の文学運動のありようを考えてゆくという評者の論の運びは安定していて、対象にきちんと向き合ったものとなっている。一般的に知られていることをなぞったところもあり、そこにはもう少し深めてほしい点もあるのだが、これから書き続けることで、だんだんと評論の世界を広げていってほしいものである。 小説入選作の「なに食べたい?」は、青年男女の新たな結びつきを生き生きと描いている点に好感がもてた。一昔ほど前に、「草食系」という、若者の生態を揶揄するような形で評価する言説が現われたことがあったが、人間のむすびつきを性的な関係に還元することを拒んで生きるかたちが確かに存在していることを、この作者はとらえている。作者が以前文学会の支部誌に寄せた作品で、性的な行動に関心をもつことができない「アセクシャル」と呼ばれる人たちのことを描いたものがあったが、現在の社会におけるマイノリティの存在に目を向け、その状況を描こうという志がこの作品にも通じている。 佳作となった「雪あかりの振り袖」は、コロナ禍のためにアルバイトを失職した主人公の生活に寄り添って、現代の貧困の形に迫っている。筋の運びがやや平板に感じられるところが、受賞作には及ばないということになったのだが、新しい職場での経験を自分の育ってきた環境と結びつけて自分の世界を広げていこうとする主人公をきちんと描いているところに注目させられた。 以前に新人賞の選考にたずさわったときに、応募してくださった人に向けて、文学会に加わり自分の書きたいことを書くための日常的な活動をしてほしいという趣旨のことをその時の選評で書いた。今回の応募状況をみて、ますます文学会の支部活動の持っている意味の重さも感じさせられた。 小説としての大事な点を見据え 牛久保建男 あまり書き慣れていない人や、何度も書いている人など様々な書き手が、頑張って一つの作品に結実させたことに敬意を覚えます。団塊の世代の人はかつての学生運動のこと、原発事故にかかわるもの、なにげない日常をいかに生きているのかなどさまざまな問題意識で書かれています。小説というジャンルで自分の思いを伝えるためには小説特有の技術が求められます。応募された方は会外の方が多かったのですが、新人賞への応募をきっかけに、ご一緒に文学の勉強をしていくようになればと思います。 受賞作の上村ユタカ「なに食べたい?」は、フードボランティアに参加した女子学生が一人の青年と出会い、食べるという生の原点にふれていく話です。主人公である女子学生の、大人や社会に対する違和感、自己省察、孤独感、今日的なセクシュアリティーの問題などがよくでています。小説としての大事な点を見据え、骨格もしっかりしていて受賞作にふさわしいと考えました。 小説で佳作のおおち由美「雪あかりの振り袖」はコロナ禍で仕事が狭められ、そのなかで、善意の励ましを胸に生きようとする若い女性がよく描けていると思います。説明的なところが多く、平板な印象を与えたのは残念でした。 評論で初めて受賞作が出たことは、評論をするものとして大変嬉しく思いました。中井康雅「葉山嘉樹と多喜二」は、問題意識が鮮明でその論証も過不足なく展開されています。とくに葉山の「転向」については美化することなく、「臣民」への同化であったとする結論には説得力があります。そしてお互いに敬意をもっていた多喜二と葉山の関係は、暗黒時代に発展することはできませんでしたが、そこにプロレタリア文学の可能性を見ている点に共感しました。 黒田健司「十勝岳火山観測所」は、危険と隣り合わせの劣悪な環境で火山噴火の兆候を観測する気象台職員の奮闘を描いています。惜しくも選にはもれましたが、毎回応募している作者の引き続く健筆を期待したいと思います。 テーマに真摯に向き合う 橘 あおい 忘れがたい人生の岐路を見つめ直す作品や、社会問題に目を向けるものなどが数多く寄せられた。力作が多いなか作者が追求しようとするテーマがあいまいで、読者に何を伝えたいのかを絞り込めていないことが惜しまれる作品もあった。 小説部門の新人賞には上村ユタカの「なに食べたい?」をぜひ推したいと思い選考会に臨んだ。テーマに真摯に向き合い、解決の糸口を見いだそうと懸命にもがいている主人公の姿が描かれている。 経済的な困窮が心をも蝕み、食べものやお金が満たされても心の傷は癒されない。食事を共にすることによって、他者と心をつなぎあい成長する主人公の姿を捉えている。タイトルには、作品の主題が何気ない話し言葉によって表現されており良いと思った。 評論「葉山嘉樹と多喜二―プロレタリア文学の結節点」は、葉山嘉樹の日記を丁寧に読み込み、二人が互いにその作品をリスペクトしあいながら、プロレタリア文学を極めていく過程や葉山の転向問題について追求しており、新しい観点を見出していることが評価された。 佳作となったおおち由美の「雪あかりの振り袖」は、貧困家庭に生まれコロナ禍による失業でバイト先を転々とする女性を描き、社会問題を考える作品。振り袖を着て成人式を祝ってもらうラストに希望の光を感じさせる。やや説明的な文章であるのは残念だが、等身大でない現代の若い女性を主人公にした作者の挑戦はすばらしいと思った。 選にはもれたが三つの作品に注目した。高村絵里の「冷たいはなびら」は近未来を描く作品で、その社会がどう変化しているのか、人々はどんな葛藤や苦悩を抱えるのか、もっと掘り下げて描かれると良かった。 西村ひとえの戯曲「金色の刻印」は、元IS戦闘員の息子が残虐な自身の出生の秘密を知らされる。記者の娘と彼との恋愛に唐突な印象を受けた。 長島喜一の「大空へはばたく」は、病いと闘いながら、平和への祈りを折り鶴に託す女性を描いている。事例報告にならないようにもっと奥深い心の変化を見つめてほしい。 自分自身を見つめる目 能島 龍三 小説部門では、上村ユタカ「なに食べたい? 」が群を抜いていると思った。父子家庭の娘・若葉の視点で、幼い頃からの貧しい生活の中で身についた、お金を使うことへの恐怖とその克服のプロセスが、若者らしいリアリティーをもって描出されている。父親は共産党の仕事をしており、ボーナスもなく給料の遅配もよくあった。若葉はその貧困の中で、奨学金とアルバイトで大学に行く。「いつ目鼻がつくか分からない『何代がかり』の運動」という、多喜二の『東倶知安行』の一節を思い出させられた。若葉と「食べる」ことを通じて心の繋がりを結んでいく達樹の、飄々とした形象が好ましい。若葉が達樹に訴える、お金がなくなることへの怖れにも説得力がある。何よりも、成長途上の自分自身の思いを、ごまかすことなく見つめる若葉の目がいい。この作者は本誌昨年四月号に、コロナ禍で孤立していく学生の不安をユニークな手法で描いた「偽物」を発表して話題を呼んだ。新人賞に相応しい、今後の活躍を期待できる書き手である。 佳作のおおち由美「雪あかりの振り袖」も、母子家庭の貧しさの中で育ち、コロナ禍で派遣社員として働く若い女性を描いている。駅ビルのポイントカード入会受付ブースでの仕事内容も、触れ合う同僚や客の人間模様も、時代を映していて面白く読める。成人の日、式に出られなかった主人公に、職場のリーダーの母親が自分の振り袖を着せてくれる。街灯の光の下、アパート前の雪道に立つ振り袖の映像が鮮やかである。人の優しさと思いやりに胸を打たれる。描写と思いのリアルで感動を呼ぶ作品だが、最後のポイントについての批評が説明的で惜しい。 黒田健司「十勝岳火山観測所」は、火山観測を任務とする労働者の闘いを描く。貴重な題材を扱った作品であるが、単一の視点を貫くべきではなかったか。 評論部門では、中井康雅「葉山嘉樹と多喜二」が受賞作として相応しいと思った。ありえなかった多喜二と葉山の共闘について、「転向問題」を抱える葉山の視角から考えるという論立てが良かった。 |
第19回「民主文学」新人賞第一次選考結果について 第十九回民主文学新人賞には、小説五十六編、評論六編、戯曲四編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。最終発表および入選作品は本誌六月号に掲載予定です(順不同)。 〈小説〉 南城八郎「六畳ひと間」 高岡啓次郎「幻聴」 宍戸ひろゆき「あじさい山から」 黒田健司「十勝岳火山観測所」 白垣詔男「きぼう療育園」 有汐明生「心の岐路」 工藤和雄「黒いダウンコートの女」 おおち由美「雪あかりの振り袖」 高村絵里「冷たい花びら」 上村ユタカ「なに食べたい?」 <評論> 中井康雅「葉山嘉樹と多喜二―プロレタリア文学の結節点」 <戯曲> 西村ひとえ「金色の刻印」 |