第18回 「民主文学」 新人賞

 
杉山成子「誰もこの涙に気づかない」が受賞

選考経過
  第十八回民主文学新人賞は一月末に締め切られ、小説七十九編、評論九編、戯曲五編の応募がありました。五月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説十一編と評論二編なり、三月二十一日選考委員会が開かれました。そしてまず、下記五編を最終候補作品とし、最終選考を行いました。選考の結果、上記のように受賞作を決定いたしました。


最終候補作品
 小説〉
   南城八郎「道半ば」
   梓 陽子「バルハシ湖の黒い太陽」
   石川 浩「スケッチブック」
   三富建一郎「引き継ぐべきもの」
   杉山成子「誰もこの涙に気づかない」


新人賞 (賞金10万円)
<小説>
  「誰もこの涙に気づかない」杉山成子 (すぎやま・しげこ)
  一九五八年東京都生まれ。六十三歳。千葉大学教育学部卒業。東京都日野市在住。
  
 ●受賞のことば
 夢のようです。「書かなければ」との強い衝動はありました。DV、モラハラが問題視されるようになったのは、もう、かなり前のこと。いまジェンダー平等をめぐって男性も女性も真摯に模索しています。その模索の輪に、小説という表現方法で加わりたいと願っての作品です。伝えたいことがちゃんと書けているのか、提出したあともとても不安でした。受賞の知らせを受け、ホッとしましたし、飛び上がって喜びました!





〔選評〕

それぞれの思いを大切に
                              岩渕 剛


 コロナ禍のもとでの新人賞ということもあってか、コロナを題材にした作品もいくつかあった。ほかにも、ジェンダー問題、震災と原発事故、戦争責任など、応募作品はそれぞれの形で〈現代〉に向き合おうとしている。こうした問題に対する書き手の関心を、まず大事にしたいと思う。新人賞であるから、小説としての組み立てに不十分なところも感じられるが、そこを突き抜ける迫力を重視したいと考えて応募作品に対していった。
 そこで、シベリア抑留の父親のあとをたどる「バルハシ湖の黒い太陽」と夫の暴力から逃れる女性を描く「誰もこの涙に気づかない」が、作者のそれぞれの題材への向き合い方が感じられると考えた。「バルハシ…」は主人公の行動の叙述に冗漫なところがあったり、「誰も…」では主人公が家を出てからの夫の対応の描き方が浅くなっているところであったりと、弱点がないわけではないのだが、推すことができると考えたのである。
 応募された作品には、ストーリーの展開をみると、あれも書きたいこれも書きたいと詰めこんだようなものが少なからず見受けられた。それがいかにも〈つくりもの〉めいて見え、作品のインパクトを弱めていると感じられるものもあった。題材の中の、中心的なものは何かを見定めて、そこに焦点をあてるという作業が深められれば、よりよいものになるはずだ。今回選に洩れた方にも、そこを追求して書き続けていただければと思う。
 一次選考を通過した評論も今回はあったが、作品に即して具体的に論じることや、新しいことをいいたいがために実証が不充分ではないかと感じられたことで、最終選考の対象となるには及ばなかった。評論も、対象への思いの深さをあきらかにしていくことが、それぞれの書き手にとっての課題になるだろう。



迷いのなかで
                             牛久保建男


 選考にはいつも迷いが深い。入選された方もそうではない方も、それほどの差があるわけではない。だから迷う。その中から、「誰もこの涙に気づかない」と「バルハシ湖の黒い太陽」、評論「少年の歩く道」を最終選考に残る作品として考えて、選考会にのぞんだ。
 「誰もこの涙に気づかない」は、DV問題をあつかっている。結婚前には想像もしなかった夫の暴力がなぜ始まったのか、妻である主人公の精神的自立と成長が夫にとってはがまんのならないものであったことが次第に明らかになる。恋愛時代からあった夫へのあこがれが精神的に自立したものではなく、従属の精神であったことが内省的に振り返られている点がいい。作品としては弱点もあるが、モチーフの強さが群を抜いていた。
 「バルハシ湖の黒い太陽」は、旧ソ連に抑留された父親の「バルハシ湖の太陽は黒かった」といううわごとにこだわった主人公が父親の抑留の足跡を訪ね、「黒い太陽」という言葉に込められた思いを見極めようとする。現地には日本兵の抑留資料がまったくない異常さ、「魂を殺された」父親の戦後の苦悩が、実は信頼していた日本国による棄民であったことが明らかになる。「引き継ぐべきもの」は、思弁的であるが国が犯した戦争の誤りを、現代に生きる私たちが引き継ぐべき意味を問いかけている。両作とも印象に残る作品である。
 最終選考に残らなかった作品では、「母ちゃんのあんころ餅」はコロナ禍で和食店を閉めざるを得ず、母親もコロナで亡くした主人公の再起を描いた。よく書けている作品だが、話を作りすぎているという意見など賛同は得られなかった。「少年の歩く道」は、東峰夫の芥川賞受賞作を含めた沖縄三部作を論じている。自身も小説の書き手である作者の東への傾倒が、評論を主観的にしすぎた嫌いがある。「自責の精神・三島由紀夫論」も問題意識は鮮明で作者なりの解明もあり読ませるが、三島由紀夫研究は広く行われており、その土台の中で論じて欲しかった。


強いモチーフのちから
                              工藤 勢津子


 梓陽子の「バルハシ湖の黒い太陽」を佳作にと考え、最終選考にのぞんだ。
「シベリア抑留」は、現アジアの各地にも送られ、その国の建設に従事させられた人びとが多くいたこと、背景に日本政府の政策もあったことは、あまり知られていないだろう。
 「私」は、せっかく帰還できたのに「枯れ木が朽ちるように」亡くなった父親に強く刻まれた「黒い太陽」を解くために、カザフスタンのバルハシ湖に二度にわたっておもむく。淡たんとした紀行文ふうの描写に、風が氷を運んでくるような極寒の、岩と枯れ草だけの不毛の地がありありと見えてくる。重労働と飢餓のすえに遠い異国で果てた人びとの叫びが聞こえるようだった。還れなかった人びとの無念さをナマズに託した場面は圧巻だった。父親の人間像と私とのゆきかいがもっと奥ゆきをもって描かれれば、無念さ哀切さがさらに惻々と迫ってきたのではないだろうか。全体に、いますこし緊密さが欲しかった。
 杉山成子「誰もこの涙に気づかない」は、DⅤを扱っている。大学時代には尊敬し頼もしく思えていた男性が、じつは気の小さい支配力の強い人間で、自分の意に染まないことがあると暴力をふるう。エスカレートしてくるDⅤに、たとい子どもの親権を手離すことになろうとも離婚してこの泥沼から抜け出そうと決意するまでの経緯・心理をていねいに綴っている。主人公の自己批判にまで眼が届いていた。ただ、うまく運び過ぎていないかという疑問も抱いた。視点の変更が便宜的であることと、全体を通して会話がすべて叙述文のなかに繰入れられ、説明的に語られているなど、弱点はあるものの、作者の強いモチーフに圧倒されるものがあり、今後への期待をこめ、新人賞とすることに同意した。
 三富建一郎「引き継ぐべきもの」が、登場人物を軽妙に描きわけ、諧謔もまじえて語ったのは、過去の戦争責任とどのように向きあいつづけるべきかという、とても重いものであった。幾つもの挿話はどれも興味深かったが、主人公自身の痛みや葛藤が希薄であり、また構成が平板なために、メッセージは伝わってくるものの、感動はうすかった。


それを書くことで何を伝えるのか
                              能島龍三


 一次選考を通過した作品は、どれも人間と社会の大事な問題を扱っており、興味深く読ませていただいた。その中で私は「誰もこの涙に気づかない」を受賞作に推した。現代社会に於ける夫婦間のDVを題材に、夫の暴力から逃れ、愛息との離別の悲哀にも耐えながら、人間として、女性として自立しようとする主人公の姿が、緊迫感溢れる筆で描出されているからである。理解ある女性上司に助けられ、シェルターに保護される主人公は幸運な例なのだろうが、そこで出会う身体に傷を負った女性たちの姿は、DVのさらに過酷な実態を暗示していて胸が痛む。ただ一点、視点が加害の側の夫に移ってしまう部分があるが、これは創作姿勢として安易であり、主人公単一の視点で夫の状況を描出する創造的な格闘が必要だったと思う。そうした点を差し引いても、「隷属からの自立」という主題は重く読み手の胸に落ち、受賞作として相応しい内容だと思う。
 佳作の「引き継ぐべきもの」では、ドイツ在住の男性家族と、シーボルトを通じて知り合った人々との交流の中で、ドイツと日本の考え方や文化の違いが興味深く提示される。親衛隊の隊長だった父を持つドイツ人男性の生き方をめぐっての「日本人は過去にどう向き合うのか」という問いかけには大変厳しいものがある。戦争責任・戦後責任の問題を新しい角度から提起した作品である。
 同じく佳作の「バルハシ湖の黒い太陽」もあの戦争にまつわる小説である。ソ連に抑留された父親の残した言葉を手がかりに、収容所のあった地を訪ねる娘の思いが鮮やかに描出されている。前半部分にはやや散漫な印象を受けたが、夢とも現ともつかぬ湖畔での心的体験の描写は読み応えがあった。
 選外だが「スケッチブック」は、軍隊と戦争は人間を破壊するという、強い反戦への思いが湧く内容で好感が持てた。また、南城八郎「道半ば」は、企業側の暴力に堪え、職場を良くするために奮闘する若者の姿が印象的だった。
 今回の選考で感じたことだが、制限枚数の八十枚ぎりぎりの応募作が多い。題材と主題に相応しい枚数があると思う。制限まで膨らませる必要はさらさらない。短編小説はいかに書かないか、いかに削ぎ落とすかが勝負と言われる。大事なのは、その作品によって読み手に何を伝えるのか、そこを握って放さず書くことだと思う。



小説とは

                                 宮本阿伎

 受賞作として推す一作を決めかね、梓陽子「バルハシ湖の黒い太陽」と、三富建一郎「引き継ぐべきもの」の二編を佳作に推すことにして最終選考に臨んだ。最終候補作五編を選んだあと、杉山成子「誰もこの涙に気づかない」を二名の選考委員が新人賞に推挙され、論議を経てほか二名の方も同意された。私自身もDⅤの実態を外連味なくここまで描く作品に迫力を感じた一人だが、ただ夫の視点で描かれるくだりを含め、いわゆる神の視点が混じることが気になった。映子の内的世界の描写でおし通すべきではなかったろうか。しかし躊躇わず書く資質をもつ作者は、逸材に違いない。今後の活躍を期待したい。
 佳作の二編は、論議なく即決まった感がある。共に翻訳小説の趣をもち、また思想性のある小説の魅力を湛えている。「バルハシ湖の黒い太陽」は、「私」がカザフスタンの首都の大学に日本語教師として赴任した折、第二次世界大戦後に父親が二年間抑留生活を送ったバルハシ湖畔を訪れる話を描いている。父親は運よく日本に戻れたが、辛苦の体験については殆ど語らず一九八七年に死去した。故国に還れなかった捕虜たちの思いを鉛色の湖面に音を立てる巨大ナマズの群れに言わせる場面は出色である。シベリア抑留者は国家に「棄民」された人々だと語る結末も説得的だ。 
 「引き継ぐべきもの」は、南ドイツのヴュルツブルクのシーボルト館の館長と信二の間に長い付き合いがあり、この日も夕食に誘われ、ドイツ人の妻と娘のカリンと館に立ち寄る場面から始まる。館長夫妻と、日本人の妻静江と館の来賓用の宿泊室に滞在するシュパーゲルの夫妻が迎えてくれたが、シーボルトにまつわる女性たちの話から日本の男女差別のひどさなどに話が及ぶ。小説の進行に連れてシュパーゲルや信二の父親の戦時もしくは戦争体験に絡み、ドイツ、日本の過去との向き合い方の話となる。引き継ぐべきものは、静江が言う、ナチスや日本の国家主義を許容するようなことは少しもあってはならないということに集約されるだろう。前者が随筆的小説、後者がディベート小説とも言い得るが、小説の多様性として味わいたい。他幾つかの作品に触れたかったが、断念するほかはない。今回も多彩な作品を読ませて戴き、完成までに傾けられた努力の尊さを想い、襟を正さずにはいられなかった。小説とは何か。探求を忘れず、弛まず書き続けてほしい。


 
第18回「民主文学」新人賞第一次選考結果について

 第十八回民主文学新人賞には、小説七十九編、評論九編、戯曲五編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。最終発表および入選作品は本誌六月号に掲載予定です(順不同)。

〈小説〉
南城八郎「道半ば」
梓 陽子「バルハシ湖の黒い太陽」
黒田健司「母ちゃんのあんころ餅」
杉山成子「誰もこの涙に気づかない」
真壁 尚「廃墟に立つ」
工藤和雄「苦渋の選択」
有汐明生「待機の時代」
立花和平「黄昏のときのなかで」
石川 浩「スケッチブック」
高村絵里「ひかりの狭間へ」
三富建一郎「引き継ぐべきもの」
<評論>
東 喜啓「少年の歩く道」
大山晴夫「自責の精神・三島由紀夫論」

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