第17回 「民主文学」 新人賞 |
宮越信久「孤高の人」が受賞 選考経過 第十七回民主文学新人賞は一月末日に締め切られ、小説八十二編、評論九編、戯曲三編の応募がありました。五月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説十一編、戯曲一編となり、三月二十三日に選考委員会が、開かれました。そしてまず、下記七編を最終候補作品とし、最終選考を行いました。選考の結果、左記のように受賞作を決定いたしました。 最終候補作品 小説〉 亀岡一生「海を越えて」 宮越信久「孤高の人」 西村ひとえ「掘子の命」 海輸 有「遠淵湖」 有汐明生「落日」 中 寛信「病院で掃除のアルバイトをするということ」 田上庫之助「愚か者」 新人賞 (賞金10万円) <小説> 宮越信久「孤高の人」 (みやこし・のぶひさ 一九四四年東京都生まれ。七十五歳。東京都八王子市在住)
〔選評〕 小説を「創る」ということ 青木陽子 今回も多彩な作品を読ませていただいた。自身の半生を振り返り、書き留めておくべきと筆を執ったらしい作品が目立ったが、事件としては面白いが小説としては不十分と思うものが多かった。また、小説部門への応募作の中には、歴史評論やルポルタージュとしてなら評価できるのにと思いつつ除外したものもある。選考過程はいつも心が騒ぐ。 受賞には完成度から「孤高の人」を推した。生徒や後輩教師から慕われながら、自身の未熟さが許せず酒に溺れた主人公が、退職して尚教育の道を歩み通したその人生が潔い。後輩の視点から描いたのも成功した。 「病院で掃除のアルバイトをするということ」は、段落に分けられず連綿と続く文体が却って丁寧さを感じさせて、作品の優しさと素直さを際立たせている。働かない人間の事情も、経営の側の事情も、底辺で働く人々の連帯感も描かれて、読後感が温かい。 「落日」は、満州に渡った若い医師を主人公に、漢奸と呼ばれた親日富裕層や貧民の生活、そして満州からの引揚げを描いたスケールの大きい作品だが、「五族協和」など、問題が深められず言葉だけに終わっているのが惜しい。 「海を越えて」は、欧州から日本に来て活躍するが様々な事情の中で帰国する力士の話。読みやすく面白いが、起きた問題への主人公の葛藤の描き方に物足りなさが残る。似たようなことを「掘子の命」にも感じた。銀山が舞台の時代物で、読み物としては巧みだが、時代や人間を描くという点で深みに欠けた。 逆に小説としての「創り」の不足を感じたのが「遠淵湖」で、戦前の樺太を舞台に寒天の原料になる草の採取をめぐる闘いを描いているが、小説よりもレポートという感じがした。「愚か者」は、恋人を生家に連れて行き、親の身勝手に翻弄される男を描いていて、その気持ちはよく伝わるが、小説の形を整える意識が薄いように思われた。小説を「創る」ということは一筋縄ではいかないようだ。 贅肉を削ればもっといいものに 牛久保建男 応募された作品は、題材が多彩で興味深く読ませていただいた。規定の百枚を限度いっぱい書いた作品が多いのも特徴だった。贅肉を削っていけばもっと良くなるのにと、惜しまれる作品もあった。 受賞作の宮腰信久「孤高の人」は、まとまりのある作品である。教育のあるべき姿を追い求めるベテラン教師と彼をみつめる若い教師という構図で、生徒の心によりそう教育の大切さがよく描けていると思う。仲間から信頼を寄せられているベテラン教師が、酒を飲むと異様に乱れるのはなぜかということへの追求がほしいという注文もあるが、本当の教育とはなにかということを考えさせる。 佳作の中寛信「病院で掃除のアルバイトをするということ」は、他人との交流が苦手で十年あまり家に引きこもっていた青年を描く。「クリーナー」という病院での清掃の細かな仕事が印象深く描かれ、そこで働く人々の連帯感ある姿が生き生きと描かれているのがいい。独特の文体だが人間を見つめるあたたかな作者の視線に共感した。 捨てがたい作品として私の中で残ったのは海輪有「遠淵湖」だった。樺太で寒天製造の特許をめぐる漁民と業者の争いを描いたものだ。この作品で注目したのは、困難に直面した漁民たちが第一回普通選挙で誕生した無産政党の議員の支援で苦境を打開しようとした姿をとらえていることだ。国民の運動と無産政党の議員との連携はあまり知られていないだけに新鮮に思えた。小説としての膨らみが弱いことが惜しまれる。 相撲界に入った外国人力士の孤独と苦悩を描いた亀岡一生「海を越えて」、また、共産党の専従活動家になった若い青年を描いた祥賀谷悠「党専従」など印象に残った。最終選考に、文芸評論と戯曲が残らなかったのは残念であった。文芸評論については主題があいまいで、対象と格闘しそこから自身の言葉を紡ぎ出すという行為が希薄でもあった。次回に期待したい。 凝縮度の高いものが読みたい 乙部宗徳 今回、最終選考に推す作品としては、「孤高の人」と「愚か者」を選んで選考に臨んだ。 新人賞に選ばれた「孤高の人」は、教育に情熱を傾けた先輩教師の像をていねいに描いている。歌舞伎の鑑賞、新任教師の時の経験、夏合宿など、小説の結構が整っている。私学の高校で最初に組合づくりをした先輩教師の加納、現在の組合委員長の主人公の俊彦、同僚の山田、生徒の児島、吉川など、登場人物が絞られていることも印象を強めている。 「愚か者」は、結婚相手と惚れ込んでいた彼女を、初めて実家に連れていく話である。日曜の昼に連れていく予定が、土曜の夜から泊りで来るように言われたのは、父親に畑仕事を手伝わせる魂胆があったからだった。貧しい農家の生活や彼女とサークルで知り合うところなど、一九六〇年代後半の時代が浮かんでくる。主人公の心情がよくとらえられていると思ったが、他の委員の支持を得られなかった。 佳作の「病院で掃除のアルバイトをするということ」は、病院の作業や様子は描かれているが、父の死が「数年前」の点やひきこもる要因など、作品世界に入り込みにくいところがあり推せなかった。なお、タイトルが長いことは、紙面など、様々なところに不都合が生じる。会話文で鍵括弧を使わないことも含め、独自性を発揮するのはそこではない。 応募作には、戦争などかつての時代を舞台にした作品も多く、大きな主題に挑もうとする意欲は感じられたが、登場人物の心理や筋の展開、細部のリアリティなど不足が目立った。最終選考に残った中では、「遠淵湖」は事実がよく調べられていたが、小説としてのふくらみに欠けた。 また、応募要領の枚数いっぱいに書かれたものも多く、中には間延びした印象を与えるものがあった。枚数の多さが採否に影響するわけではない。自分が描こうとする主題を突き詰め、それに向かって凝縮した世界をつくりだしてほしい。 小説とは何を描くものか 工藤勢津子 受賞作にふさわしいと強く押したい作品をもてないまま、最終選考日を迎えてしまった。応募作それぞれに、作者の熱い思いを感じ取ることはできた。けれども、おそらくは作者の実体験を恣意的に綴ったもの、政治スローガンを作者の生なことばで書き連ねたもの、史実を小説らしく仕立てたもの、たぶんに物語を面白く読ませることに腐心したものなど、全体に、小説とは何を描くものかということが把握されていないのではないか、と思わせられる作品が多くみられたのが残念だった。 そうしたなかで惹かれたのは、中寛信「病院で掃除のアルバイトをするということ」だった。気弱ですこし不器用な主人公の、声高でないことばを通して、社会生活を恒常的に支えているにもかかわらず見過ごされがちな地味な仕事と、携わるひとびとの矜持をていねいに描きだしていた。今後の作品に期待を抱かせる、作者の物事を見つめる目のたしかさと独自のきらめきを感じた。ただ、「働くということは、道路上に開いた穴をふさぐということ」「すべての人間の仕事はそういうもの」という通奏底音を、主人公の形象を通して説得力あるものにするには、作品世界の土台にあたるプロットをしっかり構築しておく必要があったのではないか。細かいことでの齟齬にもつながっているように思われた。引きこもりとなった理由や、働き始めるにあたって自ら励ましつつもつまずく場面など、それなりに書き込んではあるけれども、十年も引きこもっていた人間の社会復帰の障壁にかかわって、疑念を抱く読者もあるのではないだろうか。 宮腰信久「孤高の人」は、小説の形が整っており、生徒の成長を長い目で見守ることの大切さなど、メッセージ性には共感できた。主人公を一面的に仕立てていないのにも好感をもった。けれどもこの作品の核である加納の人物形象、葛藤を、主人公の目による描写ではなく、大半を同僚の説明で叙述したためか、希薄さを感じざるをえなかった。 「描写へのこだわりを 仙洞田一彦 応募作品を読んだ印象を一つ上げるとするなら、「描写」へのこだわりをもっと強く持ってほしいということだった。人物、事件は詳しく書かれているが、像が浮かび上がるように描かれている作品は少ないように思った。 宮腰信久「孤高の人」は、年末に届けられた喪中はがきをきっかけにして先輩教師を思い出す話で、とりわけ人物像は大切である。また、懐かしさだけではない何かをも求められる。それにも答えていると思う。思い出される人物加納義一郎は「(勉強は)今を豊かにするためにやるんだ」という考えで教育に向かい、生徒に向けられる目も「慈愛」に満ちている。生徒と向き合う姿が描かれるが、加納の人物像が際立つのも生徒の児島、吉川の人物像が良く描かれているからだろう。加納が酒乱になるきっかけとなったとされている、より重要な小杉の人物像が他の人物と比べてはっきりしなかったことが惜しまれる。 中寛信「病院で掃除のアルバイトをするということ」は、この小説を読めば明日からでも病院で掃除のアルバイトができそうなくらいに詳細に描かれている。それによって主人公の人柄、職場の人間関係が描き出されている。また、アルバイトが置かれている不安定な立場、弱い立場が浮かび上がってくる。しかし、仕事というのは「路上に開いた穴を埋めることだ」という父親の言葉が、作品世界にうまく溶け込んでいるようには受け取れなかった。書き初めに置かれ、少なくない枚数を費やしている出来事である地震の場面が、結末で生きていないのも中途半端な印象に終わらせた原因であろう。 亀岡一生「海を越えて」は言葉も習慣もなにもかも違う異国で、しかも「相撲世界」という日本でさえ特殊ともいえる世界で苦労、奮闘する欧州出身力士に寄り添って描いている。整形外科医院の待合室でつながりができた応援団の話は面白い。選には漏れたが、良い作品だったと思う。 |
第17回「民主文学」新人賞第一次選考結果について 第十七回民主文学新人賞は、小説八十二編、評論九編、戯曲三編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。最終発表および入選作品は本誌六月号に掲載の予定です(順不同)。 〈小説〉 亀岡一生「海を越えて」 木原 健「帳面消し」 黒田健司「大阪谷町あけぼの寮」 祥賀谷悠「党専従」 宮越信久「孤高の人」 西村ひとえ「掘子の命」 白垣詔男「父への思い」 海輸 有「遠淵湖」 有汐明生「落日」 中 寛信「病院で掃除のアルバイトをするということ」 田上庫之助「愚か者」 |