第15回 「民主文学」 新人賞

 
田本真啓「バードウォッチング」が受賞

選考経過
  第十五回民主文学新人賞は一月末日に締め切られ、小説七十五編、評論八編、戯曲八編の応募がありました。五月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説十編、評論二編、戯曲一編となり、三月二十八日に選考委員会が、四委員出席のもとに開かれました。そしてまず、下記六編を最終候補作品とし、最終選考を行いました。選考の結果、左記のように受賞作を決定いたしました。なお、選考委員に選任されていました丹羽郁生氏は、療養中につき参加をしていません。


最終候補作品
  <小説>
    黒田健司「仲間たちといた夏」
    池戸豊次「水のまち」
    城戸 梢「日本海はるかに」
    梁 正志「奎(ほし)の夢」
    澤田信也「草萌え」
    田本真啓「バードウォッチング」


新人賞 (賞金10万円)
<小説>
  田本真啓「バードウォッチング」
  (たもと・まさひろ 一九八五年長崎県生まれ。長崎県南松浦郡在住。文学会準会員)
  
 ●受賞のことば
 素晴らしい賞をいただき、大変嬉しく思います。受賞の報を受け、まず最初にしたことは、自宅の外に出て、星を探しに行くことでした。他界した父のことを想うと、それこそが彼へと続く、一番の近道であるように思えて仕方がなかったからです。
 生まれつき耳の遠かった父。今となっては星よりも遠い父。そんな父に言葉で何かを伝えようとすることこそが、僕にとっての文学だったのかもしれません。





〔選評〕

今後の創作も大いに期待
                              井上文夫

受賞作となった「バードウォッチング」は、巧みな表現と構成が光った。
 「僕」が小学校二年の時に父が自殺。働かざるをえなくなった母に代わって、面倒をみてくれた祖母。しかし、「僕」は幼少時からずっと祖母が疎ましく、今では認知症になった祖母を邪険に扱う。「僕」はその自分の「ネガティブな感情」を辛く思う。
 「おまえには愛が足りない」という雇い主のヤマネコさんの言葉が「僕」の心に突き刺さる。「僕」は祖母との過去を振り返り、祖母が「僕」に与えてくれた愛の大きさに気づく。
 このような筋書きの中で、「僕」の屈折した心の軌跡が鮮やかに表現されている。
 ヤマネコさんが愛について「キリスト教の愛」を引き合いに出し、それをキリスト教徒ではないと思われる「僕」がすんなり受け入れる場面があるが、そこはやや説得力に欠ける。
 とまれ、若い作者の今後の活躍を大いに期待したい。

 佳作となった「奎(ほし)の夢」には、歴史上の人物が登場する。太平洋戦争のさなか、日本に留学した「朝鮮人」の宋夢奎(ソンモンギュ)と従兄弟の尹東柱(ユンドンジュ)が、治安維持法で逮捕され拷問されても節を曲げず、ついには獄死するまでの壮絶な闘いを描いた作品である。
 この作品を書くにあたり、作者が多くの文献を丹念に調べ、史実の裏付けを得ていることが、末尾の参考文献一覧で分かる。
 その努力が濃密な筆致によって、重厚でスケールの大きい作品世界に結実したと言えよう。
 この作品は主人公・宋夢奎の視点が基本になっているが、主人公不在の場面(刑事同士のやりとり、下宿の夫婦のやりとり)が散見され、短編小説に求められる視点の統一性が少し損なわれたのが惜しい。
 なお、最終選考まで残った作品はいずれも力作だった。
 中でも私が良いと思ったのは「仲間たちといた夏」。小さな町工場で働く主人公が、地区労連の青年部に参加し、仲間たちとぶつかり合いながらも成長していく過程を描いた作品である。
 若い主人公と、彼が働く町工場の年老いた会長が、仕事への誇りや戦争につながる憲法改悪反対の運動について、深夜の工場で語り合い、心を寄せ合う場面が印象に残った。


今後への期待もこめて、推す
                             田島 一

 田本真啓「バードウォッチング」の主人公の「僕」は、町で一軒だけのダイニングバーの「夜の仕事」で働いている。七歳のときに父親が自死したため、祖母の元で多くの時間を過ごしてきた「僕」なのだが、三年近く前から祖母に認知症の症状が出始めたことにより、いまは母と分担した介護の日々を過ごす身だ。
 年齢は三十歳くらいで何やら重いものを抱えているようにも読み取れる、「僕」にはも多い。「愛」「信じる」「諦めない」といった言葉が交わされ、職場の主であるヤマネコさんとの「しあわせ論争」とともに展開される物語は、情緒に傾いたきらいがなくもない。彼らの饒舌さも気になるところだ。
 けれども、明確な解など容易に得られない介護や人間の問題を若者の視線で追求した、作品世界には読み応えがある。ここまで描いた努力と筆力を多とし、今後への期待もこめて私は、迷うことなく授賞作として推した。
 佳作に選ばれた梁正志「奎の夢」は、アジア・太平洋戦争の時代に京都で勉学に勤しんでいた二人の朝鮮人青年が、「独立運動」の容疑により検挙され、服役中に獄死する「暗い谷間の時代」を描いた作品である。選考委員諸氏の論議の過程で佳作に落ち着いたものの、全体としての創りは壮大な長編小説の趣を呈しており、人物形象の不足やストーリー構成の無理をもたらしたことが惜しまれる。
 最終選考に残りながらも掲載に至らなかった、池戸豊次「水のまち」は、秀でた描写力による印象的な場面で読ませる一方、今ひとつ胸に迫るものが乏しいとの感想を抱かされた。城戸梢「日本海はるかに」は、一九五〇年代半ばに大阪の中学教師だった「私」と、後に北朝鮮に還る優秀な教え子との行き交いを回想で描いている。貧しくとも温かみのあった教育の現場や時代の空気が、静謐な筆致で切り取られていて心に残った。澤田信也「草萌え」も、敗戦後五年を経た時期を舞台に、働きながら定時制高校に学び、やがて社会変革を志す若者を描いた青春小説として素朴な魅力を有している他方で、冗漫に流れてしまったのが残念である。町工場に働く青年の成長の描出に挑んだ黒田健司「仲間たちといた夏」では、労組や社会に目を向ける、主人公らのひたむきさに好感が持てた。
 選外となったが評論の、森孝行「短歌革命―悦ばしき短歌」の鋭い論及には首肯させられる部分が多く注目した。とはいえ、短歌界発展の見地から、価値観の異なる人々も包み込む、具体的提言がもう少し欲しいと思えた。
 なお、今回応募の小説には、上限の百枚ぎりぎりまで書いたものが多く見られた。費やす枚数と等量の重みが作品には求められることを認識していただけたらと思う。

小説への意識
                              宮本阿伎

新人賞に田本真啓「バードウォッチング」をと考え、最終選考にのぞんだ。ほかに最終選考に残したい作品として池戸豊次「水のまち」、伊藤さつき「めんごい子」をと思ったが、あえて絞ればということで、最終選考通過作品の何れも佳作として掲載に価すると思った。それは第一次選考通過作品に広げても言い得るところで、選外佳作特集≠ニいう臨時号を編みたいとも夢想する程であった。
 しかし自身に関する限り新人賞は「バードウォッチング」以外にはなかった。非の打ち所がないということではなく、新人賞らしい作品という意味においてだ。この作品には、いったいに夾雑物が多すぎる。ラムネの瓶を望遠鏡代わりにするバードウォッチングごっこ。永遠に歳をとらないピーターパンの物語、カントの言うキリスト教の愛≠ニは何か、などなどのお喋り。それらが小説の主題に関係していないとは言わないが、処々で言葉遊びの空回り状態を呈している。
 だがそこに終始しているわけではない。この小説が高齢の認知症を患う肉親の介護を、義務や責任からではなく、愛情の範疇からでもなく、自身のアイデンティティを問う動機に基づいて描き始められているところに注目した。父親に自殺され、母親が働きに出ている間祖母に預けられ、それ以前も学校の恒例行事に両親に代わってやって来た祖母を疎んじた少年期をもち、父の死後母親の出たその家の姓まで受け継がされた「僕」が、なぜダイニングバーの勤めから帰ると祖母の介護に振り回されるのか。結論としたところが必ずしも新しい訳ではないが、持ち重りのする世界をつくり、あれこれと考える小説というものに、作者は一歩を踏み出した。
 梁正志「奎の夢」は、宋夢奎(主人公)やその従兄弟にあたる詩人尹東柱など実在した人物をモデルとして戦時下の日本に留学し勉学途上独立運動に対する治安維持法違反で逮捕され獄死するまでを追った歴史小説だが、遺体を迎えに海を渡る父親の哀切が胸に迫った。「水のまち」は、前作「鹿を殺す」には及ばなかったが、奥美濃の風物と暮らしの秀逸な描写のうちに妻への恋情を描き小説の醍醐味を味わわせる。東日本大震災、原発事故を題材とする「めんごい子」、北朝鮮に帰っていったかつての教え子を描いた城戸梢「日本海はるかに」からは二者二様の感銘を受けたが、前者は表現法において、後者はやや手記的であることにおいて、小説への意識の弱さを感じた。澤田信也「草萌え」は敗戦後五年、働きながら定時制高校に通い始めるその後の成長を描いた力作だが、父亡き後農作業に取り組んだ主人公の母親が、彼が中学を卒業すると外に働きにゆかなくなる、この母像がとりわけ印象に残った。評論では、第一次選考を通過した、森孝行「短歌革命―悦ばしき短歌」と草野一哲「『人間失格』の人間論」の二編を面白く読んだ。年毎の充実を此処でも感じた。


選評
                              吉開那津子

 新人賞「バードウォッチング」(田本真啓)は、小説を書くことによってしか表現出来ない何か或るものを追求しようとした作品である。しかし、その何か或るものは、作者によって充分に把握されたとはいえず、作者の意識は観念的な思索へと流れていってしまった。その結果、小説世界は曖昧模糊として、最後まで分かりにくさがつきまとっている。小説とは、具体的な描写を重ねて構築されていくものだ、ということを、作者にもう一度確認してほしいと思った。わたし自身は、この作品を新人賞に推すことは出来なかった。
 佳作作品「奎の夢」(梁正志)は、非常に強い執筆動機によって、書かれたものである。そのことにまず胸を打たれた。
 韓国が、いわゆる併合によって、日本の植民地とされていた時代、当時の中華民国東北部間島省明東(ミョン ドン)村出身の宋夢奎は、日本の京都帝国大学へ入学することを決意して海を渡る。夢奎は、祖国を暴圧によって支配する日本に批判的であるが、日本の実際をほとんど知らない。そこで、日本へ渡って勉学しようとしたのである。しかし、夢奎の胸の内には、韓国に先んじて、西洋と肩を並べることが出来た宗主国に対して、ある種の憧れもあっただろう。
 京都帝国大学では、滝川事件以来、教員たちは権力に抵抗する気力を失い、夢奎にとって彼等の授業は魅力に乏しいものだった。夢奎は図書館へこもって、自ら勉学に勤しんだ。夢奎は、従兄の尹東柱と共に、祖国の独立を願う韓国出身の学生たちの集会に参加するが、それを快く思わない下宿屋の主人に密告されて、官憲に捕らえられた。夢奎は結局、手酷い拷問を浴びて、命を失うのである。
 この小説は、夢奎が主人公なのであるから、視点を夢奎に定めて、下宿屋の主人夫婦や、特高警察の主任などの描写は、夢奎の立場からのものに、留めるべきではなかったろうか。それよりは、夢奎の獄中生活の実際、看守や共に獄に捕らわれていた人々の様子などを具体的に丁寧に描いてほしかった。わたしはこの作品の手法にたくさんの註文を持ったがそれにもかかわらず、この作品に籠められた作者の熱い思いに感銘を受けた。結局主人公は殺されるのであるが、読者のわたしに残ったものは暗い悲しみというより、日本と韓国のよりよい関係の発展を願う、未来への希望であった。
 他の選考委員の賛同は得られなかったが、わたしは、戯曲部門の「証言〜オマージュ高木仁三郎〜」(川村信治)を佳作に推薦したいと思った。これは、日本の原子力発電の危うさに警鐘を鳴らし続けた科学者の、功績と人柄を記念しようとした作品である。このような脚本が、いつの日にか、実際に舞台の上で演じられることを切に願った。
 
第15回「民主文学」新人賞第一次選考結果について

第十五回民主文学新人賞は、小説七十五編、評論八編、戯曲八編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。最終発表および入選作品は本誌六月号に掲載の予定です。なお、選考委員に選任されていました丹羽郁生氏は、療養中につき参加をしていません(順不同)。

〈小説〉
黒田健司「仲間たちといた夏」
祥賀谷悠「南紀州」
池戸豊次「水のまち」
城戸 梢「日本海はるかに」
伊藤さつき「めんごい子」
山本利雄「不来方ユニオン」
梁 正志「奎(ほし)の夢」
澤田信也「草萌え」
田本真啓「バードウォッチング」
志方知受太「南相馬で」

〈評論〉
森 孝行「短歌革命──悦ばしき短歌」
草野一哲「『人間失格』の人間論」

〈戯曲〉
冨田祐一「戦艦武蔵の最期〜下級兵士の見た沈没〜」

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