第13回 「民主文学」 新人賞 |
岩崎明日香 「角煮とマルクス」が受賞 選考経過 第13回民主文学新人賞は1月末日に締め切られ、小説84編、評論11編、戯曲4編の応募がありました。5月号ですでにお知らせしたとおり、第一次選考通過作は小説9編、戯曲1編となり、3月26日、五委員出席のもとに選考委員会が開かれました。選考委員会はまず、下記5編を最終候補作品として選び、最終選考を行いました。その結果、上記の受賞作を決定いたしました。作品は「民主文学」2016年6月号に掲載されています。 最終候補作品 <小説> 竹田圭右 「雑草の詩」 志方知受太 「『夢ごはん』の扉」 國分方健 「徳さん」 岩崎明日香 「角煮とマルクス」 <戯曲> 藤丸 徹 「千里はなれて」 新人賞 (賞金10万円) <小説> 岩崎明日香「角煮とマルクス」 (いわさきき・あすか 1986年長崎県生まれ。東京都中野区在住。民主文学会会員)
〔選評〕 選評 風見梢太郎 岩崎明日香「角煮とマルクス」は、苦しい生いたちを振り返り、社会を変革する生き方を選ぶ主人公を、瑞々しい感性で描いた秀作である。この作品で私が一番感銘を受けたのは、貧しい暮らしの中で母親を中心に六人の兄弟姉妹がお互いを思いやって健気に生きていく姿である。人物の形象も見事であり、とりわけ主人公たちにキリスト教の礼拝を強要する頑迷な祖母の人間像が鮮やかだ。一読して、新人賞に相応しい作品であると確信した。広く社会を見通す目を持った若い女性作家の誕生を心から喜ぶものである。 志方知受太「『夢ごはん』の扉」は、新聞社を辞め、食事が摂れない子どものために食堂を開く主人公の心意気が伝わってくる作品である。凝った食事を安く出す食堂の経営破綻は最初から明らかであり、主人公の苦悩も容易に予測がつく。それをどう乗り越えて行くか、多くの紙数をそこに費やしてほしかった。國府方健「徳さん」もやはり「こども食堂」を扱っている。こちらは、弁護士が会長を務めるNPOが経営しており、知恵を集めている。主人公が卒論の調査研究のためにやってきたという設定になっているため、なぜその事業に加わるのか、は問われない。その点に作品としての弱さがあり、また徳さんの人物像がややステレオタイプであるのが惜しまれる。 小里久生「そして・・・四月に知った」は支援学級の子どもたちの様子が生き生きと書かれていて好感を持った。しかし、管理主義、競争主義に染まった主人公が大きく変化する様を短編で描ききるのは難しかったかもしれない。次作を期待したい。 北嶋節子「見知らぬ女」は、ホームレスの人たちと地元商店街の人々との交流が描かれていて面白かったが、話が商店街会長の過去を追うミステリーのようなところに逸れてしまい残念であった。 澁澤祥代「花火」は、現代の若者を主人公にした軽妙なタッチの作品であり、筋の運びに文学的修練を感じた。「合法ハーブ」が作品のポイントになっているのだが、その描き方について選考委員会で強い批判がでたため最終選考に残らなかった。 新しい時代の文学のうたごえ 久野通広 新人賞は全員一致ですぐに決まった。戦争法施行と、廃止を求める野党共闘・市民運動の発展という時代の転換点に、新しい文学のうたごえともいえる若手作家が登場したことを心から嬉しく思う。 「角煮とマルクス」は、自己責任論に苛まれてきた世代が克服できなかった文学的課題を、突き抜けている。男尊女卑で、母と他人に暴力をふるい犯罪者となり家族に迷惑をかけた父親に対して、緋沙子は「あの父親が生きてる限り、私は一生幸せになれない」と思う。癌におかされた父の壮絶な最期をみて、自業自得とも思う冷たさ≠ニ向き合えていなかった自分を責めるが、「もし逃げてたら……活動やればやるほど、お父さんのこと、忘れるどころか考えずにはおられんもん」との姉の言葉に自省を深めていく。路上相談活動で、「自分みたいな人間は、野たれ死んでも仕方ない」という父親と同じ世代の男性に、「野たれ死んでいい人なんていないんです。絶対にいない。諦めずに、どうか」と必死に語りかける緋沙子。そこに重ねているのは間違いなく父の姿であろう。社会の矛盾を認識し、それを変えていく運動に身を投じ、新たな社会的連帯をきずいていくなかで、自身の冷たさ≠克服していくという視点は注目に値する。時代の課題と向き合い、新たな人間変革の可能性をさらに追求してほしい。 しかしこの作品以外は、全体として低調だった感が否めない。佳作候補も論議になったが、評価の一致をみなかった。題材の客観的評価とその扱い方についても注意を喚起したいことがある。ある作品のなかで、「合法ハーブ」をたばこと間違って吸った祖父が錯乱状態になり、花火を空爆と錯覚するという場面があった。東京大空襲で家族を失い戦災孤児になった祖父の傷跡と、平和の大切さを問うモチーフはわかる。だが危険ドラッグは「合法」と称していても、大麻や覚醒剤と同様に、人体への使用により危険が発生する恐れがあるし、社会的問題となっているだけに、無批判には扱えないだろう。 評論が一次選考にも残らなかったことは非常に残念だった。対象となる作家、作品について、今の時代の読者に、何を社会的評価として問うのか、評者は見据えて論じてほしい。 人間を描くということ 能島龍三 今回の応募作品を読ませていただいて感じたことは、人生の来し方や現実への思いを小説という形で表現しようとする方が、まだまだたくさんおられるということだった。どうしてもこのことは書いておきたいという、熱い思いを感じる高齢の方の作品も少なくなかった。八十代の方が百枚近い作品を出された例も、一つや二つではないのである。「文学に定年はない」ということを強く実感する。ただ、小説とは何かという点から見ると、出来事や事件の顛末をなぞることに力点が置かれ、「人間」が描かれていないと感じる作品が少なくなかった。人間の苦悩、愛憎、葛藤などをこそ、社会の現実と絡ませて描いて欲しい。 この点では、岩崎明日香「角煮とマルクス」は秀逸だった。主人公の、家族関係から生じた苦悩と葛藤、そこからの複雑なプロセスを経ての成長の軌跡が、社会の現実や社会変革の運動とも絡めて、過不足なくリアルに描き出されている。クリアな文章も良い。新人賞にふさわしい作品であると思う。 その他の作品についても長時間検討したが残念ながら受賞に届くものは見出せなかった。 私は、追求しようとする主題の今日性という点で、有事の民間船員徴用の問題に切り込んだ藤丸徹の戯曲「千里はなれて」に注目した。戦争法施行に伴い民間船舶の徴用が企てられている現在、大変貴重な内容だが、スクリーン上に長文の解説字幕、テロップ、画像等を多用する手法には疑問を持った。 女性や子どもの貧困と向き合い、食事を提供する施設を題材にとった作品が、最終選考に二つ残ったのは、現政権下での格差と貧困の急速な広がりを反映してのことだろう。國府方健「徳さん」は、福祉を学ぶ大学生がボランティアで参加した「女性と子どものための行動センター」で、元やくざの男性をはじめ関係者と交流しながら成長する姿を描く。設定と展開がテレビドラマ風で、そのため人物の苦悩や葛藤が浮かび上がらないのが惜しい。志方知受太「『夢ごはん』の扉」は、経済的困難の中「子ども食堂」を運営する側の思いを捉えた。食品や調理の描写など、全体に冗長なところが気になった。行政など社会的な問題解決への志向も欲しいと思う。 竹田圭右「雑草の詩(うた)」は、戦災孤児たちの戦後数十年を、殺人事件を絡めて描いた百枚の大作。戦争体験者でなければ書けないあの時代の社会の実態と、戦災孤児同士の人情や交流など、大変興味深く読んだ。 若い世代の応募を願う 三浦健治 以前、柄谷行人が近代文学は終ったといった。近代文学の役割を口語の確立から見たもので、あとは資本主義の経済的利害だけが残ったという。わたしは別の見方をしている。顧客の所有物に使用価値の残っているクルマなどの耐久消費財はニュー・モードにモデル・チェンジして消費者の購買意欲をそそらなければ売れない。文学出版の世界にもその論理が作用して、口語化して以後の文学は売るために何をニュー・モードにすればいいかわからない不安をかかえている。 しかし、言文一致で近代文学が懸命に磨きあげた文体、小説におけるリアリティはすでに日本文化の構成要素になっている。それを創造的にひきつぐ仕事は現在性を失っていない。文学創造を志すものが形式上のニュー・モードではなく、今を生きる人びとの現実にアクチュアルなテーマを見出すとき、近代文学はむしろ有力なプラス価としてはたらくだろう。岩崎明日香「角煮とマルクス」は青年が貧困に置かれている今の現実へのアクチュアルな接近を底流させつつ、近代文学を創造的に再生している。苦難にめげずたたかう新しい人間像も感じさせ、心強い。応募作品を読んでいてこの作品と出遭ったとき、一も二もなく入選作に推そうと思った。 新人賞は今後の成長を期待する趣旨だから、若い世代の応募が少なかったのはさびしい。その代わり高齢者が戦中・敗戦直後の体験を描いていて興味深かった。戦争参加をめざす政権下、戦争を体験した世代が戦争の何たるかを描く企画も欲しいと思った。 お話として面白く読ませながらも、通俗性の気になる作品もあった。近代文学よりテレビ・ドラマが手本になっているのかも知れない。社会・政治意識においてテレビ・ドラマとはちがうが、作品の仕立て方が通俗ドラマふうなのである。文学とはたとえ虚構であっても人間と人間関係の真実をリアルに探求することであって、リアリティを等閑視して面白おかしい話をつくることではない。 文体でいえば、熱心な作品でも冗長なのが気になった。平板な説明文ではなく、言葉の背後の世界へイメージ・想像の広がるビビッドな描写文をめざして欲しい。 小説とは何か 宮本阿伎 最終選考では、初めに五人の委員が新人賞候補と佳作の候補をそれぞれ挙げた。次に若干の討議を経て最終候補作品が決まったが、新人賞には岩崎明日香さんの「角煮とマルクス」を全員が推した。議論の余地がなかった。逆に佳作について意見が分かれ、相当の議論を経て、結局「佳作なし」となった。応募作は九十九編であったにもかかわらず、評論で第一次選考を通過する作品がなかったこととあわせて、本当に残念だった。 新人賞を受賞した「角煮とマルクス」は、モチーフの強い作品であり、他を引き離したという言葉がもし許されるとすれば、最大の要因はここにあるのではないかと私は思う。近頃あまり聞かれなくなった「書かずにはいられなかった」という言葉を思い出させずにはおかなかった。 数年前に大学を卒業して東京で共産党の活動を仕事としている緋沙子が、長崎県のとある海沿いの集落に、大晦日の前日帰省してくる場面から始まるが、六人きょうだいの次女である緋沙子が、清掃のパートに加えて夜間は宅配業者の配送センターで働き、ダブルワークをこなす母親が腰をいためて炬燵で臥せているのに代わり、早速お節料理を作り始める情景は、牧歌的といえるほどのどかだ。 緋沙子が二十歳のときに死んだ父が小説の核になっているが、日常性を突き破るその描写がもつ衝迫力も、筋運びの緩急も必ずしも巧まれたものではない。文章もきわめて端正だが、小説に不可欠な要素であるものの、群を抜いているわけではない。信仰の地という地域性も主題や筋とよく絡み情趣を醸し出しているが、だが小説として完璧かと言えばいまだ粗削りだ。しかしながら、小説に何が大切なのか、ひいては小説とは何かをこの小説にあらためて教えられた思いがする。 佳作として私があげたのは、志方知受太さんの「『夢ごはん』の扉」。妻を癌で亡くした主人公が新聞社を早期退社して調理師専門学校に二年通い、五十三歳で子ども食堂の経営に挑む話だ。生活が厳しい家庭の子のために、自身の労賃を犠牲にして廉価で美味しい夕食を提供する主人公の行動の立派さに惹かれたのだが、小説のつくりに憾みがある。当作を含め今回多くの作品に傾注された努力の多さを感じ、頭が下がった。同時に自分史的であるか、通俗的であるか、いずれかの問題を残していると思った。小説とは何かを見極めて、是非再挑戦を望みたい。 |
第13回「民主文学」新人賞第一次選考結果について 第13回民主文学新人賞は、小説84編、評論11編、戯曲4編の応募があり、次の作品が第一次選考を通過しました。最終発表および入選作品は本誌6月号に掲載の予定です(順不同)。 〈小説〉 竹田圭右「雑草の詩」 澁澤祥代「花火」 大山初雄「山並み」 志方知受太「『夢ごはん』の扉」 北嶋節子「見知らぬ女」 小里久生「そして・・・四月に知った 志藤安男「惨禍遺産」 國府方健「徳さん」 岩崎明日香「角煮とマルクス」 〈戯曲〉 藤丸 徹「千里はなれて」 |