十一月四日(日)の午後、五回目の「心さわぐシニア文学サロン」が、文学会会議室で開かれました。今回のテーマは、「吉田修一『日曜日たち』を読む」です。これは前回のサロンで、雑誌『すばる』7月号の「プロレタリア文学の逆襲」を取り上げ、現代をどう捉えどう描くのかという討論の中で決まったテーマでした。
『すばる』の鼎談の中で、本田由紀氏が「社会システムまで視野に入れ、グローバリゼーションにせよ何にせよ、社会状況がマクロとしてあって、そのなかで各人がどういう位置に置かれているのかを把握した上で、戦略的なフィクションとして描き出すものであってほしい」と述べています。その本田氏が「現代のプロレタリア文学があり得るとしたら」として挙げた一冊『日曜日たち』を、『鋼鉄はいかに鍛えられたか』などに大きな影響を受けて来たシニアはどう読むのか。報告者は、作家の山形暁子さんにお願いしました。
『日曜日たち』は五編の連作小説で構成されています。山形さんの緻密な作品分析と問題提起をもとにして、議論は盛り上がりました。作り過ぎだという意見、偶然性の多用という点や、発表が『小説現代』であることから通俗的と言われるかも知れないが、あまり気にならないという意見、現代はこんなにこだわりなく、人が別れたり一緒になったりするのか、若者はみんなこんなに軽く生きているのかという疑問も出されました。現代の若者はもっと苦しんでいるのにそれが描かれていないという批判もありました。民主文学の書き手の知っている、真面目な人が真面目に生きている世界でなく、今の多くの若い人が生きているのはこういう世界なのではないか、という意見もありました。全体には感動したという意見が多く、全編にわたって登場する二人の子どもが、現代社会への重い批判となっていることが指摘されました。
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