第2回 旭爪あかねさんの『風車の見える丘』をテキストに |
四月二十九日(日)、民主文学会事務所において、第2回の集りが開かれた。会を重ねるごとに参加者が増し、今回は十七名の参加となった。会は旭爪あかねさんの『風車の見える丘』をテキストに、宮本阿伎さんの報告で進められた。宮本さんからはまず、我々の世代は、この小説から何を感じただろうかという問題提起がなされた。これまでの評価は、若い世代の作家が現代の生き難さを描いたと意義づけたものが多かった。確かに、若い世代の作家にとってアクチュアルな問題が、その世代の作家から提出された意義は大きい。しかし作品は、先行世代がどのように生きてきたのか、今どのように、作品に描かれた現実に向き合うべきか、そのことをもまた訴えている。宮本さんは、そういう力を持つ作品としてあらためて注目したいと報告をまとめた。
作品をめぐる議論は多岐にわたった。現代の若者たちの特徴として、競争原理の内在化、過剰適応、傷つけ合うことへの恐れ等が上げられ、自分たちの世代との違いと共通点が論議された。競争については、今の時代よりも当時の方がひどかったという意見も出たが、今のやり方は、上の意向に沿った者を選ぶために、ふるいに掛けるようにして独自の考えを持つ者を次々落としていき、残った所に金と地位がついてくるという、そういう競争なのだという指摘があった。
現代の生き難さは、若者だけではなく、全世代に同じような問題が広がっている、という議論もされた。食べること自体が大変だという世の中になっている。仕事が見つからないのは若者だけではない。六十年代、七十年代の政治闘争からは、予想もできない状態になっている。あの頃は、少し理想を描いて、民衆が力を合わせれば、社会を変革していけると信じることができた。今は、労働者がズタズタにされ、財界、国家のなすがままになっている、といった意見が次々と出され、熱心な討論になった。
最後に旭爪あかねさんから発言があった。なぜドンキホーテなのかという質問に答えて、革命をやってもしょうがないというような姿勢と反対に、無謀だけれど、こんなふうに生きたいと、ガムシャラに進む。その生き方が人を惹きつける。そこに作品に取り入れた理由があるということだった。続いて作者の作品にこめた思いが話された。書きたかったのは、人格を破壊されるような競争意識だったが、それはうまく表現できなかったかも知れない。『稲の旋律』では引きこもりの女性を描き、この作品では、そこから抜け出して来た女性を書いた。競争意識があるのだという事を認めることが出発点になるのではないか。そこがわかりやすく表現できなかったと、作品への思いが謙虚に語られた。
次回の予定を確認して閉会となり、近くの居酒屋で二次会。再び熱っぽい議論が続けられた。
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