(準備会)  『団塊の世代』は何者か

 暮れも押し詰まった十二月二十三日、民主文学会の事務所で開かれた「六〇年代から七〇年代初めに青春を体験した人たちの懇談会」に参加した。五十代、六十代初めの人たちを文学会にどう迎えていくかを目的に開かれた懇談会で、首都圏の十二人の会員が集まった。
 話のとっかかりとして新船海三郎氏から「『団塊の世代』は何者か」について報告があった。言葉「団塊の世代」は作家堺屋太一氏の命名で、一九四七年から四九年に生まれた約八百万人。この期間の人口増は「共通の経験と性格を持ち、社会経済に重大な影響を与える」と考え、鉱業用語の「団塊」という言葉で表現した。
 「二〇〇七年問題」──この団塊の世代がいっせいに「退職世代」を迎えるが、それがひとつの社会問題になっているように、いままでこの「人口の塊」が動くたびに「社会的衝撃が走った」。すし詰め学級(二部授業)、受験戦争、高度成長、バブル崩壊、戦後民主主義やマルクス主義との遭遇など経てきた事項を上げながら、新船氏が目下関心を持っている「一九六八年」について話を進めた。アメリカのベトナム反戦とヒッピーを始め、フランスはパリ革命、中国は文化大革命、チェコスロバキアは「プラハの春」、そしてソ連による弾圧。日本では「大学闘争」。
 それを受けて自己紹介をかねて全員が発言する体験交流に。二部からはアルコールが入る懇親会に移ったので、益々論議が熱を帯びてきた。共通項として一部の人を除き大方の人が「大学闘争」を経験していることだった。ただ「大学闘争」は、一部の作家を除き力のこもった文学作品が出てこないのは何故かという議論になった。戦争体験は、その年には作品として発表されているのに。
 今後もこの集まりを継続的に開いていくことを決めて散会となった。
(田村光雄)

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