「作者と読者の会」
六月二十八日(金)午後六時から七月号の作者と読者の会が、事務所参加とズーム参加併用で行われた。司会は乙部宗徳氏。参加者は十三人。
風見梢太郎「助け人」を横田昌則氏が報告。作中の曲を聞いてみた。いろんな意味が含まれた重いタイトル。「助け人」とは合唱の応援に行った「私」でもあり「乙骨」でもあるのではないか。「あの新聞だけは読まなくてはいけない、と思って努力していました」という乙骨の言葉がいい。飲食場面は人物に親近感を抱かせる効果がある。主人公の立場が冒頭ですぐ分かるため、人物に寄り添って物語の世界に入ることができたなどと報告しました。
参加者からは次のような意見が出た。職場に共産党の根を残す執念から書かれた。乙骨という人物に興味があり、乙骨を主人公にした小説を読みたい。高みから社会を見る貴重な立場から書かれている。社会の上層部で動く立場で書かれている。乙骨のような人物はあちこちで見つかる。共産党を正面から書くのが『民主文学』の特徴。何ができるかを一貫して追求しているのがいい。「身体を張って闘っておられる方々には、いつもコンプレックスのようなものがありまして」というセリフは乙骨の人物を想像させる。自分の人生と重ねて読めた。歌の場面はすんなり入れなかった。
作者は、もと職場に活動家がいなくなったことが書く動機、高校の後輩でセツルメントをやっていた人が最後まで残っていたなどと話された。
國府方健「浅男の煎餅」をたなかもとじ氏が報告。激動の昭和初期、少年が大人に脱皮する姿を描いている。偏見のない浅男を主人公にして人間としてのつながりを描こうとしたのではないか。母フデに煎餅をやろうと浅男が思う場面は感動的。内容の深い作品に仕上がっている。どぶ川に落ちた娘が時間経過からいって死んでしまうのではないかと思ったなどと報告した。
参加者からは次のような意見が出された。支部誌に掲載後、批評などを受けて書き直された作品。朝鮮地区の描写が丁寧で、目に浮かぶ。作者の体験ではないと思うが、浅男を主人公として描いていることによって力強さを感じる。十二歳の子供を主人公に書くのは難しい。生き生きと描けている。父親が浅男をほめるが「二度と行くな」と言うところにリアリティーを感じた。今もヘイトが問題になっているので、現在に通じる主題だ。
作者は、九十年前の父の実体験をもとに書いた、父のことを書き残しておきたいと思った、昨今の風潮に警鐘を鳴らすつもりもあったなどと話された。
(仙洞田一彦)
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