「作者と読者の会」 2022年02月号



                  「作者と読者の会」

二月二十五日(金)午後六時から、三月号の作者と読者の会が、ズームで行われた。参加者は十一人。司会は牛久保建男編集長。
 はじめに松木新氏が事前に参加者に送信されたレジュメに基いて、斎藤克己作「葦の沈黙」について報告した。現実に触発されて「数十年」前の物語が書かれたところに意義がある。人物像がていねいに描かれている。村上龍の「69 sixty nine」への批判であるなどと話された。
 討論では次のような発言があった。四十代では考えられない出来事で、時代の違いが分かる。K塾の森本先生の挨拶の引用が、どういう意味で引用したのか分かりにくい。作者の権力に対する怒りを感じた。小説の書き方として参考になる作品である。榊原に呼び出された哲夫は黙秘を貫くだけでなく、地方公務員法に抵触していると指摘し、うっちゃりして痛快。職員室の描写がいい。この世代は(成績、進学の競争を強いる)暴力にさらされそれと闘っている世代だが、この後の世代は暴力という認識がなく追い込まれている。今の子供はもっと苦しいのではないか。同世代として高校民青の話に親近感、熱狂の時代。
 作者からは、基本私小説で、ほとんどが体験したこと、事実などとのこと。また教育現場の多くのことが話された。

 次に工藤勢津子氏がレジュメに基いて木村緑夏作「おばあちゃんの五百円札」について報告。少女が、おばあちゃんや母親など周りの人達を真っ直ぐに見ており「少女らしい素直な筆致で、きめ細かく、しかもさりげない表現で」描き切っている。「胸あたたまる読後感が」ある。親戚関係など人物の関係が分かりにくいところがあるなどと話された。
 討論では次のような発言があった。初めの段落部分、終わりの三行はいらなかったのではないか。弱い者に寄り添う少女がよく描かれている。途中から子供言葉になり、幼くなってしまうという視点のぶれがある。五十九頁下段の「私は、おばあちゃんの底力に有頂天になった。自分も何かできそうな、そんな気分だった」というところが少女とおばあちゃん双方向のやりとりが良い。ヤングケアラーの問題という指摘があったが、この作品はそういう問題ではないし、時代も違う。五百円札を渡す場面が良い。
 作者からは創作の意図については介護問題を書こうとしたのではなくおばあちゃんと少女の関係を描いた、書き出しと終わりの三行は「民主文学」だからという意識が作用などと話された。
(仙洞田一彦)       

 
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