「作者と読者の会」 2021年08月号



                「作者と読者の会」

七月二十三日(金)午後六時より、オンライン十二名、事務所二名、計十四名が参加して開催された。笠原武「ダッピ先生」を大田努氏が、橋本かほる「瞳」を仙洞田一彦氏が報告。司会は牛久保建男氏。

 大田氏は、「ダッピ先生」について、終戦直前の国民学校の様子がリアルに描かれている、「ダッピ先生」の登場で体罰教師に対する批判が描かれ、後半の大きな場面転換が読みどころとなる、軍国主義下の雰囲気を風刺により痛快な物語として描いたと評価した。「ダッピ先生」が個性的に生き生きと描かれているのに対し、他教師の二人の描き方がやや類型的、後半の転換について、「ダッピ先生」が体罰教師へ日頃から抱いていた思いを晴らしたと読めなくもなく、「ダッピ先生」が真人たちになぜ共鳴したのかもっと書き込みが必要、という指摘もなされた。
討論では、目の前にいる子どもたちをかわいいと思っている教師のささやかな抵抗と思って読んだ、「今朝はおもしろかったなあ」という子どもたちのやりとりについて、「おもしろかった」という表現では問題の深みと広がりが表せないのではないか、等の発言があった。作者は、八十六歳で戦中の国民学校を経験しており、体験とフィクションを織り交ぜて創作した、軍国主義はひどかった、当時の教育現場のことを書きたかったと述べた。

 仙洞田氏は、「瞳」について、ムダがそぎ落とされ、テーマが絞られてわかりやすい点を一番に挙げた。特に、瞳が応急処置を受けたので痛みを感じなくなっているため母親の心配をする場面の心情描写、母が娘に指が戻らないという残酷な事実を伝える場面などの緊迫感等は、事実の描写だけで筆を進めており、冴子が思ったことなどを挿入しないで読者の想像に委ねていることにより生まれていると評価された。また、終わりは全て書いてしまわず余韻を残すのも重要ではないかという指摘がなされた。
討論では、冴子が学校で訴える最後の場面の要否について意見が集中。賛否両論が多数出た。これについてはこの小説がいつの時代を想定して書かれているかが曖昧なため、現在のこととして読んだ読者がリアリテイを疑い評価が分かれているのではないかという指摘があった。作者は、二〇一〇年から十年間もの長きにわたりこのテーマで作品を書いてきており、子ども自身が持っている力と障害との向き合い方を教えられ、それを伝えたいと思ったと述べた。
                                (竹浪恊子)

 
「作者と読者の会」に戻る