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作者と読者の会
六月二十八日(金)、倉園沙樹子「絹子の行方」(七月号)と最上裕「オルモックの石」(同)をテーマに、牛久保建男氏の司会で「作者と読者の会」を行った。参加は八人と少なかったが、それぞれ作者も参加され、内容のある会となった。
「絹子の行方」について宮本阿伎さんが報告。宮本さんは、介護サービスを受けて快適な一人暮らしをしていた絹子が、機能改善を理由に受けてきたサービスがすべて中止になり、これまでの日常が崩れていくことから物語が始まると紹介。息子夫婦との生活、さらに施設に入るなかで認知症の症状が次第に深まっていく姿が描かれていると、作品の内容にそくして詳しく語った。認知症の当事者を主人公にし、病状がすすんでゆく過程を描く新しい手法と文学の言葉が印象的な作品と評価した。絹子が空腹を覚えて夜中にゆで卵をつくろうとする場面は優れていると語った。
出席者からは「絹子がだんだんと認知症になっていく様子がすごい」「自分の母親のことを思い出して、つらい」「仕事柄認知症の人と関わっている立場から言うと、少し違和感がある」などの意見がだされた。
奈良県からやってきた作者の倉園さんは、「直接的には、身近な人が介護ベッドを引き上げられそうになった事件があった。調べてみたら二十万人の人が車椅子、介護ベッドを取り上げられていた。日本の福祉政策の遅れをつく作品が書きたいと思った。介護保険や介護現場の事を書いた本を読み調べては書き、読んでは書き直すということを繰り返した。絹子が紡績工場で働いていたことにするため、倉敷や名古屋の資料館などに行って調べた。『絹子の行方』としたのは、作品で絹子の入る施設が終の棲家にならないかも知れないというニュアンスをこめた」と話した。
「オルモックの石」の報告をしたたなかもとじさんはこの作品の主題について、平和運動に熱心な作者が戦死した家族の事実を探求することは、反戦平和が主題のように受け取られがちだが、父母への愛をうたった作品だと思うとのべた。そして、この主題を念頭において七十二年前の戦争を過去の出来事として描くのではなく、現在の問題として描出しようとした視点は大切なことだと思うと語った。参加者からは「父の思いを掘り下げたいという主題は胸におちた」「石を拾うことにこだわるのでなく、戦争への道を繰り返さないという結論は大事」「防衛研究所にいったりして厳密に調べているところがすごい。フィリピンを舞台にした小説であれば、加害の視点への目配りがどこかにほしかった」という意見がだされた。
作者の最上さんは「小さい頃から伯父がフィリピンで戦死したと聞かされていた。仏間には伯父の写真が飾られていたが、深く考えないで生きてきた。ふと伯父はどんな形で戦争に行って死んだのか知りたくなり戸籍などを取り寄せ、うちの家族が戦争に翻弄されたんだなと感じた。フィリピンへの慰霊巡拝に参加して書いたが、旅行記みたいに最初はなって、吉開那津子さんの『波濤の彼方』などを読み直して小説らしくした」と語った。
(牛久保建男)
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