「作者と読者の会」 2017年1,2月号 



 柴垣文子「滾々と泉は」について、井上文夫氏は、──主人公志乃は、夫真二の死後、深い喪失感におそわれたが、夫の「書き続けろよ」がいつも胸にあった。そんな時、場面緘黙症の山下悠子と出会い、滾々と湧く泉を感知し、書こうと決意を表わす作品──と、報告。「志乃が夫の死を乗り越え、自分の生き方で、夫の意志をつないでいこうとしている」「文章が短く余韻がある」「お互いに助け合って生きてきた夫と妻の愛の物語」などの参加者の感想。
 柴垣文子さんは、夫が逝って一年。書いたら悲惨なものになりそうで、夫の叱咤が聞こえるようだった。山下悠子との交友に泉があると思った。愛する者たちについて語るのはその生が無駄ではなかったことを証言すること、それを語るのではなくて小説に書くことだと、ロラン・バルトは言っているとも話された。
 橘あおい「ミシンを踏む音」については、最上裕氏が報告した。「ソロバン塾や駄菓子屋が出て来て、登場人物がすっと立ち上がってくる」「貧しさを軽蔑し、自分より貧しい子がいると優越感に浸る。子どもだけのことではないが」「子どもの世界は残酷だ。そこがうまく描かれている」などの意見、感想が話された。
 橘あおいさんは、母は、いつもミシンを踏んで仕事をし、子どもの頃、他家へ預けられていた恨みつらみを語っていた。両親と弟と一家四人のくらしは、おだやかで楽しかった。フィクションも交えていると語った。
 吉開那津子「或る作家の肖像」について、岩渕剛氏は、主人公のわたし・玉井が出会った一人の作家とその家族との関係をめぐる作品として報告。四十年位前、わたしの住んでいる地域に、作家の大林司郎一家が引越して来たと共産党の活動をしている女性から聞いた。玉井の作品のファンだそうなので、会ってほしいと。大林はかつて、「アカハタの短編小説に応募して、選外佳作」になったこともあった。人づき合いの苦手なわたしがぐずぐずしている間にも、大林の妻は相談ごとに訪ねて来たりしていた。
 大林は、一九八四年に亡くなったが、わたしは、一度会ったきりだった。二〇一六年七月、大林の娘によって作品集が編まれ送られてきた。「永石雪男」の筆名ですぐれた作品がもられていた。人間的な生き方と、人間の尊厳を守る闘いの両面を書き込んだ作品で、わたしは胸を打たれ、記憶されていい作家と作品であると思ったと紹介された「報告」の後、「まわりの人たちの姿を描きながら、大林の存在がせまってくる」「作家は作品で自分を語る、作者はこれを言いたかったのではないか」「題材は決して古くない。いまも存在している」などの感想が出された。
 吉開那津子さんは、大事なことは、作品を書くこと、広く作品を読み注目する力をもつこと、語り合うことの大切さを痛感したと語られた。司会は、宮本阿伎さん。参加者は十三人。
     
  (柏木和子) 
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