「作者と読者の会」 2016年9、10月号 


 
  九月三十日(金)午後六時より、文学会事務所で開催。池戸豊次「鹿を殺す」を鶴岡征雄氏が、瀬峰静弥「ゆうたのこと」を原健一氏が報告。司会は牛久保建男氏。参加者十六名(遠来の両作家を含む)。うちスカイプ参加一名。
 「鹿を殺す」について鶴岡氏は、この作品は、奥美濃の高齢者や葬式の多い村の暮らしを俯瞰し、死は悲しみでもなく、怒りでもなくただありのままなのだという死生観を描いている。人間と動物の死生のイメージがリアルで、風土の匂いがして作者の特質が強くでた作品であると報告した。討論では、人間の生と死を描いている。直治とキシは生を代表し、世代が交代しても変わらない姿を描いた。タイトルの「殺す」という言葉に違和感を覚えた。作品のテーマにも合わないのではとの意見があった。作者からは、長寿の村だが、まとまって亡くなる時もある。死の意味を考えながら小説を書く。前作の「聖二月」との違いは、自分を認識するため村の外の人間であるキシを入れたとの言葉があった。
 「ゆうたのこと」について、原氏は静かに心に滲みる作品であると評価し、仲間と煙草を吸っている中学生のゆうたから凄まれても会話を続けて交友関係を築くのは、一般的には考えられず、文学的な人間関係と言える。貧しさからくる壊れやすいものに対する優しさ悲しみに向き合う作者の持続する意思を見ると報告した。討論では、現代の若者の貧困、育成過程からの貧困の連鎖を描いている。ゆうたと僕の交友関係に救われる思いがする。中卒で働く辛さを書いているが、貧困の描き方がパターン化しているように感じる。小説では個々の貧困を描き切るべきだとの意見があった。作者からは、仕事で関わった少年たちを、ゆうたにまとめ表現した。職場の現実から離れて、楽しみながら書いたとの言葉があった。
 (最上 裕) 
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