「作者と読者の会」 2016年4月号 


 
 三月二十五日(金)は最上裕作「青い作業着」杉山まさし作「石塊の骨」を取り上げて行われた。二作者を含め、参加者は十一人。司会は牛久保建男氏。
 「青い作業着」は工藤勢津子氏が作品の構成上の問題として半分以上が回想場面で、その回想に入り込む思考の流れが十分に練れていないこと、主人公・智子の生き方を描写するために、彼女の悩みや葛藤・逡巡が十分に引き出されていないために読者への説得力に欠けることが述べられた。作品が陰影に乏しく、物語が始まったばかりという感覚がぬぐえなかったとの指摘があった。また参加者からは主人公の女性ならではの悩みや葛藤が描かれておらず、職場の差別や偏見と闘う思いは伝わるが、将来の夫の孝生の革命的な信条をどう受け止めて決意したのかが描かれていないのは物足りないという意見が出された。頑張っている党の活動の姿が見えてこないことも残念だという声もあった。「青い作業着」という表題に合わせて、次々と辞めていく女性の同僚たちとどうつながりながら、会社で働き続けることに生きがいを見出したのかを書くことはかなり難しいと出された。弱い立場の労働者が「後悔はしていない。この道しかなかった」と語る姿を描きたいという作者の思いは現代の労働者の職場を描く上で、大切な意味を持っていると確認された。
 「石塊の骨」は風見梢太郎氏が戦争を知らない世代の主人公が父から聞いた戦争の実相や庶民の苦難に迫ろうとする意欲的な作品であるし、遺骨や遺体のない死を受け入れることのできない祖母の思いが随所に溢れ、よく伝わってくると報告された。父からの伝言で構成されている間接的な記述のもどかしさや、祖母と母親とが交錯した場面もあり、漠とした書き方もあるが、読者の想像で味わい深い作品になっていると述べていた。
 参加者からは情景描写が緻密で祖母と祖父の骨壺の違いから主人公が思いを馳せるところなどは共感できた。戦争責任を負うべき昭和天皇に対する祖母の憤りの表現については、適切であったのかという指摘もあったが、それほどまでに息子と夫を失った祖母の悲しみが尋常ではなかったし、当時でさえ、庶民のなかにはいろいろな思いを持つ人がいたのではないか、それが戦争の真の姿であると作者から話された。
 
  (北嶋節子) 
「作者と読者の会」に戻る