「作者と読者の会」 2015年11月号 


 
 十月三十日(金)午後六時から文学会事務所で、木曽ひかる「最終章」と旭爪あかね「シンパシー」を取り上げて開催されました。司会は宮本阿伎氏。参加者は十六人(スカイプで二人)でした。
 はじめに「最終章」について鶴岡征雄さんが報告しました。主人公の茂男は七十五歳で元暴力団員、結婚歴なし、無年金者、現在は寺に住み込んで住職の手伝いをたんたんとしている日々です。主人公は自分の過去の人生を回想の形で述べます。
 鶴岡さんは作品の弱点を簡潔に述べました。①回想による人生の形象表現にいつ、どこで、だれがの記述がないこと。②「社会復帰に」門を閉ざす社会を批判的に描くことの意味の追求の弱さ。③作者の創作意図はどこにあるのか。社会の底辺の人への愛の手なのか、民主主義文学としての意味はどこにあるのかなど。評価する点としては女性作家が描いている男性だが違和感はなかった。多くの題材を自由闊達に描いていることが作品の魅力になっていると述べました。
 討議では「説明が多すぎて主人公のイメージがあまり浮かび上がってこない」「人は過ちを犯すが、やり直すことができるという人間讃歌の作品になっている」「過去の暴力団の世界と現在の人間と人間のまっとうな関係のある世界を対比的にきちんと描いている」「創作意図やテーマが不明確である」「ひとつひとつの題材をもっと深く追求して描いて欲しかった」といった意見が出されました。作者からは、社会の底辺に生きる人たちに寄り添って描きたいという強い動機があったと述べられました。
 「シンパシー」は乙部宗徳さんが報告しました。作品の軸は二つあって主人公・井上ちづるの「過去」と「今」の思いを描く、想像力をどう生み出すかという点であるとの指摘でした。
 主人公は作者とほぼ等身大だが主人公を十分に客観化して、その悩みを多くの若い人たちと共有できるものとして普遍化に成功しているかに疑問がある、また、モデル小説は慎重であるべきと報告しました。
 討議では「主人公と作者が等身大で作者の生きることの困難さ悩みが切実にリアルに描かれていて感動的な作品である。主人公の悩みは多くの若い人たちと共有できる普遍化にも成功している。テーマがはっきりしていて私小説の枠を出ている」「文章が緻密で切迫感があり、読者を引き込む魅力がある。自分という人間を変えたいという切実な思いが伝わってくる力作である」「主人公が作者とほぼ等身大に描かれていて、それによって主人公が客観化されているかどうかで微妙に評価が違ってくる作品である」「あまりにも作者の苦悩が切実に描かれていて逆に息苦しい読後感を持った。いつも前向きに思考ばかりすると却ってつらくなる。後退することも人生の大切な選択の一つ」などが出された。作者からは、「自分の現在の苦悩をありのままに描いた。登場人物のモデルには配慮しすぎてみんなリスペクトして聖人君子みたいに描いてしまった」と述べられました。
 濃密な討議の時間であっという間に終了の時間になりました。
        
       (島崎嗣生)
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