「作者と読者の会」 2013年3月号 


 
 二月二十二日午後六時より文学会事務所で、十名の参加で行われた。乙部宗徳氏の司会により、たなかもとじ「少年」を真木和泉氏が、橘あおい「スタートライン」を源内純子氏がそれぞれ報告した。
 「少年」について真木氏は、大震災の津波で息子を奪われた主人公が、その現実と向き合い受容する過程を描き、人が起ち上がろうとするのを表した意欲作である。「私」は息子を失った悲嘆の中で遺体を判別できなかった自分に苦しむ、二重の苦悩を背負う設定が秀逸で、物語を複雑で味わい深くしている。随所に作者ならではの筆力が垣間見える。が、少年が登場する場面は文章に力がない。息子については美化しすぎでは、などと報告した。
 討論では、少年は主人公の心象風景であり少年にではなく自身に語っている、少年は様々な捉え方、想像ができ、描写に臨場感がある、美談の危うさも感じる、美化しすぎだが被災者を励ます役割もある、綿密に取材し無駄のない綺麗な文章、少年の存在は曖昧なままでもいいのではという意見が出された。
 作者のたなか氏は、復興は死をきちんと見つめる所から未来が見えてくるのではないか、生と死を自身に問いたかった、初めて取材によって創作し貴重な経験だったと述べた。
 「スタートライン」について源内氏は、市場原理に圧迫される医療の現実に苦しみ、看護教員として再出発した祐子が教育に希望を見出す姿が描かれている。祐子を通して作者の不安、怒りが行間から溢れ、主張が現れた作品に新鮮さを感じた。看護学生まりえの成長が描かれるが、癌患者の倉田の悲痛な思いはまりえに届かず、余命宣告を受けた倉田の心情や診療のフォローが描かれていない等、看護師経験のある氏ならではの指摘がされた。
 討論では、テーマがわからない、祐子と作者が一体化しており祐子の人物像が立ち上がらない、まりえの実習を通し看護医療の問題に認識を深められた、冒頭と稲が根付くラストが良い、人物配置等破綻なく読めた、作者の真摯な創作態度の反映、専門用語が気にならず無理なく読めたとの意見が出された。
 作者の橘氏は、自身の体験そのままで祐子の行動として描けなかった、盛り込みすぎた、閉校の問題を書くつもりがうやむやになり整理しきれていないと述べた。
  
(三原和枝) 
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