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十月二十五日(金)午後六時より、文学会事務所で開催。田村光雄「加代の青春」を旭爪あかね氏が、最上裕「陸橋に降る雨」を岩渕剛氏が報告。司会は乙部宗徳氏。参加者十名。
「加代の青春」について旭爪氏は人生はこのようなことも起こりうるという希望を表した作品であり、二人を通しての人間讃歌の作品である、また、加代の人物像が良く描かれている、と評した。その上で、どうしたら秋田に一緒に行けるかを相談すればよかったのではないか。部屋がドアではなくとなっており、部屋の構造がわかりにくい、等報告した。
討論では、全体的に温かみのあるいい作品である、ユーモラスな表現が随所に見られ、二人の会話が穏やかである。人間は、どんな人でも輝くことができる、と思った。登場人物の人物像が浮かんでくるのがいい、等の感想があった。作者は、民主文学は恋愛ものが少ないので、恋愛を書きたい、と思った。老人ホームのある男女をモデルにヒントを得て、作品を書いた、と語った。
「陸橋に降る雨」で岩渕氏は、今回の作品はリストラする管理職の側にスポットを当て、主人公宮永の心の動きを描いた作者のチャレンジした作品である、と思う。宮永と田尾の接点もありうるのではないか。人が人である、という根本的なところでは信頼したい、ということがあるのではないか。しかし、会社側弁護士吉良のアドバイスを受け、彼の冷酷な言葉に主人公の心の揺れもあったのではないか。その上で、次男宏冶を死なせるのはかわいそう。怪我でよかったのではないか。この作品は四月号の「陸橋を渡る足音」の作品と似ているけど違う。シチュエーションが似ているし、同じ人物でもよかったのではないか。また、会社ではリストラ、地域では剣道教室、と二つの顔を持つと言って割り切れるものなのか、と報告した。
討論では、全体的にこの作品は力作である。構成、心理描写、比の点でうまい。宮永という主人公がリアリティーをもってよく描かれている。ただ、最後は書き急いでいる感じがした。なぜ宮永は辞表を出したのか、次男宏冶を失くしたことで、どんな藤をしたのか、その辺の宮永の藤を読みたかった、等の意見が出された。作者は、四月号の作品合評会で、「リストラする側の人間はどうなんだろう」と言う意見があったので書いた。自分の身近な人をモデルに、その人の心の内を覗いて見たい、と思って書いた。四月号の登場人物と名前を変えたのは、次男の死など、ストーリーが違ったから。「切る」側で徹底して書いた、と語った。
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