「作者と読者の会」 2012年7月号 


 
  六月二十九日(金)午後六時半から、文学会事務所で九名の参加で開催。七月号の高橋英男「闇の口」を澤田章子氏が報告、最上裕「夏の終わりに」を山形暁子氏が報告。司会は仙洞田一彦氏。
 澤田氏は「闇の口」について、今日、三・一一と原発問題に文学として迫ることは『民主文学』として大きな、しかも待たれていた課題であり、それに応える作品として、意義深い仕事と位置付け、その観点から、①「闇の口」のテーマ、②作品の構成、③感想、④問題提起と、詳しいレジュメを用意して報告した。作者の問題意識と取り組みの真剣さを高く評価しつつ、房子と洋一との結婚の経過は、作品のテーマとのかかわりで効果的であったか、電力会社に関する叙述は説得力や事実関係の根拠が求められると問題提起した。
 討論では、房子の人間としての気高さが感じられるという指摘とともに、何を訴えようとしたのかがわかりにくいこと、推定で描くことの弱さなどの意見が出された。
 高橋氏は、田村市、三春町に取材して、夫の仕事については事務労働者の視点からも構想したこと、放射線については研究者からも話を聞いて、家族が抱える思いを描こうとしたと述べた。
 最上裕「夏の終わりに」について、山形氏は、電機企業の最先端プロジェクトに身をおく主人公が、突然、保育士の妻が脳梗塞で倒れてしまう事態を前にして、自分がいかに家庭や家族を二の次にしてきたかを省みるもので、社会的視野のもとで家族の問題をとらえた意欲的な作品と評価。が、彼がかかえる職場の問題には、それだけで一篇の小説が生まれるほどの重い内容が含まれており、テーマがやや分離気味になっていはしないか。また、妻がなぜ倒れてしまったのかが気にかかる。保育所での労働とも合わせて追求してほしかった、と述べた。
 討論では、主人公が協力社員の青年のリストラに手を貸さざるを得ない状況、職場の複雑な人間関係などをめぐる「テーマの分離」については、賛否両論があった。
 最上氏からは、十年前の個人的体験がもとになっていること、一番大切な家族を守りきれない社会になっていることを描きたかったと語られた。
 家庭が社会の動きと無関係にはありえないことを考えさせる二作品でした。
      
 (玉造 修) 
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