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五月二十五日(金)午後六時半から、文学会事務所で「作者と読者の会」が開かれた。作品は、青木資二「若葉の繁る頃」、林田遼子「終焉」。司会は風見梢太郎氏。
「若葉の繁る頃」は亀岡聰氏が報告。経験の浅い女性教員、橘美樹を主人公に、クラスで心を閉ざす愛実や当初信頼を寄せ、好意を抱いた同僚の草壁、組合員でベテランの浅香などの教育実践を通して機械的に持ち込まれた人事考課、管理が何をもたらしているのかに迫った作品である。展開に無理が無く、すんなり読め、登場人物も人間の中にある善、悪両面から描かれ作品に臨場感、リアリテイを確保している。課題として校長や草壁も制度の犠牲者として描かれるが、そこに切り込めばもっと深い作品として仕上がったのではないか、と述べた。
参加者からは、教育現場の凄まじい現実が描かれている、「人事考課」にポイントを絞って描いているので分りやすい。作品の最初から父親の「組合に近づくな」との台詞で作者から読者に誘導させる描写はどうか、言葉で説明する終章にはもうひと工夫が欲しいなど創作課題についても意見が出された。
作者は、民主文学の創作専科で学んだ事がこうして実を結んだ。執筆動機は、一九九〇年代後半から導入された「構造改革」による人事考課制度の教育現場での問題を問いかけたかった、と述べた。
「終焉」は、旭爪あかね氏が、二〇〇六年四月本誌に掲載された「いもうと」との関連も含めて、作品を流れに沿って丁寧に報告した。「統合失調症」という家族にも隠す病気で最期を迎える重い小説かと読み始めたが、葬儀、遺骨の処理をめぐって、随所にユーモア、ペーソスがある。貧しく不器用に生きた兄へのやさしさが感じられる。「終焉」は妹清子の終焉だがそこには兄と妹の和解が描かれ、ある種の人間讃歌と読んだ。
討論では、随所に優れた描写があり、文章、構成ともに優れた作品に仕上がっている。作者の妹を思う気持、人間として最期まで尊重されるべきだという、人間を見る優しさが最初から最後まで貫かれている。「いもうと」以降、創価学会(員)への描写がより人間的に、そこには「人間のなかにある普遍性」を見る眼から描かれているとの意見があった。
作者からは、自分は葬儀の場でも泣かないで「冷静な観察者だったから、あの場が描けたのか」と思った。「いもうと」を描いて、すぐに何回も書きかけたがそのときは自分の中で上手く昇華できなかった。その頃には誌上に亡くなった者を扱う作品が並んだ、ということもあった。「終焉」を書き終え、ひとつの区切りとして作品集を準備していると結んだ。
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