「作者と読者の会」 2012年4月号 


 
 三月三十日(金)午後六時半から文学会事務所で、作者と読者の会が乙部宗徳さんの司会で行われた。四月号の二作品を取り上げた。
 初めに田島一さんが「雪が来る前に」(能島龍三)を報告した。3・11から一年、その後の状況に真摯に向き合った作品を『民主文学』は生み出してきた。この作品は民主文学ならではの世界を描いている。ひきこもりの隆宏を主人公に据えて自分探しの苦悩を描写し、3・11以降をどう生きて行けばよいかというむずかしいテーマに挑戦している。隆宏がすくわれるような気がしたところで作品が閉じられているが、それで良い。現代社会はつまずいた人間を受け入れる状況にない。こういう層を抹殺している社会だ。あえて隆宏のような人物を据えて個人と社会の深層を探り、読者に問いかけている、などと報告があった。
 討論では次のような意見が出た。隆宏と由佳里の葛藤が描かれたら良かった。今書かなければならないことへの目配りが効いている。必要だと思ってくれる人がいることが、隆宏がまたボランティアに行くきっかけとなっている、いい作品だと思った。隆宏のつまずきは働かされ方が異常なのが原因だ、死ぬほど働かされた若者が変わって行くと読み、そこに感動した。
 「今日の日は――。」(工藤威)は岩渕剛さんが報告した。主人公剛三を集会参加に向かわせたのは、3・11の被災地を目の当たりしたことだった。三十数年前、剛三たちが中心になって団地でロッキード事件をうやむやにさせないぞと集会を持った経験がある。その後、いつの間にか流されてしまっていた。剛三は集会の場に立ちながら「いったいこれまで俺は何をしてきていたんだ」と自分に問いかける。自分は何もしてこなかったと言っているばかりでは世の中は変わらない。しかし、この剛三のように参加すれば変わる。これがポイント――などと、報告があった。
 討論の中では次のような意見が出た。日本の海岸線が原発で埋められていることに気付いた、いまから、どうすればよいかと考えさせられながら読んだ。簡単に忘れてはならないということを書きたかったのではないか。ロッキード事件の時に変わらなかった問題、3・11が起きなくても日本の社会はおかしいという問題がある。
 終わりに作者の工藤さんから、書くときにいかに作らないかと工夫しながら書く、今あることを書く、みんなが書けば反原発の運動のうねりになるのではないか、などと発言があった。なお、能島さんは秋田の連絡懇談会へ出張のため欠席。出席者は十二名。
 
(仙洞田一彦) 
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