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八月二十六日(金)午後六時三十分から、九月号の「瓦礫インコ」(野里征彦氏)、「母と子と」(田村光雄氏)の二作品について話し合った。作者は両氏ともに出席。野里氏は大船渡市からの出席。司会の旭爪あかね氏と「母と子と」の報告者稲葉喜久子氏は体調不良のため欠席し、急きょ、司会は風見梢太郎氏が行った。「母と子と」については稲葉氏より、報告が文書で寄せられた。
「瓦礫インコ」は岩渕剛氏が報告者。地震、津波がどのように人間を傷つけて、その人物がどのように立ち直るか。生活を戻そうとしている、その支えとしてインコがいる。すべてを無くした人に、どんな風につながっていったらよいかを考えさせられる。がんばろうという言葉が果たして、力になるのだろうか――などと報告された。
インコがいい役割をしている。マスコミで流されている「がんばれ」の合唱への批評になっている。インコの「がんばれ」は、無私であることが主人公を動かしたのではないか。浅次郎と忠蔵の人間関係がよく描かれている。方言が生きているなどの意見が出た。
作者からは、大きい災害に遭遇した場合、その時は悲しいとか、つらいといった感情が湧かないが、時を経るに従って徐々に感情が戻ってくるし、重みが増してくる、それが自殺などにつながるといった発言があった。また、ボランティアには感謝するし、励まされるとのことだった。
「母と子と」は、稲葉氏の文書を乙部編集長が読んで報告した。「私は、この作品を男性が書いたこと、それも女性である静子の心理が丁寧に描かれていることに注目した」「最初、中学生の家庭内暴力かと思った(主要人物の年齢などを示す方法に工夫が必要)」「事のなりゆきは分かるが、静子、克治の様子がいまひとつはっきりしない」などの報告があった。
論議は、克治ときっぱり絶縁するという結末で良いのかというところに集中した。今日的な難しいテーマに挑戦しているが、人間のあり方、あるいは日本社会の現実を視野に入れた解決の方向、静子ばかりでなく克治もどう生きればよいかの提示が必要ではないだろうかなどと論議された。
作者からは、薬物などの解決によらず、自分自身の中にある力で解決に立ち向かう姿を描きたかったと発言があった。
激しい雨があったこともあってか、参加者は十一人だった。
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