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一月二十八日の「作者と読者の会」には、作者を含め十六名参加。澤田章子氏が司会し、稲沢潤子「斜面抄」(一月号)について小林昭氏が「いまは亡い弟へのレクイエムとして読んだ。感性でよく計算されている小説の構成だ。新幹線で通過するとき落ち着かなくなるが、理由は留保しておいて障害者施設の旅行の話になる。斜面に置いた車椅子の、はじめは観念の中での落下、つぎには現実としての自走。何事もなくて安堵したところに、弟の永遠の不在が来る。人間の想像力は対象が不在であるときに生き生きと働くものだ。読者は落ち着かない理由を納得するとともに、その想像力を受けとる」と報告。参加者から「人間の心理を描いて、うまいなあと感じた」「『私』が死に向かっていく気持ちに共感できない」「斜面の認識を私が持たないのは、リアリティに疑問」「葬式の準備をする親の描写は不自然」「一見楽天的な吉富の母と『私』との対比と思いやりに共感」など活発な討論となった。作者は「これまでのようにできごとではなく、できごとと人の心をどれだけ掘れるかを課題にしたかった。右遠俊郎『錦が浦でのこと』が頭にあった。小説はいろいろに読めるからレクイエムといわれても異議は唱えないが、意図はレクイエムとは全く逆だ」と述べた。
吉開那津子 「晩禱」(二月号)について、報告予定の平瀬誠一氏が体調不良で退席され、フリートーキングとなった。「アルコール依存もうつ病も、原因は社会病理だが、精神病の範疇」「アルコール依存が良く描けている。男は仕事をたてに家族の気持ちを考えない。生活者として自立していない。『すごいな』と思わせる描写が随所にある」「感動した。この作品を読むように人にすすめている」「梅林での若い父親と双児の描写に救いを感じた」「『意思なんて強くなくたっていいんだよ』という和彦のことばは意味が深い。今までの日本人の生き方に対する反省だ」「頑張れば幸せになれると教育されたが、本当にそうなったか」「人生って色んなことがあるなあ。大変な時代なんだな」「こういう小説の終わり方があるのか、と感心した」「最初の場面で、そこに自分がいる気分になった。これは筆の力だ」などの意見が出た。作者は、「妻に死なれても息子が病気になっても人間は自分の人生を生きていかなくてはならない、ということを描きたかった」と語った。
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