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九月三十日の「作者と読者の会」には、司会の乙部宗徳氏、作者を含め十六名が参加。茂木文子「袢纏」(十月号)を、鶴岡征雄氏が報告。作者の経歴について、「芋の芽」で「民主文学」今月の推せん作(一九六八年三月号)として登場し、本作は、十一年ぶりの登場。作品のモデルについて紹介の後、作品の時代は、戦前から二〇〇〇年頃までだが、作中、主人公・史子に対する批評に「洋裁をしているせいか、衿や袖や身頃をばらばらに作っていたと思ったら、くっつけてしまうのがうまいね」(二十頁)とあるが、「袢纏」でも、人間の生老病死の無情さ、人生のかなしさといとしさをテーマに、幼い小百合が母親の春が「アカハタ」の「配布」から帰るのをけなげに待っていること、片方の目の悪い春が、労働者たちへの気兼ねで銭湯へは夜になってから行くことなど出色の描写を交え、文学を人生の柱に据えて生きている無名の人々の息遣い、日本共産党員としてのジレンマなどが、時間の処理を、絵画的に、作者の随意にコラージュとして描くように展開されていると報告。参加者からは、「八十代半ば(八十六歳)の作者の達者な作品に、先ず驚く。小説としてモデルを知らない読者にどう伝わるか」「巧みに笑いが織り込まれていて、親しみやすい」「多喜二の作中人物・石崎の思いが心に残る。ただ、読了して、希望が持てない。さびし過ぎる」「エピソードが響きあっている。良い作品に出合えて嬉しい」などの意見があった。作者は「モデルの家族に読んでもらい、涙が出たと言われた」と語った。
山岡冨美「父の背中」を宮本阿伎氏が報告。「本誌初登場」と編集後記にあるが、『地しばりの伝言』(二〇〇八年に光陽出版社から刊行)などの著書があると、経歴を紹介。父親が意識不明の重態に陥った知らせに、東京から盛岡の病院に駆けつける主人公の胸のうちに去来する、車中での父への追憶とわが人生の歩みを描いた小説で、志賀直哉に「網走まで」があるが、「盛岡まで」というタイトルを思い浮かべた。父から聞いた沢内村の昔の赤ん坊とお年寄りの悲話。共産党員として活動することが一番の親孝行であり、親・子・孫に誇れる生きがいだという考え方。父親が娘に洗濯物を持ってゆくとき、パジャマのポケットに紙幣をそれとなく忍ばせていた逸話などに、感銘を受けた。女性議員とはこういうものかと関心を覚まされ、自身の思い出や生き方を見直させてくれた。小説の終りのところで全体的な感動が胸に押し寄せて来ない残念さは、父のいる部屋の扉の前で小説が閉じられてしまうなどの中途半端さに現れている。主題の把握の弱さと関係していると報告。参加者から、「面白かった。読ませる舞台設定である。ユニークで愛すべき父親像だ。共産党をもう少し書きこんでほしかった」「タイトルは、このままで良い。感動を持って読んだ」「嫌いと言いながら、作者は父に愛情を持って書き、救っている。ただ、『今度はおんぶしてあげる』は、少し歯がゆかった」などの意見があり、作者は、「終わり方は、言葉が一つ足らなかった。『手術中』とすればよかった」などと語った。
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