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五月二十八日の「作者と読者の会」には、作者を含めて十二人が参加。司会は乙部宗徳氏。
風見梢太郎「神の与え給いし時間」について平瀬誠一氏は、「最近定年になった俊郎は、元医師の義父が認知症で入所している施設に泊まり込んでの介護の日々。義父は時折幻覚に苦しむが、俊郎の行き届いた介護に、美しい心の行き交いが生まれ、それは何ものにもかえがたいものとして伝わってくる。だが、タイトルの『神の与え給いし時間』については、多少疑問が残る」と報告した。
参加者の感想と意見。「小春日和のような小説。至福のときを『神の与え給いし時間』としたのではないか」「亡母の介護の反省が、義父への介護となったのか」「羨ましい財産家の老後だ」「社会批判がない」「巷の高齢者の苦悩をどうとらえているのか」「何を言いたかったのかわからない」など。風見氏は、「母は、鬱、被害妄想で可哀相だった。人生の最後がこんなんでいいのか、という想いがこの作品の底にある。ヨーロッパでは、この程度の施設は当たり前としたところは、日本社会への批判として書いた。ひとには各々惹かれる人がいる。私が惹かれたのは義父だったので書いた。関心のあることを書いていく」。
工藤勢津子「冬隣り」について、宮本阿伎さんは、「定年過ぎまで働き続けてきた主人公伊都子は、十五年間、家事を母房代に任せてきたが、いまは母の負担が増え、体力が付いて行けなくなっている。どうしたら、母と上手に生きていけるか、がテーマ。老親を書いた作品は他にいくつもあるが、母と娘は少ない。スポーツクラブのノブさん、隣家の人々が作品にメリハリをつけているが、もっと彼らを活躍させると、一層面白くなると思った」と報告。
参加者の感想と意見。「リアルな作品である。頭で書いてはいけないと痛感した。独身の伊都子が孫を連れたノブさんをみて、羨望はなかったのか、己のなかで闘いがあったのではないか」「丹念に書き込まれているが、伊都子の葛藤の行方がわかりにくい」「母親にとって一番の気がかりは、娘が独身を通していることだと思う。そのことに全く触れていないのは不自然だ」「社会問題にぶつかっていない」「伊都子のおもいを書き過ぎている。読者に想像させることも大事」など。
工藤さんは、「定年後、非常勤で働いていた時期に書いた。以前、ドイツで訪ねた施設の人たちの幸せそうな様子から、個人差のある老後は、前段の手だてが大事と思った。いまのくらしが大事。何も解決していないが、くらしながら考えていこうとしており、明日、あさってのことはみえてきたというところ」と、語った。 |
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