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2005年2月
年頭の「作者と読者の会」は一月二十八日文学会会議室で開かれた。参加者は十四名、岩渕剛氏の司会で、稲葉喜久子「ユア・ファミリー」と坂井実三「理由」の二作品について行った。
まず「ユア・ファミリー」が澤田章子氏の報告で始まった。澤田氏は「この作家は一九四五年三月十日の東京大空襲に拘って書き続けている。いわば稲葉ワールドと指摘。新しい構成と設定で、下町を象徴する風呂屋を舞台にマツ、良平、圭子という三代の話にしている。大空襲は多く書かれてきたが六十年経ったいまも苦痛と悔恨に苛まれ続けている家族の姿がリアルに描かれた。孫娘圭子の登場が成功の一因、今後もこの事実は風化させてはならない」と述べた。空襲時避難途中、跳び出してきた馬に驚き繋いでいた弟の手を離したことで弟を亡くしたマツの悲しみが最も深い。独楽にまつわる話は未消化だし、ユニークな人材、福代をもっと工夫して生かせたらよかった、などの発言があった。
「理由」の主題はリストラだが、これまで『民主文学』にこのテーマの作品は掲載されなかったと能島龍三氏が報告を始めた。稲葉氏は「支部誌・同人誌にはこのテーマの作品が書かれている」と発言。大阪に本社がある中堅機械装置メーカーが作品の舞台。五十八歳で東京営業所所長、五人いる部下から一人削減を酒匂は強いられる。社長が替わり社長派と目されている酒匂は追い詰められ、三十八歳のサービス・エンジニア小谷の肩たたきを躊躇い自ら辞表を提出。社長から形ばかりの慰留の電話があったが辞表はあっさり受理された。ハローワークへの道中、共産党の村会議員だった父親の声が聞こえた、〈一人救ったとして、どうなる? 問題は解決しとらんと……他にも何千何万人の小谷がおるじゃなかか〉リストラの話は切ない。「かけ」の真意は? とか「ぼく」で書いた点が問題だ、といった意見が出た。(藤原夏美)
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2005年3月
二月二十五日(金)、十一名の参加で三月号から「走る女」(古川武男)と「米」(能島龍三)の合評を行いました。司会は工藤威氏。
「走る女」については宮寺清一氏が報告。平和な市民生活の中に戦争の影がしのび寄っている今日の不気味な現実が、巧みにすくいとられている。イラクへ派兵されていく自衛隊員に注がれる作者の目が温かい、これは大事なことだと思う、と評価の一方、走る女の形象と結末の処理に一工夫が要る、と厳しい注文も出されました。同様に参加者からも「走る女を美化し過ぎている」「恋人がそこにいないかもしれないのに名前を叫ぶのは、リアリティーとしてどうか」という読みに対して「小説だからいいのでは」という意見もありました。作者からは「目にした事実を小説でメッセージしたかった」とモティーフが語られました。
「米」は風見梢太郎氏が報告。いま日本が進もうとしている危険な道に対する警告、反撃をいかに文学作品化するか、その工夫と努力が見られる。生きて行く上でとても大切なものを受取った、優れた作品を読んだときのあの充実感があった。痴呆の老人をとりまく家族が温かいのがいい。若者と平和運動との関係が背景にあって作品が明るい。しかし、常治郎の米へのこだわりが必ずしも鮮明ではなく、中国とフィリピンの二つの戦場体験が、短編の制約のなかで作品を分かりにくくしている、と方法的な問題も指摘されました。参加者から、『民主文学』にはあの戦争を加害者とか被害者の視点から書かれるのが多いが、さらにあの戦争はなぜ起こったのか、なぜ防ぎ得なかったのか、いまだからこそその角度から書かれることも求められるのではないか、と難しい要望も出されました。(坂井実三)
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2005年4月
沼尾恆文「家」と久志冨士男「綺麗な眉」を俎上にした「作者と読者の会」は、三月二十五日文学会事務所で開かれ、参加者は十一名、司会は山形暁子氏で進められた。まず、「家」について吉開那津子氏が報告。「生れてきた耕也の命を家族が支え合う深い結びつきを描くのがこの作品の主眼。赤子を残して逝く一枝が『ぎゃあっ』と叫んだ場面や、私の苦悩と心境は共鳴できる。しかし、耕也を迎えに行った弟を家に入れない兄の論理や、後添えを迎えた新たな家族関係がある筈なのに、それは分からない。だが、全体として人間の生きざまが温かく感じられる作品である」と結んだ。
参加者からは「車から見える妙義山の描写など、私と一枝の苦悩に満ちた心境を良く描いている」「支部での批評から、『私』の心の動きを加筆したので家族の人間関係がよく分かるようになった」「葬儀の場面は強烈、兄の妻エイ子の子への愛着と決意が良く出ている。矛盾した所もあるが、場面毎のイメージは生きており良い作品だ」など出された。
作者からは、「日本の農業が変わる時代と、家父長的な父、その両面を見た。相克・確執がありながら家の力でやりぬく、という意図した所は描けたと思う」。
「綺麗な眉」は作者が遠路のため欠席。初めに森与志男氏が報告として、「二学期になっても登校しない佳代への担任教師の努力が実らず、佳代は自ら命を絶つ結果となるが、登場人物は『私』を含めて個性的に描けていない。善意の教師であるが、彼も作者も背後に何があるのか、眼が届いていない」と発言された。参加者からは、「現場の現実を反映しているが、人間が類型化している」「七十年代の出来事を、時代をずらして書いているため矛盾が生じている」「この教師は誠実に苦しんでいる。作者は生きる力が衰えてきている時代をよくみている」など熱い討論が行われた。(高橋菊江)
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2005年5月
四月二十二日(金)、十一名の参加で五月号の「車輪の感触」(唐島純三)と「エンカレッジ・ソング」(風見梢太郎)について合評をおこなった。司会は牛久保建男氏。
「車輪の感触」は岩渕剛氏が報告。
氏は、国鉄分割民営化の流れに具体的に触れながら、組合の問題、国労を脱退するが再加盟する主人公の心の動き、運転士と車内整備という仕事の対比、そうした中で主人公をとりまく人たちの描かれ方について、すぐれていた点を報告した。
討論は活発におこなわれた。西尾の会社と家庭との板挟みの苦悩が良く描けているというのが出席者のおおむねの見方だった。唐島氏の作品の中でこの作品が一番良いという意見も出された。さらに、新幹線の運転台にいる運転士の感性になりきって表現されているところがたくみであるなどという指摘もあった。郵政民営化が叫ばれている今、今日的意義のある作品である。
「エンカレッジ・ソング」は宮本阿伎氏が報告。
氏は、(1)何を描いているか、(2)「筋の運び」及び、どのように描いているか、(3)その感想、(4)問題としたいこと、(5)題名の問題についてそれぞれ丁寧に語りながら「青春の日の翳りを、昔気質の、心に屈託を秘めた教師と、明暗をわけた二人の高校生のあいだに行き交う友情のなかに、ほろ苦くも温かくとらえた、まとまりのよい小説」とまとめた。しかし、モチーフがやや弱く、黒川の描き方にも若干疑問を感じたと述べた。
討論は多岐にわたっておこなわれた。題名が果してこれで応援歌という意味になるのかなどが取り上げられた。
作者も討論に参加して、この小説で作者が本当に描きたかったのは、永井という老教師の姿ではなかっただろうかなど自己分析的な解明もなされた。しかし、全体としてさわやかな青春小説という印象は参加者の多くが確認したところであった。(坂田宏子)
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2005年6月
五月二十七日(金)、第六回民主文学新人賞受賞作・秋元いずみ「銀の鳥」と佳作・須藤みゆき「冬の南風」をめぐって、十二名の参加で討論がおこなわれた。司会は乙部宗徳さん。
「銀の鳥」については作者の参加がかなわず、残念であった。報告者の澤田章子さんが「ただ虐待という問題を描くのではなく、虐待を受けている子どもの内面に入り込もうとした作品。母親の背景、臨時教員の状況など学校の現実、児童相談所の実情といった社会環境にも眼を向けている点、最初と最後に子どもの作文を配置するなど小説としての構えをつくっている点はとくに優れている。校長や大家の類型性は致命的ではないが、もっとリアルに描ければよかった」と述べると、参加者からは、「少女の気持ちがよく伝わり感銘を受けた」「文章にリズムがあり、カットバックの手法が鮮やか」「主人公はもっと動いたりドロドロした感情を表出してもよいのでは」「問題に踏み込んでいけない立場=眼として設定した主人公を、そこへの悔しさを含め作者がさらに深く生き切れれば」などの意見が出た。
「冬の南風」をめぐっては、小林昭さんが「冒頭は主人公についての説明のため退屈だが、少女が登場すると物語はいきいき動き出す。人生を肯定し人としての連帯感に目覚めていく過程を描いた、その虚構を構築する力に可能性を見る」と報告。参加者の「母親との確執を見据え、自分という存在を追求する姿勢がよい」「『母に捧げる』との副題をつけたいようだ」「つらい状況もユーモラスに描かれ、読み終えてほっとする」「『壊れていく自分』を描く場面に『南風』の気配が重ねられ、救われるラストが見えてしまう」「奇行のリアリティはどうか」などの意見を受けて、作者は「生きる意味とは、かけがえのない誰かとつながること。音楽を聴いて楽しくなったりほっとしたりする、そんなふうに感じてもらえたらと、あえて楽天的な人物を設定した。文章技術で指摘された点を次作に生かしたい」と語った。(旭爪あかね)
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2005年7月
六月二十四日(金)午後六時半より、七月号の坂井実三「約束」と井上通泰「長い夜明け」についての合評が行われ、十二人が参加。二作品とも労働者の労働と労働現場が綿密に描かれ、「さすが民主文学」の感を深くした。司会は宮寺清一氏。
「約束」は、クリスマスイブの朝、「今日だけは、会社が残業≠ニ言ってきても断って、家族と一夜を過ごそう」と、クリスマスケーキを買って帰る約束を、娘と指切りげんまんまでして出勤した下請け企業の一機械工が、結局は残業を受け入れざるを得なかった職場の実態と、一日の心の動きを回想を交えながら浮き彫りにしていく。
報告者の旭爪あかね氏は、「労働の緻密な描写、作者の観察力は鋭い」「登場人物の複雑な心の動きを、説明でなく、目や指の動き、空咳など動きで捉えられ、管理職の哀れさも描かれている」「回想シーン≠ノも工夫があり、一機械工の目を通して、労働者、これでいいのか≠考えさせる作品になっている」と報告。
参加者からは、「家族とのささやかな約束さえ守れない労働現場。まさに現代のプロレタリア文学」「余分な説明を省略し、読者に想像力を働かせる描写が多く感動した」と。
一方、「登場人物がなぜ、関西弁? T企業のカンバン方式≠ヘ、三十年前のはず。現代は雇用関係も、職場の実態ももっと分かりにくくなっている。時代と地域の設定があいまい」「約束は約束でも、もっとぎりぎりの約束があるのでは」など根本的な指摘も。
「長い夜明け」は、水道局の労働者として四十有余年働き、半月後に定年退職を迎えようとしている主人公が、最後の夜間待機業務についた夕方五時から翌朝五時過ぎまでの十二時間、どれだけの仕事があったかを克明に描きつつ、東京の水不足、組合分裂、革新都政の誕生と終焉などを回想する。
報告者の山形暁子氏は、「人間のやさしさが描かれていて感動して読んだ。しかし主人公が遭遇した組合分裂がその後の人生をどんなに左右したか。第一組合員であり続けた意味が描かれていない。一般的な都政批判、都知事批判になっていて、最後が物足りなかった」と指摘した。参加者からは、「一夜の間に、こんなに仕事があるのか」と、驚きの声があり「優しさが、この作品の一番の読みどころ」また、「これでもか、これでもかとばかり回想を入れているが、むしろ回想部分のない方が、重い作品になるのでは」「分裂した一方の暴力沙汰、石原都知事批判などなるほどとは思うが、水はいのちの源。水をテーマにした作品をこれからもどんどん書いてほしい」と。この日作者は参加されなかったが、参加者からは期待の声が寄せられた。(早瀬展子)
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2005年8月
七月二十九日(金)、酷暑の中を十二人が集まって林東植「道程」、工藤勢津子「坂の町にて」をめぐって討論した。司会は亀岡聰さん。
「道程」については、吉開那津子さんから、「結晶度の高い作品に出会えて驚いている。細部の描写その迫真性は直接経験したものでなければ描けないリアリチティがあり、しかもそれを小説的にとらえて描くそこに高い技術を感じた。ひどい、切ない、ものすごくつらい世界だけれども直接的な感情表現を極力控えて、会話を地の文の中に取り入れる手法を─おそらく意識的に─とっているがそれがこの世界の緊密さを表現するのに成功している。ハンセン病、在日朝鮮人、貧困、ヤクザ、飯場、戦後間もない時期社会の底辺に生き、貧しくて虐げられているから(こそ)、精神的にカサカサしない、卑屈にならず周りをいたわって人間をやさしく見ている、そこに作者の人間的な思いを感じた。その世界が非常に簡潔な言葉で淡々と描かれていること、そこに作品の力強さをみた」、と報告があった。
参加者からは、作者が主人公であって驚いた、ハンセン病に対する国の政策変更もあってこうした作品が描かれてきた背景があろう、圧倒的な迫力で他者が真似て絶対に描けるような作品ではないが、日本の歴史に残る事件を扱っている以上時代背景については年代をもう少しはっきりと明示すべきではなかったか、このほか「道程」というタイトルをつけた作者の意図が作品からは読み取りにくいが、おそらくそれは作者の〈人生〉、その部分ということで読んだ、という発言があった。
このほか文体、創作方法論をめぐって議論が交わされたがここでは省略。
「坂の町にて」については、作者の工藤勢津子さんの出席を得て話し合った。報告者の工藤威さんからは、「健康保健組合の職場に勤める主人公杉浦かほるとほかにそこに働く女性三人の職場と人間模様を坂のある町で樹木、花など風景描写をちりばめて描いた作品。きわだった事件が起きるわけでもなく退職を間近に控え退職後の生活をいろいろと考えていた主人公かほるが、若い事務員の突然の退職によって計画に狂いが生じ〈色々な選択はあるはずだし自分がその後の生活をどのように描こうとしているのを考えている作品〉、事件とかのない作品は難しいが、これはこれで良い、ほのぼのと安心して読ませていただいた」と報告があった。
参加者からは穏やかな静謐な世界、気持ちが良く分かる、どこにもいそうだけれどとてもいい女というのを描いた作品があったが、この小説はそんな感じだ。
最後に作者の工藤さんからは、「並べられた作品が余りにも迫力がある作品で困ったな」と発言があった後、好みの問題だが、平凡な淡々としているかも知れない暮らしの中でそういう作品を描きたい。作品の中で「私は私なりにこの職場を作った、自分が作り上げた。こんな職場もアリではないですか。ドラマがあるとか、事件があるとかそうではなくて…」と発言を締めくくった。(沼尾恆文)
2005年9月 | ||
九月号の作者と読者の会は、八月二十六日(金)夜文学会事務所で開かれ、七人が参加。作品は天野健「樹に触れる」と山形澄代「墓標のない墓」の二つ。 「樹に触れる」の主人公泉谷は、盲学校高等部の教師。担任の生徒で二重の障害を持つ春樹との心のふれあいを描く。ある日、パニックを起こした春樹を、泉谷は玄関前の広場に連れ出す。そこは春樹の好きな場所で季節の花が咲き、水の滴る音が聞こえるところ。と、春樹は踊り出す。ゆっくり、やがて軽やかに、激しく…。母親から兄の結婚を機に春樹を北陸の施設へやりたいとの電話をうけた泉谷は、春樹の家庭を訪問するが、兄は不在。半年後の夏休み、泉谷は春樹に会いに北陸へ。そして太陽が沈もうと最後の輝きを放っている公演で、「春樹は踊り出す。……しなやかな白い足がステップを踏む。美しかった。今までに見たどんな踊りよりも……」 報告者の風見梢太郎氏は「盲学校の生徒の様子がいきいきとリアル。春樹の踊り、イメージが湧き心に残る」としながら、「兄を在宅させて話し合った方がよかったのでは。障害者問題を捉える視野の広がりも」など指摘。参加者からは、「最後の場面で涙が出た」「泉谷の生徒への優しさ、人間として学ばなければ」「春樹の半年後の成長、変化が描けていたら」など。作者は「七〇年代後半に原体験が二年ほどある。春樹の人間の美しさが印象に強く、リアリズムではなく、ポエムとしてやってみた」と語った。 「墓標のない墓」の主人公平山は、競馬場から一通の招待状を受け、五十数年前の記憶をたどりつつ、現地に向かう。彼は敗戦の年、中学二年生。学徒動員として、馬の世話をするために競馬場へ通った。それは、戦時中大量の血清を採るために必要だったのだ。そして、週に一、二度「処理場」で、馬からありったけの血を抜く作業を手伝う。敗戦後ともに働いた五人組で、馬の墓を見に行き、荒地と化したそこへ、石を積み、線香をたいた。この日再びあの場所へ。が、そこは高級住宅が立ち並んでいるに過ぎず、「あの時の事は、全部消されてしまった」と述懐する。 報告者の牛久保建男氏は「暗雲垂れ込めていた時代のことを、短い中によく書かれたと思う。馬の悲惨な死が中心になっているが、平山の気持ちにもっと分け入る必要があるのでは。小説は報道ではないので、経験をなぞるのではなく、思想をねり、想像力をふくらませること」など指摘した。参加者からは、「目のつけどころがいい」「中学生をこのようなことに駆り出した時代の残酷を思った」「平山をうんと動物好きの少年に設定した方が、少年の悲しみが伝わるのでは」など。作者からは、「地域で、平和のための戦争展を準備する中で、事実を知り、書かねばと思った。当人から話も聞いたが、墓の場面を含め、半分はフィクション」と。 二作とも、表現上の問題や素材の扱い、創作の舞台裏など、この会ならではの討論の深まりで学ぶところ大であった。 |
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(早瀬展子) |