「近・現代文学研究会」 第110回(2010年5月)


   ヘミングウェイ 「蝶々と戦車」  
 

 五月二十一日(金)、ヘミングウェイの短編「蝶々と戦車」(新潮文庫『ヘミングウェイ全短編3』所収)をテーマに十一名が参加して行われた。
 報告者風見梢太郎氏は、レジュメを元にしてまず、この作品が、スペイン内戦に共和国(人民戦線政府)擁護の立場で参加する中、通算約八か月をかけて六短編を著したヘミングウェイの作品中、マドリード陥落前に書かれた三作品の最後のものに当ると指摘した。
 そして、戦況地図を示しつつ、三方を包囲され反乱軍(フランコ側)の砲弾も着弾する状況で起きた酒場「チコーテ」における殺人事件の顛末の描写に、当時のマドリードに暮す人たちが覆われていた物質的欠乏だけでなく、通常であれば冗談で済むはずの行為が殺人の引金となるまでに高まっていた人々の精神的苛立ちが、凝縮されてみごとに表現されており、とくに、殺された家具職人が酔って両腕を広げながらテーブル間を縫い歩く姿を「蝶々」に、人々の荒んだ心と暴力とを「戦車」に喩えた表現は秀逸であると論評した。
 さらに、両大戦の戦場にも赴いたヘミングウェイの足跡をみると、背景に、生育歴にも規定されて「戦争の現場を体験したい」という強い欲求があるように思うと述べ、珍しく作品中に事後解説が入り短編的な切れ味を鈍らせているように感じられるのは、スペイン内戦を小説の形でリアルタイムに世界に伝えたいという切迫した必要に影響されたためかも知れないと指摘した。
 討論では、報告に呼応して、対立軸や戦況に限らず当事者内部の事情も複雑であったスペイン内戦の状況を、かなり客観的かつ緻密に作者は観察しているように思うという指摘があった。また、日中戦争などもあって世界中が戦争に覆われていた時代背景を考えると、「戦車」が象徴しているのは単なる心の荒廃や暴力よりも広く、戦争や内乱そのものではないかという意見、報告とは異なり、殺人犯が警官の制止を振り切って出て行き摘発されないままに終る不合理さなどから、共和国側にあるスターリン主義や権力そのものの非情さを告発しようとした作品ではないかなどの意見が出された。
 最後に、風見氏から補足として、訳者が作家でないため、表現に作家として違和感が残るものがあり、作者に特徴的な硬質の緊張感のある文体を味わうには、原文に当ってみることも有用であるとの指摘があった。
 
  (松井 活)     

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