「近・現代文学研究会」 第109回(2010年4月)


   黒井千次 「時間」  
 

 近・現代文学研究会は、四月一日(木曜)、文学会事務所で行われた。今年の再出発から、海外の作品と、日本の作品とを交互に扱うこととし、今回は岩渕の報告で、黒井千次「時間」をテキストとした。
 現在も老年期を題材にした作品を精力的に発表している黒井は、一九五五年に大学を卒業後、一九七〇年まで十五年間自動車会社に勤務していた。一九五〇年代の後半には、新日本文学会のなかで、職場作家として、泉大八や佐木隆三、中里喜昭らとともに注目されていた。しかし、工場を観念的に描く黒井の作風は、泉や佐木のような反共をあらわにしてゆくものからも、中里のようなリアリズムに徹するものからも、一線を画していた。その黒井が、メーデー事件とのかかわりを軸に、企業に生きる人物の姿を描き出した作品が、一九六九年に発表された「時間」であった。
 この作品では、かつての作品が、アイウエオ(「メカニズムbP」だのロロロ(「冷たい工場」)のような、実在から離れた名前のつけかたをしていたのに対して、主人公こそ「彼」となってはいるが、ほかは「浅井」や「三浦」のような、実在性の強い名前をつけているように、現実との抗いを前面に出している。企業の中で、管理職への昇格試験を受ける主人公は、面接で「変わるか」ときかれ、「変わらないですむものなら、変わらずにすませたい」と答える。そこに、企業の中での自分の主体性を守りながらも、管理職となることで企業の発展には力をつくそうという人物像がつくられ、「変わることの許されなかった」メーデー事件の被告である学生時代の友人との対比が明確になる。その、倫理的にがんばる被告である友人にも同化せず、一方で企業の論理にからめとられることを拒絶するという点で、一九六〇年代後半の高度成長期が一方では革新勢力の伸張を伴っていたことに対しての、ひとつの可能性を示したものとなっていたのだ。
 しかし、黒井は、この「時間」が芸術選奨新人賞を受賞した直後、十五年間勤務した会社を退職する。のちの著作では、当時のことを回想して、会社をやめようと決意して上司にあたる人物に、やめたほうがいいかを聞いたとき、「あの男には大切な仕事はまかせるな、という声」を聞いているし、「会社が求めているのは」「二十四時間の企業人」だから、やめたほうがいいと言われたことを書いている。黒井の小説は、会社の宣伝にはならないと判断されたのだった。その結果、黒井は企業をやめ、企業生活を舞台にした小説をほとんど書かなくなり、〈内向の世代〉の一人として目されるようになっていく。それは、やはりひとつの可能性をつぶしていったことにもなるし、その後の企業が労働者の思想信条を厳しく締めつけてゆくことにもつながっていったのだ。その点で、黒井千次という作家のありようも、変わっていった。
 以上のような報告をうけた議論では、「時間」の中では、戦争時代の経験へのまなざしが弱いのではないか、主人公が「彼」でしか書かれないのはなじめない、というような、批判的にとらえる意見も出たり、新日本文学会の第十一回大会のときに、新日本文学会にとどまり、その後も会員であり続けた黒井の考えはどうだったのかという疑問も出されたり、それでも、七十七歳の現在も第一線で書き続けている力を評価する意見もあり、活発に意見が交わされた。    
 
  (岩渕 剛)     

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