「近・現代文学研究会」 第108回(2010年1月)


   アンナ・ゼーガース 「死んだ少女たちの遠足」  
 

 一月二十一日、二〇一〇年第一回近・現代文学研究会が文学会会議室で行われ、岩渕剛氏の司会により、石井正人氏が作家アンナ・ゼーガースの「死んだ少女たちの遠足」(講談社世界文学全集に収録)を取り上げて報告した。出席者は石井氏持参のプロジェクターによる映像と音声を視聴しながら作家の業績を追った。
 アンナ・ゼーガース―本名ネティ・ライリング(一九〇〇〜一九八三年)はライン河畔の歴史的大都市マインツの裕福なユダヤ人古美術商の長女として生れ、一九二五年に経済学者ラスロ・ラドヴァーニと結婚、ネティ・ラドヴァーニとなる。一九二八年、「聖バルバラ村の漁民一揆」と「グルーベチュ」により、ワイマール共和国の文学賞クライスト賞を受賞、同年ドイツ共産党に入党。翌二九年、プロレタリア革命作家同盟に加入して作家活動を始めた。
 一九三三年、一度逮捕され、警察の監視下におかれたが、スイスを経てパリへ逃れる。一九四〇年、ドイツ軍がパリを占領、余儀なくマルセイユから、難路、メキシコへの亡命をはたす。そして、この間彼女は二人の子供を育て上げ、第二次大戦後の一九四七年ドイツへ帰国した。彼女は故郷マインツを訪問したが、定住したのは東ベルリンであった。
 ヒトラーひきいるナチスは一九三三年政権の座につき、その狂暴なユダヤ人絶滅政策は第二次大戦中六百万人に近い犠牲者を生み出している。これがファシズムに抗して小説と評論の執筆活動を堅持したゼーガースがおかれていた歴史状況だったのだ。彼女は一九八三年、ベルリンで共産主義者として八十三年の生涯を全うした。
 「死んだ少女たちの遠足」は亡命先のメキシコで一九四三年に執筆された小説である。作品には亡命者がメキシコの風景のなかで見る夢として故郷のライン河畔の風景と少女時代の遠足が美しく描出されていく。そして少女たちのその後の生涯が現在視点で批評されている。文章からにじみ出るのは、遠く離れた風土のなかでの望郷の思いと、友情も師弟愛も、故郷の街も、すべて破壊してしまったファシズムへの怒りである。
 質問を交えた討論に入り、ライン河畔の大都市マインツの美しい映像を前に、しかし私が反芻したのは、ゲッペルスの演説のたけり狂う音声と、鉤十字に燃え上がる人文字の炎と、ゼーガースの著作を焚書にしたモノクロの映像であった。
  
 
  (土屋俊郎)     

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