「近・現代文学研究会」 第107回(2009年5月)


   尾崎一雄 「虫も樹も」  
 

 第一〇七回近・現代文学研究会は、尾崎一雄の「虫も樹も」(一九六五年『群像』)を岩渕剛氏の報告で行った。五月二十一日午後七時より民主文学会事務所において六名が参加した。
 岩渕氏は年譜をもとに次のことを述べた。
 尾崎は一八九九年に代々神官の家に生まれた。父はすでに神職を引退してはいたが、文学を志す尾崎とは対立した。神道と文学の関係は研究すべき課題である。三十代で結核を病み「生存五ヵ年計画」を立てるほど病弱だったが、八十三歳まで長生きした。志賀直哉の「大津順吉」に感動し、終生志賀に私淑する。プロレタリア文学全盛期には貧乏と失恋も重なり作品を発表できなかった。雌伏すること五年。一九三七年「暢気眼鏡」で芥川賞受賞。終戦直前に郷土の下曽我に住む。文壇との距離も東京から遠からず近からずとの姿勢をとった。
 「虫も樹も」は尾崎の作風の変化をもたらした作品である。私小説の中に社会現象をとりいれた。農薬の毒性を虫の異変でとらえるなど一九六五年の段階でこういう作品を書いたということは注目すべきこと。尾崎は後年反核声明にも名を連ねた。民主主義文学との関連は右遠俊郎氏が「日本的リアリズム」と評している。
 討論では、すごく新鮮で時代の先駆けを行っている作品である。尾崎に私小説作家という偏見を持っていたが本当の面を知った。自然を侵しているのは自分もその一人ではないかという感性が貫かれている。樹が空襲の爆風で「悶死」したというところは圧巻。質問として、一九三〇年代、尾崎とプロレタリア作家達との間に論争はなかったのか、という点と、初期作品に出てくる「某女」とは誰か、などが出た。講師からは今後の研究課題として受け止めるとの事、などが出された。
 今回、この研究会について話し合ったが、まだ近・現代文学のなかには見直す作品があるのではないだろうかというのが全員の感想だった。 
 
  (蠣崎澄子)     

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