「近・現代文学研究会」 第106回(2009年3月)


   吉開那津子 『間から漏れる』  
 

 三月十九日、第一〇六回「近・現代文学研究会」が日本民主主義文学会会議室で行われた。吉開那津子「間から漏れる」(『民主文学』七七年八月号)を燈山文久氏が取り上げて報告した。参加者は十二名だった。
 燈山氏はレジュメと、吉開那津子自筆年譜を配付し、報告を「作品の感動はどこからくるか」という一点に絞り、作品の全節をたどりながら、作品から受けた感動と、その由来を示した。
 @作品の結晶度の高さ。A時代の中の人間を丸彫りにするリアルな批評眼。B作品内に涼風が吹きぬけるようなさわやかさ、笑い、寛容、民主的関係。C問題の根本(自由、民主主義、庶民の人生のかけがえのなさ)にふれていることからくる感動。D作品の背骨となる自由と民主主義の人格ごとの追求と闘いに由来する感動。E人間に対する誠実な愛情、尊厳の感覚。F絶対と相対の弁証法。G父への慈しみ。
 同時に、報告者は作者の作品群を(1)から(3)のように整理したうえで、
『旗』と『葦の歌』、『希望』と『緑なす山河』、「間から漏れる」と『前夜』のように、作品間の関連を説明した。
(1)民主主義三部作=『旗』(六七年)『前夜』(七八〜七九年)『希望』(八六〜八七年)
(2)自伝二部作=『葦の歌』(六九年)『青春の肖像』(七三年、上梓)
(3)庶民四部作=『緑なす山河』(九〇〜九三年)
『夢と修羅』一部(九六〜九七年)
二部(九九〜〇一年)三部(〇六〜〇七年)
 討論では主に次のような遣り取りがあった。
 @報告者は作品の感動の由来の一つを「自由と民主主義の人格ごとの追求と闘い」という点に求めているが、はたしてそうだろうか。A作品の時系列が崩れてはいないか、分かり難かった。B分かりやすい小説として読んだ。C父親像が時代に翻弄された人物として冷静に描出されている。D「間から漏れる」は『夢と修羅』に先立って書かれた作品である。作者の一つの里程標として取り上げることは賛成。E「間から漏れる」には緻密さに欠ける描写もある。吉開作品の代表作と見做すべきではないだろう等々…。 
 
  (土屋俊郎)     

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