「近・現代文学研究会」 第105回(2009年1月)


   古井由吉 『杳子』  
 

 第一〇五回近・現代文学研究会は、古井由吉の出世作「杳子」(一九七一年・芥川賞)、報告者は乙部宗徳氏。一月二十二日、日本民主主義文学会事務所で開催、九名が参加した。
 乙部氏のデビュー評論は、「〈円環〉を打ち破るものは―古井由吉の文学について―」(『民主文学』七七年十二月号支部誌・同人誌推薦作品)、今回はそれから三十二年後の「杳子」論、古井由吉論となった。レジュメ・資料はA4・八頁、前出の評論もコピーされて出席者に配られた。
 戦後文学第六世代といわれ、小川国夫、黒井千次、後藤明生、阿部昭らとともに「脱イデオロギーの内向的な世代」(小田切秀雄)と評された古井由吉の文学世界を今日の視点で再考するまたとない機会となった。
 杳子は女子大生、異常な行為、常識を逸する会話から、精神的失調、その病状のさまが克明に描かれている。健康と病気の「薄い膜」のなかから出ようとしないのだ。引きこもりである。杳子と山中で出会う「彼」もまた完全な「健康人」ではない。
 報告者は、「杳子」のもつ“現代性”、古井の文学観、文体・視点等についても論及した。古井がエッセイや対談などで発言しているエッセンスをレジュメに引用、作家像を鮮明にした。古井文学には「戦争」の影響があることは、戸石泰一氏の評論「古井由吉の文体」(『民主文学』七二年三月号)などでも指摘されていた。報告者は、昨今の引きこもり現象を例にしながら、「杳子」の作品世界は、今日、日常的に理解できるようになっているのではないか、と述べた。そこに「現実世界の反映」を見出し、文学による時代の先取り、先駆性を評価した。
 「孤独なんてのが現代文学の自然な前提のようになっていますけれど、ぼく自身としちゃ孤独というのは非常に変なものじゃないかという感覚がまず最初にあるのです。つまり人間がこうも孤立し、孤独であるというのは非常におかしな現象ではないか。かなりみだらなものであるんではないかと」(古井由吉『三田文学』七五年三月号)。示唆に富む新鮮な報告により、古井文学を再評価する意義深い研究会となった。 
 
 
  (鶴岡征雄)     

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