創造・批評理論研究会」 <2026年1月> 


  治安維持法100年と多喜二・百合子


  一月二十一日、午後八時より、オンラインで当研究会の例会を行った。今回のテーマは、「治安維持法100年と多喜二・百合子」。報告は、本誌二〇二五年十月号に「多喜二・百合子の治安維持法とのたたかい」を執筆した大田努氏に、ご自身の評論をさらに深める趣旨からお願いした。参加者は十四人。

 報告は、今日の情勢への言及から始まった。高市首相の二十三日に予定されている通常国会での「冒頭解散」のこと、「スパイ防止法」の成立をねらうなど、戦争する国づくりの総仕上げをしようとしていること、一方海外でも、トランプのベネズエラ攻撃は、一九世紀的力の支配さながら、もしくは古風なグローバリズムともいえるが、このように内外に極右がはびこる極めて危険な時代にさしかかっているこのときに、一九二五年四月に公布された治安維持法を振り返ることは大変重要であると分け入り、本論へと進んだ。

 本誌発表の論考の筋に概ねそった報告だったが、参加者の一人、長谷田直之氏の討議の段に到っての発言の言葉をお借りして言えば、「大田さんに丁寧な話をしてもらって大変よかった。おかげさまで行間を読むことが出来た」というところが、まさに当夜の報告の味わいどころであった。たっぷり五十分、講演の趣きで、後半の質疑応答・討議も報告の充実を反映して活況を呈した。逐一に触れる紙幅はないが、大田氏が前掲の論考末尾でも、そして当夜も結び近くで引用した宮本百合子の「ある回想から」という戦後評論中の言葉、戦争の年々は、私たちに苛烈な教訓を与えた、「個々の作家の才能だけきりはなしてどんなに評価しても、全般にこうむる文化暴圧に対抗するにはなんの力でもなかった」「生存するばかりか人生のための仕事なのだからこそ、ここまで高まらなくてはならないと社会的に主張し、努力してゆくのが、作家の任務である」という命題を、今また同じ道を国民にたどらせようと為政者たちが目論んでいるとすれば、私たちも反芻し、学ぶ必要があるのではないかということが、報告者のもっとも言いたいことではなかったかと思われる。のみならず多岐にわたった貴重な探求を受け、文学に携わる者として何をどのようになすべきか、真剣な議論を交わし合った。

        
 (宮本阿伎) 

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