「批評を考える会」 <2019年5月> 


  創造・批評理論研究会の報告


 五月二十九日(水)、「永井潔と北條元一のリアリズム論」がテーマ、参加者十人。

 報告者の島崎嗣生氏は、永井潔の『真理について』(光陽出版社刊)から、文学運動の批評の基準論において行われた津田孝・永井論争を取り上げる。永井には「真理を語っているかどうか」についての軽視があると津田が指摘した、「(その軽視は)『客観的真理は実在する』という命題を『実在性と客観性の混同』としてしりぞけ、あわせて『科学的真理は没価値的』とする永井潔の『真理』論とも結びついているように思われる」のくだり。そこから津田「批評の基準をどこに求めるか・補論」(一九八二年)、永井「真理について」(一九八三年)の引用がつづく。報告者はここでこの論議は「私の理解力を超えている」としたまま本論に移り、永井と北條元一の対談「現代芸術とリアリズム」(一九七四年)、北條の「芸術とは何か」(一九五九年)による「典型」論、「文学的真実」(一九八二年)による(永井批判らしい)引用を読み上げて終わった。

 司会の提案によって出席者間で、諸論稿の流れについて交通整理が行われた。
 そもそも、永井・北條対談が実現した背景には、小場瀬卓三の「リアリズムの新しい考え方」(一九六六年)による「社会主義リアリズム」批判に対して永井と北條が反論を発表するなどがあった。同時に、この対談の中には冒頭の津田・永井論争につながっていく永井の「真理論」の原型もすでに顔を見せていた。「没価値的真理性」などの文言である。永井はその後、過去の持論に修正を加えつつ「真理は認識と現実の一致である」との「真理論」を主張するに至る。津田・永井の論争は『宮本顕治文芸評論集@』「あとがき」での「批評の基準」論につづく『葦 』問題が背景となるが、そこへ北條の論文「文学的真実」が重なってくる。

 報告者は、北條から学生時代に教わった「典型」論に感銘し、そこをメインにしたかったと述べ、出席者からも具体的作品を上げての北條の論は参考になるとの発言も出た。最後に、一連の論争について出された感想的発言を記す。「『虚構によって真理を語る』(北條)などディストピア小説を考えるとき意味はある」「こうした論争の跡をいずれは検証が必要ではないか」「永井、北條が概念をいろいろ言い換えているがこれらを整理していく必要がある」。

   (大田 努) 

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