十二月十八日(木)午後六時より、文学会事務所で開かれ、三名の初参加者を含め十四名が参加した。報告者は北村隆志氏、司会は宮本阿伎氏。二○一四年各地で開催された多喜二祭の記録集、荻野富士夫編著『闇があるから光がある─新時代を拓く小林多喜二』から三人の講師の多喜二論がテーマである。北村氏は神奈川七沢多喜二祭で自ら話された「世界文学と小林多喜二」について多喜二が読んだバルビュスやストリンドべリの事、今や世界中で多喜二文学が翻訳され、世界文学の中の多喜二を誇りとすると話された。尾西康充氏は「移民と棄民の相貌―小林多喜二と石川達三」で一番大切なところは社会の支配と搾取の構造を見破る目を研ぎ澄ませていった多喜二という。ただし話の中では言い過ぎの所もあるという。島村輝氏は「『組曲虐殺』から考える治安維持法と現代」で井上ひさしは「あとに続くものを信じて走れ」が言いたかったのではないかと解説。参加者の相原氏からは豊多摩刑務所に収監されていた多喜二はたくさんの本を読みその後の小説に変化をもたらしたと発言。他の参加者からはなぜ多喜二は殺されなければならなかったのかという質問もあった。島崎氏から詳しい「党生活者」の話があり、笠原問題に議論が集中した。宮本氏から多喜二は非合法の生活の中でこれだけ女性の声を取り上げたことは評価すべき、「女性を犠牲にする」ということはむしろ伏せておきたい所なのに多喜二は書いた。真実から眼をそらさない、これがリアリズムではないか、と話された。熱気溢れる発言が交わされもう少し時間が欲しかった。多喜二の作品は今も生きていると感じた会だった。
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