批評を考える会改め批評研究会の例会を昨年末十二月十二日に開催した。第二十五回大会後初の例会だったが、通算では五十八回にあたる。テーマは、昨年九月刊行の、浅尾大輔著『マルクスの言葉』(バジリコ株式会社)。報告者は、批評研究会委員の一人北村隆志さんに願った。神奈川県湯河原町に住む著者が喘息≠おして参加してくださったことも感激だった。総勢九名、議論白熱の充実した研究会となった。
北村さんは、A4で十枚におよぶ約一万五千字のレジュメを用意し、浅尾さんの四年ぶりの著作を快刀乱麻を断つ#@く、解説、論評した。何より著者が、マルクス・エンゲルスの著作を読破、当時の思想家や現代の作家や経営者の著作など、広範に読んでの著作であることをまず称えた。
その上で、本書は、マルクスの言葉を著者の感性で二百六十八選びだし、それらが現代にどのように生きているかを考察する、解説的エッセイであるとし、とりもなおさずそれはリーマンショックに揺れ、ブラック企業が跋扈する現代への批評になっていると述べ、ここから「すべてを疑え」に始まる二十二の言葉を選び、さらにその項目の中に優に三十を超える言葉を引用し(都合五十以上)、著者の論じ方の光るところを紹介・解明し、また「読み違え」「勘違い」「咀嚼し損ない」と見たところには、忌憚のない批判をくわえた。
それらは、多分にマルクス・エンゲルス全集の生硬な翻訳が敷居を高くした結果ではないかとも述べられたが、参加者の一人からも「剰余価値を論じたところは、浅い。エッセイ的に読んだが、ガイドではない」などの指摘や質問もなされた。
著者はこうした批判や注文を一つ一つ謙虚に受け止めつつ、その弁におよんだ。もとより出版社からの企画に応じた書であり、はじめ若い人に向けて書いていたが、出版社から、若い頃マルクスを読んだ人々がノスタルジーから読みなおすことが流行っている、このニーズにも応えてほしいという注文が加わり、双方を視野に収め、半年かかりっきりになって仕上げた苦労談も披露された。
言葉の探求をしている私たち、民主主義文学運動に位置する私たちにとって、マルクスの言葉をもって現代批判を試みる本書は、創造や批評の上に十分刺激的だ。そのように参加者は一様に受けとめたように思われる。
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