「批評を考える会」 <2013年3月> 


 本誌本年2月号の「小林多喜二没後80年特集」


 三月二十三日、事務所の窓の外にひろがる満開の夜桜を眺めながら例会を開きました。参加者は十名でしたが、大阪から栃尾惇さん、近年中国の大学で教鞭をとられ、このほど帰国された松澤信祐さんなど思いがけない方のご参加もあり、賑やかな会となりました。
 テーマは、本誌本年二月号の「小林多喜二没後80年特集」でしたが、報告はおよばずながら私が務めました。時間的制約で、多喜二に関する論考四篇、大田努「『不在地主』と芸術大衆化論争」、岸本加代子「『東倶知安行』論――『私』の自己省察の位置」、尾西康充「『独房』と獄中書簡」、谷本諭「小林多喜二は立ち上がる民衆≠どう描いたか――新たな時代のなかで読みなおす」にしぼらざるを得なかったのですが、久野通広さんから出席のご連絡があり、同氏「宮本顕治と片上伸――『戦いの批評』について」を急遽くわえました。
 応募のなかから選りすぐった七篇(以上のほか下田城玄「細井和喜蔵の文学」、馬場徹「『火山灰地』のダイナミズム」)が並んだ、充実した特集であったとまず述べました。
 続けて各論考の特徴を報告。大田論考は、芸術大衆化論争のうち「プロレタリア大衆文学論」の影響を一時的に受けた多喜二がリアリズムの深化の方向に向かってどう克服したかを論じ、岸本論考は、「革命運動を真正面に据え」自己省察する「私」の姿を描いた作品だと対象作品を規定し、先行評論に言われていないものを探り、尾西論考は、新しい情報や新しい読みを多大に含み、きわめて刺激的、示唆的であること、谷本論考は、今日の情勢のうちに多喜二文学の軌跡をヴィヴィッドに捉えかえし、いま「変革への展望を沸き立たせるリアリズム文学」を呼び起こす契機となると言い切り、久野論考は、片上伸と宮本顕治の関係を現代に掘り起こし、批評とは何かを根源から考えさせる、など。
 続いての討論が素晴らしく、報告の不足が救われました。その一つ、「細井和喜蔵から始まり、多喜二を生み出した背景からおさえているところがこの特集のよさです。しかもそれぞれがきちんとした土台の上に立ち、しっかりと論じられている、多喜二論は進んでいることを印象付けられた」と語られた松澤信祐さんのご発言を紹介し、小文を締め括らせて戴きます。
(宮本阿伎) 

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